第05話 千本の杖
転生してから五年が経った。
五歳になった僕は当然、喋ることも歩くこともできるようになっていた。
まだまだ小柄ではあるけれど、かなり活動範囲は広がった。
近所の住民たちとの交流も、だいぶ深まったと思う。
魔族だった前世。僕とタマは戦場に出たこともなく、人間から
そんなんだから、僕とタマの価値観や倫理観は、かなり人間に近いものになっているのだ。
こうして、分け
ちなみに。同じく五歳になったタマは、立派な成猫になっていた。僕の枕元でフミフミしていた子猫の頃がなつかしい。いや、大人になっても可愛いには可愛いのだけれど。
それはともかく。
「ナイちゃーん、スペシャルなお昼ご飯ができたよー」
「はい。いま行きます」
喋れるようになったことで、黒髪の巨乳女性ともコミュニケーションを取れるようになった。
彼女はやはり僕の母親で、年齢はこの時点で二十五歳。名を、『カルラ・ロードウィグ』と言った。
必然。僕の本名は『ナイツ・ロードウィグ』ということになる。
父親――『ダイ・ロードウィグ』は冒険者だったらしいが、僕が生まれる半年前に高難度のクエストで命を落としたのだそうだ。この家は、その亡き父親が残してくれたものなのだとか。
そうした、夫との思い出が詰まった場所だからか。
「ナイちゃんは、冒険者にはならないでね」
事あるごとに母親――カルラはそう言って、僕を強く抱き締めてきた。
二歳の誕生日を迎えてからは、その回数も特に増えたように感じる。
息子の僕にまで、父のように命を落としてもらいたくないのだろう。
強く抱擁されるたび、僕は抱き返すこともせずに、堅苦しい敬語でこう答える。
「わかりました、カルラさん」
僕は親という存在を知らずに育った。家族というものもよくわからない。
だから。カルラのこうした無償の愛に、どう応えたらいいのかわからないのだ。
「……えへへ。『カルラさん』、か」
まるで他人みたい、と。
カルラはさみしそうに微笑み、僕の頭をなでた。
カルラのその悲しげな表情を目にすると、どうしようもなくいたたまれない気持ちになる。
いっそ勇気を出して歩み寄ってみようか、とも思うけれど、いつも二の足を踏んでしまう。
怖いのだ。
欲を出して馴れ馴れしく接した瞬間、手のひらを返して拒絶されることが。
ガルランテのときのように、捨てられることが。
「ねえ、ナイちゃん……いつかは私のこと、『お母さん』って呼んでくれる?」
僕は、答えることができなかった。
□
のどかな農村、『モナルーペ村』。
僕たちが住んでいる村の名前だ。
母親のカルラは、その村の領主である『レイスン家』で給仕の仕事をするかたわら、村に住む十二歳までの児童たちにボランティアで勉強を教えていた。
ほんわかとした、どこか天然めいた性格にもかかわらず、存外しっかり者のようだ。
なるほど。カレンダーの横に世界地図が貼ってあったのは、授業で使うためだったのか。
そのボランティアのおかげか。この家の本棚には各科目の教科書やワイドパレンズの正史を綴った歴史書が陳列されており、古めかしい文献なども並べられていた。
現状をより詳細に知るため、僕はタマとふたりで、それらの書物をあさった。
そこで、僕たちは様々な情報を得ることができた。
「……転生したあと、こんなことになってたんだ」
二千年前。世界を脅かしていた魔王ガルランテが、こつぜんと姿を消した。
残された魔族四天王が魔王軍の指揮を
その六十年後に人間界に生まれた七つの希望……『七色の英雄』たちの手により、四天王は打ち滅ぼされることとなった。
四天王の死後。七色の英雄は残存する魔族モンスターを討伐していき、十年も経たないうちに全モンスターの八割を殲滅させた。残ったモンスターは、逃げるようにして山奥や渓谷に身を
その後。残存モンスターの討伐や新たな脅威にそなえ、七色の英雄たちは七つの国を建国。国家間で協力し合っていくことを約束した。
この盟約を、『
同時に、七ヶ国は国内各地に冒険者ギルドと『魔剣学院』を設立し、七色の英雄に代わる新たな英雄の育成に力をそそいだ。
それから二千年。ついに残存モンスターは一割を切り、世界は一時の平和を得る。
また、魔力を利用した『魔電力』の普及により、文明はさらなる進歩を果たした。
――と、いうことらしかった。
「ガルランテがいなくなっただけでほぼ全滅、か……四天王も別に弱いわけじゃなかったのに。ガルランテの力が圧倒的すぎたんだ」
〈ご主人。ちょっとコレ見てくださいっス〉
言って、タマは一冊の文献を
前足で器用にページをめくっていき、ある項目をタシッ、と肉球で踏む。
ワイドパレンズを支えし至高の魔法使い、『千の大賢者』と、その大賢者たちが魔力を込めて創り上げた宝具、『千本の杖』に関する記述だ。
〈ここに千の大賢者にまつわる伝説と、千本の杖の名称や能力が載ってるんスけど……あった。コレ、この杖の
〈えっと、なになに……〉
【
能力:使用することで、任意の対象に念話を送ることができる。
〈……あれ? これって〉
どこか見覚えのある情報だ。
どこで見知ったかは、覚えてないけれど。
〈オイラたちが使ってる念話って、この【念話の杖】の能力なんじゃないっスかね? 千本の杖と一緒に転生したことで、オイラたちの身体に千本の杖が
〈なるほど、千本の杖がね…………ゴメン、なんだって?〉
いま、ものすごい突拍子もない発言しなかった?
