第06話 ひとつの誓い

 翌日。

 千本の杖に関する戸惑いも最中に、僕は魔法の制御訓練を始めた。

火焔の杖ファイア】の魔法は心強いが、あの大火焔はあまりに規格外すぎる。制御できなければ諸刃の剣になりかねないと判断したのだ。


 それと同時に、基礎体力アップのトレーニングも開始した。

 いつか、立派な『剣士』になるためである。

 前世では戦場に赴くことができなかったから、一度くらい戦場で活躍してみたいのだ。

 

 それに、いまは【促進の杖プロモーション】と【限界突破の杖リミットブレイク】の恩恵もある。努力次第では最弱を脱することも夢ではない。

 こうした闘争心を見ると、僕もやっぱり魔人剣士だったんだな、と実感する。

 ……まあ、モンスターがほぼいなくなったこの世界で剣士を目指す意味はあるのか、戦場なんてもうないのでは、といった懸念はあるが、そんなのは無視無視。

 ひとまず、やりたいようにやってみるだけだ。

 まだ五歳だから、簡単な柔軟や走りこみくらいしかできないけれど。


〈ご主人、そろそろ陽が落ちるっスよー〉


〈おっと。もうそんな時間か〉


 夕暮れ時のいつもの原っぱ。僕は走りこみを中断して、木陰で寝そべるタマの下に向かった。

 タマの目の前には、千本の杖の情報が載っている、あの文献があった。


〈どう? なんかおもしろい杖はあった?〉


〈……ご主人。オイラは別に、杖のカタログを眺めてるわけじゃないんスよ?〉


 炎魔法を使ったあの日から。タマはこうして、暇さえあれば千本の杖の詳細を確認していた。

 杖の知識が解放されたとき、即座にどんな杖かを把握するため、だそうだ。

 僕も知っておくべきだろうと夜寝る前に文献を見ているのだけれど、これがなかなか覚えられない。昨日、ようやく五十本の杖情報をソラで言えるようになったところだ。対するタマはもう、五百本近い杖情報を暗記していた。タマつおい。

 前世でも、タマは僕らが拾われたときのことを覚えているようだった。きっと、タマは生まれつき頭がいいのだろう。やっぱタマつおい。


 つよつよタマは、ページをめくりながら言う。


〈まあでも、おもしろいのはあったっスよ。対象を変化させる【変化の杖チェンジ】とか、一回しか使えない【消滅の杖イライザー】とか。対象を食べちゃう【大食の杖イートン】なんかもおもしろいっスね。極めつけは、【武装誓約の杖アーマーエンゲージ】っていう、契約した従者を――〉


「――ナイちゃーん!」


 と。そのとき。

 母親のカルラが、嬉しそうに手を振りながらこちらに駆け寄ってきた。

 どうやら、レイスン家での給仕の仕事が終わったらしい。


「えへへ。なんか見慣れた天使がいるなーって思ったら、やっぱりナイちゃんだった。なんでこんな原っぱにいるの? おまけに、タマちゃんまで連れて。もしかして、お母さんを迎えに来てくれたの?」


「あ、えっと……そ、そうなんです。カルラさんに早く会いたいなと思って、それで」


「わあ、嬉しい。やさしい息子をもって、私は幸せ者だー」

 

 カルラは、僕が冒険者になることを嫌っている。千本の杖のことはもちろん、炎魔法のことやトレーニングのことも隠しておくべきだろう。 

 僕の咄嗟の言い訳に、背後にいるタマが念話で笑った。


〈ニヒヒ。嘘も方便っスね〉


〈うるさい。いいから、いまのうちにタマはその本を持って帰って。カルラさんに見つかったら言い訳がむずかしくなる〉


〈ああ、たしかに。この文献は専門的すぎるっスもんね。了解っス〉

 

 タマが本を持ち帰ったのを確認してホッと胸をなで下ろしていると、カルラが「でもね」とすこし真剣な語調で口を開いた。


「迎えに来てくれたのは嬉しいけど、これからはひとりで出歩くのは控えてね? 最近はなにかと物騒で、村の中でも危ないことが多いの。冒険者ギルドの受付さんの話では、近くの山奥でモンスターが活発化してきてるらしいし。もし出かけるとしても、陽が高いうちに帰ること。夜の外出は絶対禁止。わかった?」


「は、はい。気をつけます」


「うん、いいお返事。それじゃあ、一緒に帰ろ?」

 

 言って、カルラは僕の右手を握り、我が家への道を歩き始めた。





 帰路の途中。村の西側の外に位置する鬱蒼うっそうとした森に差し掛かったあたりで、カルラは急に足を止めた。


「ゴメン、ナイちゃん。ちょっと寄り道させてね」


 見ると、森の入り口付近に小さな『石』が建っていた。

 高さ三十センチほどの長方形の石が、地面に突き立てられている。土台周りには色とりどりの花が供えられていた。粗雑な作りだが、ちゃんと手入れが行き届いている。

 特に多く供えられているのは、紫色の茎に白い花弁が咲いている花だった。


「カルラさん。この石は?」


「ミレーちゃんっていう、幼馴染みの慰霊碑いれいひ。私のお手製だけどね」


 枯れた花弁をむしりながら、カルラは言う。


「つらい話になるけど、ココは、三年前にミレーちゃんの遺体が見つかった場所なの。だから、そのとむらいとして私が建てたんだ。もちろん、ご家族の方にも許可は取ってある。週に一度、こうして暇を見ては手入れをしに来てるんだ」


