第四話
ダイコウの本分 1
暗い部屋で男が一人膝を抱えて震えている。
きしゅ、と
「許してくださいよお……」
脱色された茶髪に派手なピアスをいくつも空け、剃り込みが入った薄い眉をへの字にしながら男は虚空へと祈る。カビて萎びた食パンのように所々染み付いて不健康な青肌と矢印のように尖った顎を持ち、落ち窪んだ眼窩からギラギラと血走った細い目が忙しなく行き来する、神経質の塊のような男だ。天高く上げた腕の裾からは蛇の刺青が執拗にのぞいていた。
一見するとヘマをして兄貴分に許しを乞うているようだが、部屋の中には誰もいない。男さえも心はここにない。
この状況に似つかわしくないバラエティ番組の乾いた笑い声が破れた網戸に虚しく響いている。締め切ったカーテンに吸い込まれる。テレビから漏れ出る声はただ言葉の、文字の羅列であって、魂もなく死んでいる。
「ちょっと触っただけですって」
その言葉は自分に向けられたものなのか、果たして。テレビ画面の明滅に合わせて男の表情がころころ変わる。涙と涎と汗を垂れ流しながら混ざり合いながらころころ変わる。
「む」
不意に、一言。挙動不審だった男が目を見開いたまま静止した。静止させられた。誰に。何を。男の顔は熟し過ぎたトマトのように今にも破裂し崩れそうだ。
「い、や、だ」
口をぱくつかせ、激しい眼振、でも体はピクリとも動かない。テレビは笑ってる。その笑い声は誰のものか。あはははは。死んだ言葉が部屋の中に渦巻いた。
「あーーーーー」
叫び、男がすっと立ち上がり、棒立ちのまま再び叫び、座る。それは円環を成す終わりが来るまでの永遠にも似た動作の繰り返しだ。
「ぱふわぁ……」
パンパンに膨らんだバランスボールを叩いた時のぼうんというくぐもった音が黄ばんだ壁の染みに反響して、届いた時にはもう炭素と酸素と窒素と水素は霧散して。残ったのはわずかな元素か魂か。仮に魂というものがあるならば、男の無念はいかほどか。漏れ出た言葉はあまりにか細く弱い。
部屋にたちまちしゅああと白い幕が貼られていき、場面は転換して暗褐色の終末の風景が広がっていく。
雨だ。
恵の、憂鬱な、そこに人がいなければただの事象だ。感情はない。ただ渇いている。
暖雨は乾いた部屋を、土地を、怨念を潤す恵みとなり、ぱたぱたとプラスチックが弛み、床にたぱたぱ弾けて散らばって、それっきり。
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