院内感染 2

 きっかけは、そう、市立図書館で見つけた古い新聞記事でした。

 自他共に認める無類の恐怖小説好きだった俺は、以前からこの図書館に眠るという『雨納芦異聞録』なる書物が読みたくて堪らなくて、時間を見つけては図書館へ足を運んでいたんです。

 星新一の奇妙奇天烈な世界に魅せられ、小松左京の描く闇に恐怖し、菊地秀行の生み出すめくるめくエログロの海を耽溺した俺に取って、百年以上に渡ってこの町の不思議を綴ったというその本は、絶対に押さえておかなければいけない代物だったんですが。

「あら、こちら今読んでる人がいらっしゃるみたい。ごめんなさいね」

「なんだい、またかよ!」

 郷土資料として貸出を禁じられたその本は資料室でのみ閲覧できるんですが、このようにいつ訪れても先客がいるんです。

 それはつまり熱烈なファンがここにいるということなので、その事実がますます俺をゾッコンにさせました。

 その日も諦めきれなかった俺は館内をあてもなくぶらついていて、最終的に普段立ち寄らない新聞コーナーの長椅子に腰を落ち着かせました。公園へと連なる遊歩道の木々が窓の向こうに桜の帳をおろしています。木々のざわめきにも似た館内の喧騒に紛れ、新聞棚に陳列されたいくつかの記事をぼんやり眺めていると、ふと気になる見出しが目に飛び込んできて。


 【灰振山はいふりやまで大規模な噴火、死者四十九人越え】


 灰振山は大雪山連峰の一山で、ここ雨納芦市の幕湊まくみな地区の外れに位置する名山です。夏の太陽もどこ吹く風で年中白いとんがり帽子を被ったこの山は、街の盛り場に勝るとも劣らない雨納芦市随一の観光スポットとして、観光客がひっきりなしに登山に訪れます。でも……。

 ——これは一体全体いつの話なんだ?

 確かに灰振山で過去に大噴火が起きたことがあり、村が丸ごと呑み込まれて千人を超える人間が亡くなったとみなさんも歴史の授業なんかで習ったことがあると思います。でも、それもかれこれ百年も前の話で、それ以降は鳴りを潜めるように活動を休止していましたし、現在まで噴火の兆候だってみられません。

 改めてまじまじと新聞を見ると、刊行年は昭和十三年になっていて、全体的に黄ばんで文字も掠れ、新聞からは甘ったるい化合物の匂いが染み出しています。

 だから、酷い誤植だなあとは思いながらも、最初は単なる置き間違いだと思って軽く受け流そうとしたんです。

 折しも、世間が噴火による火災流で騒いでいた時文です。とある団体が定めた「過去2,000年以内に噴火した火山は活火山」に含まれてしまう灰振山を研究するために、古い新聞記事を引っ張り出す者も少なくないだろうと。でも、更に読み進めると、誤植ではなく意図的であることがわかりました。

 

 【ぽんっと乾いた破裂音が聞こえ、遠くに立ち昇る黒々とした噴煙を前にしても、私はその場から動けませんでした。

 眼鏡のレンズ越しに見るその光景は、不思議とニュースで目にするようなどこか遠い国の出来事に感じられたのです。

 そのうち噴煙がゆったりと広がりを見せたかと思うと、気づけば私のすぐ目の前にまで迫っていました。黒々とした熱さに触れてはじめて全てが手遅れなんだと理解できました】


 まるで小説のような書き振りの記事に、館内なのも忘れて俺は思わず「何だこりゃ!」と素っ頓狂な声を出してしまい、近くの利用者からじろりと睨まれたのを覚えています。

 俺は取り繕うように「やあ失敬失敬」と呟きつつも、記事のある部分に釘付けになりました。


 【重度の熱傷を負った登山客たちは、ひっきりなしに市立雨納芦病院に運び込まれ、院内は混乱と狂気に包まれました。医師や看護婦の怒号が飛び交い、処置室は灰まみれの患者でごった返し、院内はまるで地獄のような有様で……】


 それはまさに寝耳に水でした。こんな悪趣味な悪戯を、あろうことか病院に勤めている俺が引き当てるなんて……と。もちろん、うちの病院に運ばれた事実はありませんし、過去のカルテや馴染みの看護婦さんからも、そんな話はただの一度も聞いたことがありません。

 とはいえ、妙に生々しいその記事は嘘だと分かっていても気分の良いものではなく、俺は当初の目的も忘れて足早に市立図書館を去りました。

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