第10話 ゴブリンの夜(3)

 事態は一刻を争う。

 カルラの目を盗み、僕とタマは領主館のエントランスを離れた。

 魔王城を想起そうきさせる赤絨毯の廊下を突き進む。

 ほかの村人たちにバレないよう物陰に隠れながら、ときには忍び足で。

 目指すは屋敷の裏口だ。


「よかった。まだ塞がれてない」


 一分もせずに、僕たちは裏口に到着した。

 周りに人がいないことを確認し、ドアノブに手をかける。


「――ま、待てよ! ナイツ!」


 扉を開けて外に出ようとした瞬間。タタッ、と誰かが駆けてくる足音が聴こえたかと思うと、背後から呼び止められた。

 振り返ると、そこにいたのはライキだった。


「こそこそエントランスを出て行くから、気になって後をつけてみれば……トイレは外なんかにはないぞ?」


「いや、トイレじゃなくて……その」


「も、もしかして……本当にもしかしてだけど、ナイツもゴブリン討伐に行く気じゃねえよな……? アハハ、そんな、まさかな」


「…………」


「……な、なんだよ、急に黙るなよ。まるで図星みてえな反応じゃねえか……」


「ライキ。よく聞いて」


 戸惑うライキを見つめ、僕は真剣な語調で明かす。

 こうして見つかった以上、隠し通すのは不可能だと判断したのだ。


「さっきシデンさんが、丸い円の中に『×バツ』がある印って言ってただろ? ゴブリンの襲撃を宣告する印だ、って」


「? う、うん。言ってたな。それが?」


「あれは正確には、ゴブリンの襲撃を人間たちに密告している『ピクシーの印』、なんだよ。ゴブリンたち自身が記したものではないんだ」


「ピクシーって……あの、悪戯(いたずら)好きの妖精ピクシー?」

 

 人間界でも、ピクシーの存在は知られているようだ。

 ライキの問いかけに、僕は力強く頷く。


「ピクシーは魔族の味方でも、人間の味方でもない。とにかく悪戯の味方なんだ。悪戯ができるのなら、どちらに死人が出てもかまわない。無垢で残忍な妖精――だから、ゴブリンたちの襲撃計画を盗み聞きして、標的となる村の柵や家の壁に印を残すのさ。『これからゴブリンたちが襲ってくるよ。』って」


「……、……」


「そして、今回記されていた印は丸い円に『×バツ』。この印は、『二方向からの挟撃』を意味する――つまり、シデンさんが迎え撃つ南の反対側、『北』の方向からもゴブリン共はやってくるってことなんだ」

 

 丸い円の中の二本線の傾きによって、ゴブリン共の侵攻方向は変わる。


 円の中に『十字』の場合は、その印が刻まれた方向からのみ。

 円の中に『×バツ』の場合は、標的を挟み撃ちにする形での侵攻となる。


 おじいさんもシデンも、円内の二本線を『×バツ』と表現した。

 ほんのすこしの傾きのちがいでしかないが、ふたりが同様に見間違えるというのも考えにくい。

 であれば、ゴブリン共の作戦は『×バツ』印の挟撃と見て間違いないだろう。


 この二本線のささいなちがいに、人間側が気付くことはまずなかった。二千年前ですらだ。

 モンスターが激減している昨今であれば、なおさらだろう。

 シデンたちが気付けないのも当然の話だった。


「ピクシーは混乱をより楽しむために、襲撃決行の直前、数時間前に印を刻む。人間側に準備させないためだ。おじいさんが印を発見してから、もう一時間半は経ってる。あと一時間弱、早ければ三十分ぐらいで、ゴブリンの挟撃が開始されるはずだ」


「三十分、って……もうすぐじゃねえか!」


「そう、だから僕は急いで行かないといけないんだ。村の北――いつも僕たちが鍛錬している、あの『原っぱ』に」


「あそこに、ゴブリン共が押し寄せてくる……」

 

 事の深刻さに気付いたのか。ライキが困惑した表情で言う。


「し、シデンのおっさんに、このことは伝えねえのか?」


「伝えても意味がない。南の広場から北の原っぱまで、大人の足でどれだけ急いでも三十分はかかる。仮にシデンさんがゴブリンを一瞬で討伐して北に向かったとしても、その頃には領主館はゴブリン共の巣窟になってる。二方向からの挟撃である以上、迎え撃つ戦力も『ふたつ』用意しなくちゃいけないんだ」