〈だから、千本の杖がオイラたちの身体に備わってるんスって。まあ、オイラたちの基礎的な魔力値が増えてないのを見ると、本当に別物として備わってるだけっぽいっスけど。融合じゃなく、むしろ隔離っスね。そうして、身体にストックされてる杖の能力を借りて……あるいは利用して、杖固有の魔法を発動する、みたいなイメージっスかね?〉
〈――――〉
〈ああもちろん、杖が備わってるってのは概念上の話っスよ? 物理的に、実物の杖が体内に埋め込まれているわけではないはずっス〉
〈まあ、実物だとしたら大変なことになってるはずだもんね……って、そうじゃなくて!〉
思わず前のめりになって、混乱気味に僕は言う。
〈千本の杖と一緒に転生って、なんで急にそんな話になるのさ! たしかに、あの宝物庫にはガルランテが奪い取ってきた千本の杖が保管されてたかもしれない。まあ、実物は見たことないんだけど……でも、あの魔方陣の中には杖なんて一本も――〉
〈次に、コレを見てくださいっス。ご主人〉
言って、タマは数ページめくり、新たな杖の情報を示した。
【
能力:任意の対象のサイズを、大小自由に変化させることができる。ただし、生物は不可。
〈……サイズを、自由に?〉
〈覚えてるっスか? ご主人。魔方陣の中に倒れ込む直前、ご主人が左手に『小さな宝箱』を掴んでいたことを。その中に、細い木の枝のような『棒』が入ってたことを――そして、転生の瞬間まで、ご主人がそれを離さずに掴んでいたことを〉
〈ッ――、まさか!〉
〈そう。あの細い『棒』こそが、大賢者たちが持っていたとされる千本の杖だった。ガルランテはきっと、千本の杖が収納されていた宝箱を【拡大縮小の杖】で小さくして、宝物庫の棚に置いといたんスよ。ご主人は倒れる寸前、偶然にもソレを掴んでしまった〉
〈……、……〉
〈目がくらむほどのまぶしさで見えはしなかったっスけど、ご主人がオイラを抱き寄せてたとき、ずっと背中に宝箱の感触があった。その感触があったからこそ、この推測を思いつけたんスよ。突拍子もない推測ではあるっスけど、こうして念話できてることを鑑みると、たぶん間違いないと思うっス〉
驚愕の事実に、座っているのに目まいがする。
たしかに、あの宝箱には数百……いや、『千本』近いつまようじのような棒が入っていた。
アレが千本の杖だとしたら、急に念話が使えるようになったことにも合点がいく。
なにより。文献を見たとき、僕はなぜか【念話の杖】の情報を見知っていた。
まるで、脳に刷り込まれていたかのごとく。
まるで――身体に備わっていたかのごとく。
〈ただ、オイラたちは互いに念話を送り合うことができてるっスから、杖の能力の効果は『半分』に分割されていると見るべきっスね。たとえば、本来なら1キロ離れた場所まで念話が可能だけど、半分になってるせいで500メートル先までしか届かない、みたいに〉
〈……能力が、半分〉
〈まだ信じられないって顔してるっスね。最後にひとつ、この推測を強く裏付ける証拠があるんスけど……ああ、コレっス。今度は、この杖を見てくださいっス〉
【
能力:大きな感情の揺れをスイッチに、対象者の潜在能力が解放される。
解放の瞬間、合図として脳内で金属音が響く。
〈転生直後。オイラたちは目を合わせた瞬間、
〈……聴いた。そうしたら、知らない知識が脳に流れ込んできた〉
〈オイラもっス。それが【感情解放の杖】が発動した証だったんスよ。それによって、オイラたちの中に潜んでいた【念話の杖】の知識が解放された。千本の杖に関する知識は、どうやらオイラたちの中で文字通り『潜在能力』として認識されているみたいっスね〉
〈杖の知識が、僕たちの潜在能力……〉
〈まあ。潜在能力の解放っていうなら、千本同時に解放されないとおかしい気もするっスけど、そこは逆に千本だからこそ、だと思うんスよね。オイラは〉