「幼馴染みの慰霊碑……」

 

 なるほど、と僕は胸中で頷く。

 三年前。僕が二歳の誕生日を迎えて以降、カルラの僕を抱き締める回数が増えた。

 あれは、冒険者の父の死に加えて、幼馴染みの死が重なったからだったのだ。

 思い返すと、二歳のときにカルラが真っ黒な服を着て出かけたことがあった。あれはきっと、その幼馴染みの葬儀のためだったのだろう。


「ミレーちゃんはすごいヤンチャな女の子でね? どんくさい私はいつも振り回されっぱなしだった。お屋敷を勝手に抜け出したり、無断で街まで遊びに出たり。遊び場を巡って、村に住む年上の男の子と喧嘩したこともあったな……えへへ、本当、連いて行くのがやっとだったよ。まあ、大人になって子供ができてからは、さすがのミレーちゃんもおとなしくなったけど」


「……ミレーさんは、事故かなにかで?」


「事故というか、なんというか……えへへ、ゴメンね? これ以上はちょっとナイちゃんには刺激が強い話になっちゃうから、いまは話せないや」


「そうですか……無理に聞いてすみません」


「そんな。謝る必要なんて全然ないよ。まあ、ともあれ」


 区切って、花の手入れを終えたカルラは「よいしょー」と腰を上げた。


「そういったことがあったから、ひとりで出歩くのも気をつけてほしいんだ。ナイちゃんまでいなくなっちゃったら、私はもう生きていけない。死ぬしかなくなっちゃうよ」


「……カルラさん」


「えへへ。まあでも、ナイちゃんに『お母さん』って呼ばれるまでは死ねませんけどね!」


 さあ帰ろー、と空元気に微笑んで、僕の右手を取るカルラ。

 茜色に照らされたカルラの横顔は、どこか物悲しい笑顔だった。


「――――」


 言い知れぬ罪悪感に胸の奥がキュッ、と締めつけられる。

 カルラのこんな切なげ顔を、これから一生見ていくことになるのだろうか? 

 そんなのは嫌だ。

 なら、どうすればいい? 彼女の無償の愛に、僕はどう応えたらいい?


 答えは決まっている。

 踏み出すのなら、ココしかないと思った。


「ナイちゃん?」


 慰霊碑を離れて十分ほど。自宅が見えてきたあたりで、今度は僕が足を止めた。


「あ、もしかして歩くの速かった? ゴメンね、今度はちゃんとナイちゃんに合わせ――」


「――き、今日の!」


 服の裾を握り締めながら、僕は勇気を振り絞る。

 自分でも、緊張で声が震えているのがわかった。


「今日の晩ご飯はなんですか……お、『お母さん』」


「――ッ、ナイちゃん、いまなんて……?」


「べ、別に、お腹が空いたから、献立を聞いておこうかと思っただけです……な、なにかおかしかったですか? お、お母さん」


「……えへへ、えへへっ」


 抑えきれないとばかりに笑ったのち、カルラは突如、僕を両手で抱きかかえて歩き出した。

 赤ん坊の頃よりだいぶ重くなっているはずなのに。案外力持ちだな!

 大事なぬいぐるみのように僕を抱き締めながら、カルラは僕の耳元で言う。

 位置的に表情は見て取れないけれど、その弾んだ声音から、満面の笑顔であろうことは読み取れた。


「今日はねー、ロードウィグ家秘伝のタレに浸けたカラアゲだよ。ナイちゃん好きでしょ?」


「は、はい。僕カラアゲ大好きです」


「ふふーん、お腹いっぱいにして幸せにしてあげちゃうからねー。楽しみにしてて」


「はい、期待してます」


 答えたあと、僕は目をつむって、静かに安堵の息を吐く。

 拒絶されなくて本当によかった。

 カルラが拒絶をするような人間だと疑っていたわけではない。

 ただ単純に、僕が臆病だっただけなのだ。

 こんなことなら、もっと早くに歩み寄っていればよかった。

 そうすれば、カルラにあんな悲しい顔をさせることもなかったのに。

 そうすれば。


「よかった……私たち、これでやっと『家族』だね」


 カルラにこんな切ない台詞を吐かせることもなかったのに。


〝――人によっては、ありがとうの一言が『大きな感情の揺れ』にもなるわけだし――〟

 

 カルラにとっては、ソレが『お母さん』の一言だったのだ。

 ギュッ、と抱く力を強めて、カルラは涙声でつぶやく。

 その表情は、見ることができない。

 いや、見る必要なんてない。


「ありがとう、ナイちゃん。ありがとう。私はもう、幸せでお腹いっぱいだよ」


「……お母さん、いままでゴメンなさい」


「えへへ。謝ることなんてないよ、謝ることなんてなにもないの」


「お母さん、お母さん……ゴメンなさい、お母さん」


「うん、ひぐっ……うん、……」


 僕がお母さんと口にするたび、カルラは肩を震わせて泣いていた。

 僕の両眼からも、せきを切ったように涙がこぼれてくる。

 他人を……いや、家族を想って涙する。

 魔人の頃には味わったことのない、苦しくも暖かい気持ちだった。


「ゴメンなさい、お母さん……でも、ありがとう」


 ありがとう、と。

 繰り返しつぶやき、僕はカルラの首元に強く抱きついた。

 夕暮れのあぜ道に伸びる影法師が、重なる『親子』を映し出す。


 はじめての家族、はじめての母親。

 この身に代えても守り抜こうと、僕はそう心に誓った。

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