「……でも、屋敷の出入り口は封鎖してるから、おっさんが戻ってくるまでは持ちこたえられるんじゃあ? そのための篭城だろ?」


「一方向から千体ってことは、もう一方向からも千体が押し寄せてくることになるんだ。タンスや板で塞いだだけの防壁で、ゴブリン千体の襲撃を防げると思う?」


「……無理、だろうな」


「避難している村人も、みんな戦闘経験のない一般人ばかりだ。失礼だけど、八歳の僕たちのほうがまだ腕が立つ。だから、僕がもうひとつの『戦力防壁』になりに行くのさ」


 裏口を押し開け、僕はあらためてライキに訊ねた。


「ライキは、どうする? ココに残るのなら僕たちのことは黙っててほしい。お母さんに心配はかけたくないからね。もし連いて来るのなら――」


「つ、連いて行くに決まってんだろ! 親友が村を守ろうとしてんのに、指くわえて待っていられるかよッ!」


「あはは、そう言ってくれると思った」


 いさむライキの手を取り、僕は裏口から外に飛び出した。

 天才とは言えライキは八歳だ。【緊縛の杖チェーン】を使ってでも、屋敷に留めておくのが正解なのだろう。

 それでも、僕は親友のその申し出が、嬉しくて嬉しくてたまらなかったのだ。

 はじめての『戦友』となることを示す、その一言が。


「ナイツ。ちょっと待った!」


 と。領主館の裏門を抜ける間際。ライキが僕の袖を引っ張った。


「そこの倉庫で武器を調達していこうぜ。さすがに手ぶらじゃあ、心もとなさすぎるだろ」


「ああ、そうか」

 

 接敵した瞬間に【火焔の杖ファイア】で一掃しようかと考えていたが、杖の能力はこれまで通り隠しておいたほうがいいのかもしれない。余計な混乱を招くだけだ。

 まあ。本当に危ない場面になったら、躊躇いなく能力を使うけれど。

 こうして連れ出してしまった以上、ライキを死ぬ気で守ることが、僕の使命なのだから。


「うっかりしてたよ。それじゃあ、借してもらおうかな」


「了解。たしか、行商人から買った古いロングソードやら短剣やらが転がってたはずだから、適当に見つくろっていこうぜ――、っと」


 倉庫の鉄扉を開き、カビくさい庫内から武器を調達する。

 物色している時間はない。互いに示し合わせたかのように、自分の体格に合っている短剣を手に取った。


「サビてはいないみてえだな。本当は長剣がよかったけど……まあ、オレらにはまだ早いか」


「短剣でも充分だよ。よし、それじゃあ急ごう」

 

 言って、今度こそ僕たちは領主館を離れた。

 心地よい夜風を切って、月夜が照らすあぜ道を北に向かってひた走る。

 その最中。併走するタマが念話で問いかけてきた。


〈ご主人。ひとつ確認しておきたいことがあるんスけど〉


〈どうしたの? タマ〉


〈ご主人は、本当にゴブリン共を殺せるんスか? 仮にも前世では仲間だったわけっスけど〉


〈殺せるよ〉


 即答して、僕はあぜ道の木柵を飛び越える。


〈タマだってよく知ってるだろ? 僕たちは魔王城で、魔族モンスターたちに虐げられてきた。三百五十年間ずっとだ。魔族の人間に対する憎しみより、僕たちの魔族に対する憎しみのほうがよっぽど深いよ〉


〈まあ、それはそうっスね……〉


〈ただ。だからと言って、すすんで殺そうと思うほど憎んでるわけでもなかったんだ。一応は同族だったからね――でも、いまの僕は人間だ。同族でもない魔族たちが僕の大事な人たちを傷つけようとするのなら、僕は容赦なく牙をくよ〉


