2
行為の前に写真立てを倒すのは
「脱いでよ」
昔から、どういうわけか性の匂いのしない男だと思っていた。女子の間にいても、女性の間にいても、どういうわけか性の香りがしない男だった。浮いた話もなければ、それらしい雰囲気もなく、ただからりとした晴天のような性格の好さが、彼に一種の清廉さ、潔白さを付与していた。「変わり者の門倉」でさえわかるようなことだ、妻もそれは聡く感じ取っていたようだった。
だが、僕の見立ては間違っていた。
仕事が落ち着き僕が髪を伸ばし始めた頃、立花はおもむろに僕らの家にやってきて言ったのだ。
「先輩、溜まってるでしょ? 目閉じててよ。処理してあげる。奥さんだと思ってさ、ね?」
「また髪伸びたね。長くない? 切ろうか」
うなじに手を差し入れて後ろ髪を梳く硬い指が、首の付け根にあるほくろに触れる。僕の髪は肩につき、少し余るくらいまで伸びていた。いつもはヘアゴムで括っている。
「切らない。願を掛けているんだ」
「……そう」
立花はそれきり言って、僕の背中をまさぐり、押し開き、いつものように僕を抱く。否応なしに覚え込まされたそこの良さで、あるはずのなかった本能を呼び覚まされ、突き動かされ、魂ごと揺さぶられる。ベッドのきしみが聴覚から遠くなると、耳鳴りのように鼓動が聞こえてくる。
機械的な鼓動。
僕をさいなむ鼓動。
「こっち見て先輩、こっち……」
うつむいた顔をうわ向かせて口づけようとする立花を手で制する。
「何回も言ってるだろう、それだけはだめだ」
「俺は都合のいい浮気相手ってわけ?」
むっとする立花を押しのけて、僕はため息をつく。
「お前は一番最初『処理』と言った。本当はこんなはずじゃなかった」
「今日は先輩の方から呼んだんじゃん。俺とセックスしたかったんでしょ?」
と言いつつ動きは止めない。つくづく器用なやつだ。
鼻から漏れる息に気を良くして、立花は動きを変える。何度も幾度となく回数を忘れるほど知った手管のはずなのに毎度泣かされてしまう。そんな自分が、たまらなく嫌だ。
妻を裏切っているわけじゃない。妻を裏切るわけが無い。
愛しているのは杏奈だけだ。杏奈だけだ――。
立花と杏奈を同じ天秤に掛けている、その時点でもう手遅れなのだが、僕はそれには気づかない。気づかないフリをしている。この男を家に呼んだのだってそう、発散のためだ。たった一枚の紙から発せられる重たい空気に耐えかねて、呼べる人間を選べなかった。ただそれだけだ。
それだけのことだ。熱に浮かされながら、心臓が魚のようにびちびち跳ね回るような、そんな男のさがをあらわにしているのはそのせいだ。
高みに押し上げられて止まれない僕を、きつく抱きしめる後輩の腕が痛い。生理的にあふれ出した涙が止まらない。
「らしくないじゃん。どうしたの、
「なんでも、ない」
ぴっ、ぴっ、ぴっ、ぴっ、ぴっ、
立花の腕に抱かれたまま――規則正しい杏奈の音が、耳元で鳴り続けている。
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