第11話 ゴブリンの夜(4)

※タマ視点



 闇夜の草原を、赤茶色の猫――タマが駆けていく。

 黄金の麦畑をかいくぐり、民家の敷地を横断して、ただただ一直線に。

 しなやかな体躯で野を蹴り、目標地点である南の広場を目指す。


 そうして。大人の足で三十分かかる距離を、タマはわずか五分未満で走破してみせた。

 無論、【俊敏の杖スピード】の能力を使用したおかげでもある。


「おや? きみはたしか、ナイツくんと一緒にいた猫ちゃんじゃないかい? どうしてこんなところに……封鎖する前に外に逃げちまったのかな?」


「ニ、ニャア!(ま、間に合ったっス!)」


 草原を駆けてくる音で気付いたのだろう。広場でひとり待機していたシデンが、驚いた顔でタマを振り返った。

 タマは息を乱しながらもシデンに飛びつき、その広い肩上まで駆け上がる。


「おっと――ナハハ、相当怖かったみたいだね。よしよし。動物のほうがモンスターの気配に敏感だからな。でも、いまから屋敷に戻る時間もないし、ちょいとそこで休んでてくれな」


「ニャオニャニャーゴ……(言われなくてもそうさせてもらうっスよ……)」


「さあ。そうこうしてるうちに、やつらのお出ましだ」


 シデンの言葉に顔をあげると、南の森から大量のゴブリンが姿を現し始めた。

 柵を破壊し、草原を踏み荒らすゴブリンの群れ。

 そのどれもが、血走った眼でシデンを睨みつけている。

 いますぐ殺してやると言わんばかりだ。

 対するシデンはまったく動じず、ただただ冷静に千体のゴブリンを眺めていた。

 その口元は、すこし笑っている。


「この数なら『魔形ドール』を召喚するまでもないか――見ての通り猫ちゃんもおびえてるんでね。パパッと片付けさせてもらうぜ?」


 そう言うと、シデンはおもむろに目元の黒魔布くろまきんを取り払った。

 直後。こちらに向かって進軍していたゴブリン千体が、示し合わせたかのようにピタッ、とその動きを止めた。

 千体すべてが、だ。

 なんとか前に進もうと必死の形相でもがいているが、一ミリも前に進めていない。

 どころか、まばたきすら不可能になっているようだった。


 これが、見ただけで相手を動かなくさせる魔眼の力。

 肩上のタマの位置からは、その眼を確認することはできなかった。

 いや、確認したが最後、こちらの動きまでも停止させられてしまうだろう。


「【鎖縛さばくの愛】」


 スッ、と右手を夜空に掲げながら、シデンは言う。


「あのクソったれの魔女が命名した、この魔眼の名前さね。『雷光のシデン』に引けを取らぬ、なんともまあ痛々しい名前だよ。まったく、難儀な話さ」


「グ、グギギギガァ……!?」


「なんて、ゴブリンに愚痴っても仕方ないか。まあ、また今度ゆっくり話そうや」


 来世でな、と。

 そう短く告げて、シデンが右手を振り下ろした瞬間。


 ズガガアアァンンッッッ!!


 耳朶じだを震わす轟音と共に、真昼かと思うほどのまばゆい稲光が広場に走った。 

 数千を越える落雷の雨が、ゴブリンたちに降り注いだのである。

 あまりの爆音に、タマの世界から音が消えた。脳内に耳鳴りが木霊する。


 十数秒後。雷鳴が鳴り止んだのを確認し、タマはつむっていた目をおそるおそる開く。


「……、ニャ……?」


 視界に映ったのは、『炭の山』だった。

 ゴブリンだったであろう千の黒い物体が、プスプスと白煙をあげて立ちすくんでいる。

 一目で絶命しているのがわかった。


「ニャアニャアゴ……(本当に一瞬で討伐しやがったっス……)」


「加減をミスっちまったか?」


 広場の草地に、ビリリ、とミミズのような雷撃の残滓ざんしが走る中。黒魔布を目元に着けなおしながら、シデンは飄々とつぶやく。


「最近、レガルと模擬戦してなかったからな……電気が溜まりに溜まっちまってたみたいだ。ゴメンな、猫ちゃん。おっきい音でビックリしただろ?」


「ニ、ニャア……(ち、ちょっとだけ……)」


「ナハハ、ゴメンよ。でも、もう終わったからな。あとはのんびり、領主館に戻るだけさね。さあ行こう」


「ニャ、ニャゴニャーオ!(って、戻られたら困るんスよ!)」


 広場を離れ始めたシデンの横顔に、タマはムギュッ、と額を押し付ける。


「ナハハ。どうしたどうした? 甘えたいのならナイツくんに――」


〈――この声が聴こえるっスか?〉

 

 遮るようにして、【念話の杖テレパシー】の力でシデンの脳内に直接語りかける。 

 シデンの表情から笑みが消え、困惑のソレへと変わっていく。

 額を離して、タマは続けた。


〈驚いてる暇はないっス! いますぐ北の原っぱに向かうっスよ! そこで、ご主人とライキの坊ちゃんがゴブリンと戦ってるはずっスから!〉


「な、なんで猫ちゃんがこんな……いや、それよりも、北の原っぱだって?」


〈そうっス! 細かい説明は省くっスけど、あの印は二方向、挟撃を示すサインなんスよ! それで、ご主人たちが北側のゴブリンを足止めしてるんス!〉


「挟撃だと……クソ、こうしちゃいられないッ!」

 

 念話を使う猫よりも、子供の安全を優先すべきと判断したのだろう。

 目先の疑問を後回しにし、シデンは全力で駆け出していた。

 さすがは騎士団副団長。柔軟かつ迅速な判断能力だ。


 シデンの肩上から飛び降り、タマが先導するようにして走り出す。

 シデンに【俊敏の杖スピード】を使うことも考えたが、それはやめておいた。

 ナイツと共に杖の制御訓練をしていたときに発覚したことだが、【俊敏の杖】にはある欠点があるからだ。


〈いま連れていくっスからね、ご主人!〉


 シデンを誘導しながら、北の原っぱ向けて駆けて行く。


 その最中。タマはふと、先ほどのシデンの勇姿を思い返した。

 雷光のシデン。すさまじい雷撃使いだ。

 シデンならば、魔族四天王すらも凌駕するだろう。

 しかし。


「ニャオ……(まだ届かないっスね……)」


 その実力は、最強最悪と謳われる魔王ガルランテには遠くおよばないものだった。

 ガルランテを100とすれば、

 それほどのひらきがある。

 これからの成長度合いでその差は縮まるだろうが、越えることはむずかしいだろう。

 

 大賢者の千本の杖を備えた、規格外の転生者でもない限り。

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