楽園 2
「いやぁ、楽勝楽勝」
小綺麗なアパートの一室で、阿戸野松利は昼間から酒をあおりながら地元の友人とスマートフォンで通話していた。その表情には雄弁な政治家のようにギラついた自信と充実感が滲み出ている。
普段パチンコ屋に入り浸っているせいで、誰もいないのに知らず知らずに声が大きくなっている。
「お前の言うとおり、保護申請余裕だったわ。これ、マジで最高の仕組みじゃん。金なくて死ぬって言っときゃ申請通るんだからよ。わはははぁ」
寝返りを打った拍子にキングサイズのベッドがみしりと大きく軋む。アスファルトからの熱気で歪む眼前の景色とは対照的に、室内は鳥肌が立つほど冷え切っていて、エアコンが命の限り唸り声を上げていた。
オートロックにエアコンも完備された13階建てのこのマンションは、もちろん生活保護法で定められた基準内の物件ではない。阿戸野は普段、風俗店で働く地元の後輩、
「俺があんなボロアパートなんかに住めるかっての。ここ? 四布の家。あいつバカだけど金だけはあっからさぁ。は? 酷くねーだろ。あんなブスと一緒に居てやってんだから。なあ?」
件のアパートは生活していないから高熱水道費の類は一切かからない。普段の生活費も全て四布に出させ、振り込まれた“最低生活費”たる保護費は家賃以外全てパチンコ代に消えていた。
それでも、例えば保護費を使い切りどうしようもなくなって窓口で泣きついたり、音信不通になったりでもしない限り、一人で何十世帯も抱えるケースワーカーがケースの普段の行動を把握することなどできないのだ。ケース同士には強固な繋がりを持ったコミュニティが存在し、阿戸野は“情報提供者”たちからそう教わった。不正受給が判明するきっかけも、そうした同じケースからの密告がほとんどだという。
「そーそー、訪問ダルいよな。働いてないからすげえ来るのよ。え? 今更働かねーよ。だって俺、メンタル(笑)だから」
生活保護には稼働の義務があり、働ける年齢の者は原則働かなければいけないことになっている。少しでも稼いで保護費の支出を減らしつつ、稼働による控除を通してその先にある自立を見据えて労働の喜びを味わってもらうという訳だ。
阿戸野は制度に一生ぶら下がる気満々であるが、だからといって働く気は微塵もない。そこで思いついたのが“演技をする”であった。
「なんか担当のガキが働け働けうるさくてよ。ま、ちょっと辛いフリしながら診断書見せたら何も言えなくなってたけどな。ばぁか、元気に決まってんだろ。昨日も朝まで飲んでたわ。わははは」
申請時、精神的な病のために働けないことを担当ケースワーカーに申し出ると、それなら証明のために病院を受診するよう指示があった。
悪知恵の働く阿戸野はコミュニティと自身の取り巻きたちを駆使して情報を集めると、評判の良い近くの診療内科——つまりは患者の訴えを鵜呑みにしてくれそうな病院をすぐに受診した。両親の死が四六時中頭から離れない、動悸がして夜も眠れない、やる気が起きず布団から出られない……。思考がまとまらず、それでいて感情的の抑制が聞かないように語ることで、まんまと医者から望む答えを引き出したのだ。
「軽度のうつ病ですね。まずは3ヶ月療養した方がいいでしょう。お薬を出しますのでその間は働かないでお休みしましょう」
発行された医師の診断書があれば、働くことは免除される。未就労のケースが参加を強制される就労支援プログラムでさえも、人との接触が怖いと言ってしまえばそれまでだった。
「どんだけ借金あっても自己破産で完済、病院もタダ。おまけに処方薬をメンヘラに売ってればこうやって寝床までゲット。ぶは、人生イージーモードだわぁ。ここはマジで人生の楽園だな。どいつもこいつも俺のために働け笑」
阿戸野は重い体を持ち上げて窓に近づくと、薄ら笑いを浮かべながら眼下を見下ろした。このマンションの斜め向かいには古びたアパートが建っていて、烏の糞にまみれゴミの散らばった掃き溜めに群がる生気のない亡者達を阿戸野は優越感に浸りながらいつまでも眺めているのだった。
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