幕間2 『雨納芦異聞録』
『
二十二 灰男
灰雪が降る日は不思議なことが起こるという。
鈍色の輪郭は酷くぼやけ、目を凝らしても表情ははっきりとわからない。
ゆらゆらとした動きに目を奪われて手を振り返すと、男は灰のように忽然と消えたという。
しばらく窓を見たまま呼びかけにも反応しなかったが、豊治は急にむせ混み出して、口から大量の灰を吹き出して陸で溺れてしまったそうだ。
同じ地区の長門右衛門の話。
三十五 板垣さん
そこは天井の低い地下室で、中には腰の折れ曲がった老父が暗がりで椅子に腰掛けていた。
よく見ると、椅子は裸の人間だったという。
老父は五郎の手に合った酒をひったくると、そのまま暗がりに溶けてそれっきりだった。
残された五郎は妙に居心地の良いその場所が気に入って、入り口を近くにあった鉄板で覆って住み着いてしまった。
次第に彼の存在は忘れられ、板垣さんという名前だけが今も残っている。
四十四
トキ子は森から漂う甘い匂いに誘われて、森の奥深くに迷い込んでしまった。
濃い霧の中を夢見心地で歩いている内に、気づけばトキ子は底なし沼に首から下まで埋まっていた。助けを呼んでも誰も来ず、ただ時間だけが過ぎて行った。
どれくらいそうしていただろうか。
ふと、背後から何かがゆっくりと這う音が聞こえてきた。それはカブトムシの幼虫を大量に集めてすり潰したような粘ついて皮膚が粟立つ音だったという。
振り返ろうにも首すら動かず、必死にもがいている内にやがて音は背後で止まり、ぽたり…と頭の上に滴が落ちてきた。
それは閉め忘れた蛇口から水が漏れ出るようにたぱ……たぱ……と一定の間隔で頭蓋を打っている。
焦げ臭い匂いと共に顔を滑り落ちる何かに、トキ子はゆっくりと侵されていったそうだ。
翌朝森の中で発見された時、トキ子は頭部が溶け出て脳がむき出しになった状態だったらしい。
少しずつ自分が失われていく恐怖と戦いながら、正気を失わずに必死に音の正体を見ようとしたのだろう。
トキ子は目だけを異様に上に向けたまま、笑顔で事切れていたそうだ。
四十九 孤独の部屋
つい近年の事である。
脳出血で倒れて寝たきりになった神琉地区は
これは一人だけ五体満足に生還した足泊地区の玄弥という若者に聞いた話である。
その部屋は一見すると普通だが、入ると見えない壁に遮られ、容易には出られない。床板がどす黒く腐り落ち、土が剥き出しになった地面からとめどなく黒い霧が噴き出していて、それを吸うと頭にとある記憶が流れ込んだという。
それは両眼を潰したくなるほど悍ましく、それでいて震えるほど甘美な暗褐色の世界であったそうだ。
どうやって部屋から出てこれたのかは言いたくないと、そう話す男の瞳には、妖しげな光が宿っていた。
六十六 探さないであげて
夜の街灯には羽虫のみならずこの世ならざるものも群がるという。
神琉地区は
そこには人物の詳細もなく、たった一言「探さないであげて」とだけ記されていて、顔写真は不明瞭で判別不可能だったそうだ。
某は逆に興味が湧いて貼り紙に触れようとしたが、何故だか肌が粟立つような恐ろしさを覚えて慌てて手を引っ込めたらしい。
急いで通り過ぎると、背後から大きな舌打ちが聞こえてきたという。
六十九 充て職
足泊地区にある雨納芦中央署では、かつて副署長にだけ凶事が続いたことがあった。
それは当時世間を騒がせた溶解処分絡みの不祥事が原因とも、単に副署長個人の因果とも言われている。
初代は職務中にぐずぐずに溶けて肉の塊となり、二代目は警察車両の運転中に車が炎上して消し炭となった。三代目から五代目までは頭に響く声に従って数か月もすれば居なくなった。
そのため、悩んだ末に外部の既に影響を受けた者を副署長に据えたところ、それからはピタリと止んだそうだ。
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