正体見たり、灰の雪 6
「……ていうケースが居てさ」
「それはまた大変そうね」
大衆居酒屋「けむり」の個室で、正面に座る同期の木月胎衣が力なく微笑んだ。
七輪の上ではジンギスカンと味噌ホルモンが油と手を取り合ってワルツを踊り、じゅわりじゅわりと肉が溶けだす気持ち良い音を奏でていた。
私たちの目の前にはたっぷり味の染みたもつ煮込みとさくさくの大きなザンギといった品々がひっきりなしに運ばれてくる。
「ね、食べないの?」
どれもこれも悪魔的な香りと美味さで私を誘惑し、気づけば料理の大半を私一人で平らげていた。
「遠慮しておくわ」
入庁当初の凜としてバリバリ働いていた頃の面影はすっかり鳴りをひそめ、荒れた肌と目の下の大きな隈はまるで入院患者のようだった。
「本当に大丈夫?」
「ええ、なんとか……ね。やっぱり一筋縄ではいかないわ、この町は。基準もファジィだし。それより、あなたこそ大丈夫なの?」
「え、私? 別に何もないけど……」
「ならちょっと背中を見せてくれるかしら」
「うそ。よくわかったね」
実は、数日前から私の背中には拳大の瘤のようなものがいくつもできているのだ。大したことじゃないから特に気にしていなかったけど、少しの違和感も見流さない彼女の観察眼に敬服する。
「それだけ撒き散らしていれば嫌でも気づくわ。一体どうしたのよ、それ」
「ええと、帰宅途中に見慣れないポスターがあったんだけどね——」
その日、薄暗い街灯の下に人探しのポスターを見つけた私は、何故だかそれが無性に気になって灯りに群がる蛾のようにふらふらと引き寄せられていった。間近で見ると写真は酷く不鮮明で、おまけに横に細長く引き伸ばされていて、誰の顔だかまるでわからなかった。
「だから、何となく触ってみたんだけど——」
その瞬間、こそばゆい感覚が指から肩にかけて這い上ってきたかと思うと、気づけば顔写真は消え、代わりに私の背中に写真のような瘤ができていた。
「——という訳なんだよね」
「何で触るのよ……。ほら、見せて」
彼女はそう言って私のシャツを捲ると、水底で唱える祝詞のように聞こえそうで聞こえない言葉を呟き始めた。
「※※※※※※※」
しばらくするとふっ……と嘘のように背中が軽くなって、瘤は跡形もなく消え去った。
「はい、これで大丈夫よ」
「うわぁ、ありがとう!」
これで寝る時に仰向けで寝れなかったり、夜な夜な呻き声に悩まされずに済みそうだ。
「ほんと、日和は世話が焼けるんだから。他にはないでしょうね」
「えへへ、いつも頼りにしてます。流石に他には……」
そう答えてすぐに、仕事中に見た不思議な夢のことを思い出した。
「それ、灰男ね。この町に古くから伝わる——いわゆる都市伝説みたいなものかしら」
「そうなんだ。初めて聞いた」
彼女は由緒正しき巫女の血を引いているとかで、色々と不思議な事象に明るかった。
「そう。なら、雨納芦市の由来がアイヌ語で灰の降る町だってことは?」
「それは流石に知ってるよー。灰雪、綺麗だったなぁ」
北海道にはかつてアイヌ民族が暮らしていて、アイヌ語由来の地名が数多く根付いている。私の担当する足泊地区は確か『おそろしい場所』の意味だったはずだ。
「灰男も同じよ。元となる骨があって、長く語られることで初めて形作られ血肉を得るの。灰男の由来はこの町の不思議を集めた『雨納芦異聞録』に記されていると思うわ」
「わ、詳しいね。その本なんだか面白そう」
彼女は私と一回り近く歳が離れているが、趣味や感覚が驚くほどぴったり合う気の置けない友人だった。
「ふふ、貴方は本当に変わらないわね。これからもずっと、そのままの貴方でいてね。私は諦めない。諦めたらもう、そこで終わりだから」
「ありがとう! よくわからないけど、私は私だから心配しないで。木月さんこそ無理しないでね」
私と彼女を含めた三十三人の同期も、最早満足に稼働できているものは半分にも満たなかった。
事実、目の前の彼女も風が吹けば飛んでいってしまいそうなほどに疲弊している。彼女の他に付き合いがあるのは契約代行課にいる不動なごみくらいのものだろう。
「日和、いつもありがとう。あなたがいるから私は……。これ持っていって」
「え、いいの、ありがとう!」
彼女から手渡されたのは透明な小瓶だった。底の方には金色の砂が入っていて、傾けるとさあああああと柔らかな音を立てて砂が移動した。
「きれい……」
何度か夢中で傾けていると、小瓶ごしの彼女の姿が妖しく揺らいでいき、曖昧な笑みを浮かべたまま砂の波に攫われていく。
どうやら私の方も大分酔いが回ってきたみたいだ。
鉛のように重くなる瞼に任せ、私は心地よい微睡の中に落ちていった。
これからも、木月さんとの付き合いを大切にしていけたらいいな。
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