院内感染 13

「終わった……のか?」

「ええ、ひとまずは」

 木月胎衣は少しばかり疲れた声でそう言いました。

 俺は頭の中で様々な場面が浮かんでは消え、ただ一言、「おつかれさん」とだけが口をついて出ました。横になっているだけなのにかたんかたんと体はストレッチャーの振動を感じていて、まだ夢見心地だったんですよね。彼女はただ黙って頷くと、その場に静かに座りました。

 舞い終えたばかりの彼女の少し紅潮した顔に汗がつう……と垂れ、床に燻っている火種を溶かします。ゆっくりと滴り落ちる汗のように、彼女はぽつりぽつりとことの顛末を語ってくれました。



 この町にはね、古くから信仰される存在がいるの。明治二十四年の灰振山大噴火、あなたも知ってるでしょう?

 あれは前触れもなく突然だった。

 噴煙が近くの村々をまるごと呑み込んで、何千もの人々が犠牲になったわ。

 灰振山のすぐ側に位置した当時の雨納芦村も例外じゃなくて、村人も、開拓者も、大人も、子どもも、身分性別年齢出自分け隔てなくあまねく土に還ったの。

 かわいそうに。彼らは誰かを怨む暇すらなかったと思うわ。

 でもそれから少しして、灰と死体に埋もれた大地に何かが生まれた。

 何かの通った後には色とりどりの草花が芽吹き、枯れることなく水が湧いて、そこから漂ってくる甘い匂いは生き物を呼び寄せて、大地は急速にかつての姿を取り戻していったわ。その力を崇め、信仰する者も出てきたりしてね。

 でもね。

 あれだけのことがあって、そんな簡単に元通りになるわけないじゃない。結局蓋をして見えなくしただけよ。

 この町は渇いているの。私たちが今立っているこの地面の下には、一体どれだけのものが埋まっているのかしらね。

 渇きが限界になるとどうなると思う?

 また欲しくなってしまうの。

 あんなもの、神様なんて呼べるものじゃない。

 あれは。



 話している間にも彼女の額からはとめどなく汗が流れ出ていて、次第にそれは滝のような勢いとなって地面に大きな池をつくりました。そのままあとりうむ中の残り火を包み込み、遂には中心にある肉塊をも飲み込もうとしたその時、肉塊がぶるるんと一際大きく震えました。

「うそ」

 彼女の均衡の取れた顔がぐにゃりと歪みます。

 突如正面玄関の方から獣の咆哮のようなとてつもない熱風が吹き込んで、俺は一瞬にして息ができなくなりました。きっとあまりの熱さに気道が焼かれてしまったんだと思います。

 吹き抜けの窓ガラスに大きな亀裂が入ったかと思うと、すぐに頭上に煌めくガラスのシャワーが降り注ぎます。

「ああああああっ」

 院内をつんざく叫び声に目を向けると、彼女の上には肉塊が覆い被さっていて、下半身は既にどろどろに溶け出していました。

「ぎづぎぃ」

 俺は息苦しいのも忘れて無我夢中で駆け出しました。とにかく彼女を救わなければと、体が勝手に動いていたんです。でも、すんでのところで崩れ落ちてきた瓦礫に道を塞がれてしまって、どかそうともがいているうちに彼女がいた場所は再び燃え広がった炎に呆気なく呑みこまれてしまいました。

 俺は無力感に苛まれて天を仰ぎました。

 でも悲しむ暇なんてなく、ばりばりと耳をつんざくような音とともに天井から瓦礫が崩れ落ちてきて、でも俺は避ける気力すらなくて、ただ黙って自分の視界が塞がっていくのを眺めていました。

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