〈……それを聞いて安心したっス。肝心なところでトドメを躊躇すれば、ご主人だけじゃなく、ライキの坊ちゃんの身まで危うくなるっスからね〉


〈あはは。タマも、ライキのこと気に入ってるんだね。普段はそんな素振り見せないくせに〉


〈冗談。こんな生意気な坊ちゃんのことなんて、なんとも思ってないっスよ。ぷいっ〉


〈素直じゃないなあ……〉


〈オイラはいつも素直っスよ! ――ともあれ。確認したいことも済んだんで、ここらで引き返してオイラは南の広場に向かうっスよ〉


〈南の広場? どうしてまた〉


〈シデンを北の原っぱに連れてくるためっスよ。ご主人の杖の能力があればゴブリンぐらいは軽く倒せるはずっスけど、今回は守るべき対象の坊ちゃんがいる。万が一の事態にそなえて、応援を呼んでおくに越したことはないっスよ。猫姿のオイラじゃあ、ご主人たちの加勢は無理そうっスからね。今回は裏方としてご主人たちをサポートするっス〉


〈なるほど、そういうことか。それじゃあ、サポートはよろしくね〉


〈了解っス。くれぐれも無茶だけはしないでくださいっスよ、『相棒』!〉

 

 言い置いて、タマは草原を逆走して戻っていった。

俊敏の杖スピード】の能力を使ったのか。タマの姿は瞬く間に、夜の闇に消えていった。


「そういやあよ、ナイツ」


 ふと。隣を走るライキが、黄色の腕輪を二の腕の辺りまで上げて固定しながら、思い出したかのように訊いてきた。

 夜の暗闇のせいか。タマがいなくなったことには気付いていないらしい。


「お前、どうしてあの印について詳しいんだ? オレも、モンスターや妖精についてはそれなりに勉強してきてるけど、あんな情報は聞いたこともなかったぜ?」


「それは……」


 魔王城によくピクシーが悪戯に来ていたから、なんて言えるはずもない。

 僕は黙したまま、指で口元に『×バツ』印を作ったのだった。





 果たして。

 僕とライキはいつもの原っぱに到着した。

 月明かりの下。暗く不気味な森を正面に見据える。

 ここまでの移動時間を踏まえると、もうゴブリン共が現れてもおかしくない頃合いだ。


「ライキ、緊張してる?」


「し、してねえよ! そういうナイツはどうなんだよ?」


「緊張してるよ。でも、それ以上にワクワクしてる」


「はあ?」


 迫りくる戦闘の気配に、僕の心臓が早鐘(はやがね)を打ち出す。

 はじめての戦場への出陣が、まさかこんなに早く訪れるとは夢にも思わなかった。


「ワクワクとか……戦闘狂かよ、ナイツ」


「あはは。その称号だけは勘弁してほしいかな。嫌なやつを思い出すから」


「? 誰だよ、その嫌なやつって」


「それも秘密――、来た」


 そのとき。

 森の樹々から、バサササッ! と野鳥が逃げるようにして飛び立った。

 と同時に、人ならざるモノの気配が森の中に現れる。

 見ると、おびただしい数の赤い眼光が、原っぱで待ち構える僕たちを睨んでいた。


「ヒッ」息を呑むライキ。ソレは眼光を光らせたまま月下に歩を進め、ついには森手前の柵を乗り越えてきた。

 僕たちと同じぐらいの背丈に、緑色の肌と大きな眼。

 指先の爪は鋭く、口元の牙は猛々しく尖っている。

 力はそれほど強くなく知性も低いが、数にものを言わせた人海戦術で標的を一気に叩く習性を持つ、小型のモンスター。


 通称――ゴブリンである。


 確認するに、その数はやはり千体はくだらないだろう。


「懐かしい外見だな……今頃は、シデンさんのほうにも現れてる頃かな?」


「な、ナイツ! 本当に、本当にゴブリン共が現れたぞッ!! ど、どど、どうする!?」


「大丈夫、落ち着いて。ライキは絶対に僕の傍(そば)を離れないように。いつもの鍛錬通り立ち回れば、ライキでも簡単に倒せるはずだよ」


「い、いつも通り、いつも通り……」


「さて、それじゃあ始めようか。ライキ」


 言って、僕は短剣を手に戦闘態勢を取った。遅れて、ライキも短剣を構え出す。

 ひとつ深呼吸をはさみ、僕は思い返す。


 前世でスライム剣士の鍛錬を積んでいたのは、単に故郷がスライム剣士の村だと聞いていたからでしかなかった。

 他人から教わり、惰性で決めた道でしかなかった。

 けれどいま、僕は自分の意思でココに立つ。立つことができた。

 剣士になるという夢の第一歩を……自分だけの道を、いまこそ踏み出す。


「これが、僕たちの初陣だ!」

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