第09話 ゴブリンの夜(2)

 夜空の三日月がわらう、午後十時。

 モナルーペ村の全村人は、ゴブリンの襲撃にそなえて、レイスン家の領主館に避難していた。

 無論。その指示を出したのは、シデンである。

 面倒くさいだなんだと言ってはいるが、腐っても国民を守る騎士団の副団長。十分もしないうちに、五百人の村人全員の避難を完了させてしまった。


 ここまでスムーズに村人が動いたのは、シデンがこの村の出身者だったというのも大きい。優秀な他人より、顔なじみのある人間の言葉のほうが信頼度は勝るものなのだから。

 領主館に避難したのは、村でこの建物が一番頑丈だからだ。

 レイスン家の現領主、ライキの父親も村人の避難を快諾してくれた。

 ライキの勉強の件もあって厳しい親かと思っていたが、村人思いのいい領主のようである。

 さておき。


「はーい。みんな、ちょいと静かに」


 領主館のエントランス。中央階段の中腹に立つシデンが、そう口火を切った。

 ザワついていた村人たちが、シデンに一斉に視線を向ける。


「俺の指示に従ってくれれば安全だから。あまりパニックにならないように。危ないときこそ冷静にな――んで、知ってる人もいるかもしれないけど、ひとまず、いまがどういう状況かを説明していく。情報は共有したほうが安心するからな」


 コホン、と咳払いをひとつ。シデンは現状の説明を始めた。


「午後九時すぎ。カルラの嬢ちゃん家の隣に住むおじいさんが、明日の種まきのために畑の様子を確認しに行った。すると、村の南にある柵の外側に、丸い円の中に『×バツ』を記した『印』を発見した。それも数え切れないほど大量に。避難完了後に俺も確認しに行ったが、間違いない。あれは、ゴブリンの襲撃を宣告する印だったよ」

 

 どよめく村人たち。僕とタマも、別の意味で目を見開く。

 シデンはそれを両手を上げることで制し、「ともあれ」と話を続けた。


「この村がゴブリン共の標的にされたのは事実だ。モナルーペ村の近くの山奥でモンスターが活発化したり、最近では、モンスターが人里に降りてきて民家や荷車を襲う事件が多発してただろ? 俺も、いずれこうなるんじゃないかと警戒してたのさ」


 数日前にシデンがこの村を訪れたのは、なるほど、その印がないか確認するためだったのか。故郷の安否を心配していたわけだ。

 村人の僕に声をかけたのは、念には念を入れて、ということなのだろう。


「俺が里帰りしてるときでよかった。ゴブリン討伐なら騎士団で何度もこなしてきてるから、失敗することはないと思う――それでも、万が一のときのことを考えて、村の自警団の数名をアイドラルンに走らせておいた。騎士団の応援要請のためだ。あと三時間もすれば本隊が到着するけど……まあ、徒労に終わるだろうな。その頃には全部、片付けられるだろうし」


「――『片付けられる』?」

 

 信じられないといった風に口を開いたのは、うちに報せに来てくれたあのおじいさんだ。


「ま、まさか、シデンよ。お前さんひとりでゴブリンの襲撃を阻止するつもりか……?」


「そのつもりだけど、なにかおかしいかい? おじいさん」


「あの印は、数え切れないほど大量に刻まれておったんじゃぞ! 数百……いや、千はくだらん! そんな大量のゴブリン、お前さんひとりでどうにかなるわけないじゃろうて! また、ミレーのような『悲惨な死体』がひとつ転がるだけじゃッ!!」

 

 おじいさんの悲痛な叫びに、村人たちの表情がこわばる。 

 悲惨な死体? 普通の事故死じゃなかったのか?

 疑問に思い隣にいるカルラの手を引くと、彼女は言い出しづらそうに僕に耳打ちしてくれた。


「ミレーちゃんは三年前、慰霊碑がある森の入り口で見つかった。それは前に話したよね? そのときのミレーちゃんの遺体は……その、『頭』だけしかなかったの」


「……、頭だけ?」


「ミレーちゃんは当時、『森に花をみに行ってくる』って言って出かけてたらしいの。でも、なかなか帰って来なくて、心配になったミレーちゃんのお母さまが探しに出たの。そうしたら、あの森の入り口で……」


「ミレーさんの頭部を発見した、と……」


「身体はどこにも見つからず、首の切断面はなにか大きな獣に喰いちぎられたような跡をしていた。人里に降りてきたモンスターか狼の仕業か。街のお医者さんの話だと特定はむずかしいみたい……ゴメンね、こんな刺激の強い話、本当はナイちゃんに話したくなかったんだけど」


「いえ、教えてくれて嬉しいです。これで僕も、ミレーさんの死を悲しむことができる」


「ナイちゃん……」


 せつなさを紛(まぎ)らわすようにして、カルラがギュッと抱きついてくる。

 おじいさんの声が響いたのは、その直後のことだった。


「だから、シデンよ。悪いことは言わん。ここはおとなしく騎士団の到着を待つんじゃ。千を越えるゴブリンなぞ、ひとりでどうにかできる相手ではないわい」


、俺は副団長なんて座に就いてるのさ」

 

 騎士の矜持をもって、シデンは断言する。


「ありがとうな、おじいさん。心配してくれて。だが、ここは俺を信じてくれ。絶対みんなを危険な目には遭わせないから。亡き親友、ミレー・レイスンとダイ・ロードウィグの魂に誓う。約束するよ」

 

 そう言って、シデンは胸に手をそっと添えた。騎士としての誓いを示す姿勢のようだ。

 シデンの固い宣誓に、おじいさんはしばらく閉口したのち、静かに頷いた。


「……わかった、お前さんを信じよう。ただし、危なくなったらすぐに逃げるんじゃぞ」


「ありがとう。肝に銘じておくよ――さて、それじゃあ早速、準備を始めよう」


 仕切りなおして、シデンは村人に指示を出していく。

 まずは万が一の事態にそなえ、館中の扉や窓をすべて封鎖する。

 いわゆる篭城だ。


「ここの正面玄関は最後、俺が外に出てから封鎖するようにしてくれ。そのあと、俺は南の柵前にある広場でゴブリン共を迎え撃つ。それでいいかい?」

 

 おお、と村人たちは了承の声を轟かせた。

 そうして皆が皆、必死に封鎖作業をする中。

 エントランスの隅で、僕とタマは焦っていた。

 丸い円に『×バツ』の印ってことは……。


〈……ご主人。マズイっスよ、これ〉


〈ああ。わかってるよ、タマ〉

 

 汗に滲む右手をギュッ、と握り締める。


〈このままだと、この村は壊滅する〉

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