院内感染 9
雨納芦市役所の同期である
かんっ、かんっ。
広場を薄ぼんやりと照らす古びた街灯の明かりに大きな蛾が群をなして突進し、光の中にきらきらと灰が舞っています。
かち、かち、かち。
広場は確か雨納芦モーンパークと呼ばれていたように思います。市街地に流入する
じ…じじじ。
でも今は夜です。
辺りに人気はなく、自然と顔の筋肉が強ばります。
慰霊碑を探している間にも闇はずぶずぶと濃度を増して、一寸先も見えません。狂ったように飛び回る蛾の羽音に混ざって、ボイラーから吐き出される冷風のごとき川音が耳をさらい、春だというのに身も心も冷えてくるようでした。
闇の中に灰振山から押し流されてきた溶岩がどろりと川全体を覆っていく様が浮かんできて、俺は慌てて自分の想像を打ち消しました。
「うわっ」
丁度その時耳の後ろを何かがかすめ、俺は堪らず飛び上がってしまいました。少し後に力尽きたようにべちゃりと落下した音がしたので、恐らく噴水辺りまで飛んで行ったのでしょう。気になって噴水を覗いてみましたが、そこには街灯に照らされた青白い男が水面に揺れているだけでした。
あの日水面に反射した俺の顔は、お世辞にも元気には見えなかったと思います。俺は疲れていました。彼女との食事で少し気分が晴れたとはいえ、ここ最近は相次ぐ怪現象との遭遇にどうにも神経が過敏になっていて、まるでホラー小説の主人公にでもなった気分だったんです。
それでも、俺は隅々まで歩き回ってなんとか目当てのものを発見することができました。それは生への執念とも呼べるものだったかもしれません。
噴水のさらに奥には堤防の反対側へ抜けられる小道があって、その周囲は背の高い雑草が生い茂ってこちらからは死角になっているのですが、そこに隠れるようにして、苔むして所々崩れ落ちた赤黒い岩が置かれていたのです。
岩は大体俺の腹くらいの高さがあって、岩の真ん中に埋め込まれた黒い大理石には犠牲になったであろう人々の名前が所狭しと刻まれています。
その荒廃した様子から、存在を忘れられて久しいのだとわかりました。千鶴子、和雄、ヤヱ、一郎……。人名をなんとなく目で追っていると、記号の羅列の中に聞き慣れた響きがあるなと思ったら、それは俺の名前でした。もちろん同姓同名の可能性も否定はできませんが、これまでの経緯を考えると恐らく違うでしょう。
慌てて病院に戻って彼女の自宅に電話したのですが、電話口からは諦めにも似たため息が返ってくるのみで。
「もうそこまで迫ってるのね……」
電話口から悲痛な——命の残り滓を絞り出すような声が漏れ、少しの息遣いの後に切れてしまいました。ああ、もう全部手遅れなんだなって俺はその時に悟ったんですよね。
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