〈? それは、どういう意味?〉
〈たとえば、ご主人。ここに載ってる千本の杖の知識が一気に、それも一瞬でドサーッ、と脳に流れ込んできたら、どうなると思うっスか?〉
ギッシリ文字が綴られた分厚い文献を見つめて、僕は唖然と答える。
〈……脳がパンクする〉
〈っスよね。【念話の杖】のときは、単純な文字情報だけじゃなく、使い方なんかの思念情報もまとめて流れてきた。それが千本分となったら、まさしくパンクするっスよ。能力の解放と言いつつ肝心の対象者の脳を壊してたら、本末転倒もいいところっスからね〉
〈それもそうだね……〉
〈とまあ――とりあえず、ここまでの話をまとめると〉
区切って、タマは気持ち良さそうに伸びをすると、僕の目の前に行儀よく座った。
〈オイラたちのどちらかに、なにか大きな感情の揺れが起きると、千本の杖のうち、どれかの知識が解放されるってことっスね。まあ、転生レベルの衝撃的な感情の揺れなんて、そうそう起きない気もするっスけど〉
〈でも、そもそも大きな感情の揺れっていう定義が曖昧だよね。人によっては、ありがとうの一言が『大きな感情の揺れ』にもなりえるわけだし〉
〈そこは状況や環境、対象者の感受性にもよるんじゃないっスかね? ……そう考えると、無感情な人間には意味のない杖っスね、コレ〉
〈ちなみに。その解放は、一度につき一本だけなのかな?〉
〈あー、どうなんスかね? 確認できてるのが【念話の杖】ってだけで、ほかにも解放されてる杖があるかもしれないっスね。試しにほかの杖の情報、全部確認してみるっスか? 【念話の杖】の情報を見つけたとき、不思議と見知ってるような既視感を覚えたんで、見つけるのは簡単だと思うっス〉
それから。僕とタマは千本の杖の情報を読みあさった。
結果。ほかに解放されている杖の知識は『三本』あった。
【
能力:あらゆる炎魔法を使うことができる。
【
能力:成長速度があがる。
【
能力:基本ステータスの限界値がなくなる。
〈【促進の杖】は、鍛錬なんかにおける成長度合いが速くなるって感じっスかね? 経験値2倍的な。【限界突破の杖】は、最大99レベルまでのところを100を越えていける、みたいな感じっスか……うわ、成長し放題じゃないっスか、この組み合わせ〉
〈でも、どっちもいまは確認しようがない能力だね。実感しようがない、というべきか〉
〈たしかに。唯一たしかめられるのは【火焔の杖】だけっスかね〉
〈炎魔法、か……〉
魔人剣士とレッドスライムの頃から、僕とタマには生きる上で必要最低限の魔力値しか存在しない。
生来、魔法の素質がないのだ。
それは、体内を巡る魔力を見るに、この現世でも同じことのようだった。
炎魔法なんて上等なもの、使えるはずがない。
〈ニヒヒ。百聞は一見に、ってやつっス。ちょっと外で炎魔法を使ってみないっスか?〉
〈……いやいや、そんなまさか〉
そのまさかだった。
タマと一緒に家を出て、村の最北端にある
直後。ボオオオオォゥッッッ!! と、十メートルはあろう大火焔が天高く放たれた。
放たれてしまった。
〈うわお! すごいっスね、ご主人! じゃあオイラも――って、うおおおッ!? ご主人見て見て、オイラの口からも炎が出たっスよ! 身体の大きさの違いからか。さっきのご主人ほどではないっスけど、それでも結構な火力っス! 気分はドラゴンキャットだ!〉
〈――――〉
がおー! と楽しそうに炎を吐き散らすタマ。
チリチリ、と火の粉が舞い落ちる中。僕は呆然と自分の手のひらを見つめる。
この事実だけでも、僕の頭はパンクしそうだった。
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