幕間1 邂逅
しゃわしゃわしゃわ。
柔らかな陽光が背の高い木々に降り注ぎます。
淡緑の葉は歓喜の歌を口ずさみ、森に迷い込んだ者達を盛大に歓迎するのです。
大地は、渇いていました。
身悶えして喉を掻きむしるほど渇いていました。
だから大地は死体を思わせるひんやりとした土壌で自らを覆い隠し、甘ったるく湿った赤や黄色の毒々しい植物の香りで焼け焦げた匂いを遠ざけるのでした。
森の奥の奥、一筋の光も届かぬ深淵の中に、それはいました。いつからいるのかはわかりません。いつの間にか、さも当然のようにそこに在ったのです。
べちゃり、べちゃり…とそれが体を引きずると、その跡はたちまち暗褐色に包まれて、焦げついた匂いは一層濃くなります。夢見心地の徘徊者たちは、そこで初めて気がつくことでしょう。これはまごう事なき悪夢である……と。
それがとろりと頭を垂れ、近づこうものならもう。
「あっ、ああっ、ああああっ!」
彼らはおよそこの世のものとは思えない醜悪な外観を目にするだけで怯え、激臭を放つ吐息に悶え、動くたびに身体が崩壊していく様に狂い、例外なく自らも脳髄ごと溶け出すのです。
そうして大地は少しだけ潤い、そして、すぐにまた……。
「なんじゃあ、こん皮ぁ」
最初は、困惑でした。
ぐずぐずと溶け出すそれを目にしても、それが何なのか誰もわからないのです。
ぐじゅるるぅ。
森に迷い込むものは絶えず、それは決まって彼らに近づきました。崩壊と再生を繰り返しながら何度も近づいて近づいて近づいて…。
いつしかその森は迷いの森と呼ばれるようになりました。
「……」
それは、言葉を持っていません。意思というものがあるのかもわかりません。ただ、地面奥深くから纏わりつく渇求が、体が完全に崩れ去ることを赦しませんでした。
「おお、おお、◼️◼️◼️◼️◼️。どうか村のものをお救いくだされ」
じゅうううぅ。
森から生還したものたちが、それの存在を広げていき、その悍ましい外観と人智を超えた現象から次第にそれは畏怖すべき信仰対象へと変わっていきました。
「なんっ……だ、これええええ」
とろぉり。
そこから長い長い年月が経ち、今ではそれは、禁忌へと成り果てました。罪を犯したものを裁くための罰になったのです。
大地は変わらず渇いていて、それ自体は何一つ変わっていないのに、その上に二本の足で立つ人間たちの願いだけが醜く歪んで変容していったのです。
あれは、いつだったでしょうか。
森に小さな女の子が迷い込みました。じりじりと大地を焦がす太陽の光も、ここには僅かしか届きません。奇妙に捻じ曲がった森の木々たちが女の子を唆し、森の奥深くへ誘います。
「うわぁ、なにこれっ!」
女の子はそれを見つけて少し驚いた様子でした が、目には好奇の色がありありと浮かんでいました。女の子は辺りをキョロキョロ見渡すと、一直線にそれ目掛けて駆け出しました。
「ねえ、ひとりなの? こんなところでさみしくない?」
女の子はにまぁと笑うと、まるで昔からの友人のように自然にそれに話しかけたのです。
「……」
当然、それは応えることなどしません。ただ、溶け出る巨躯を少しだけ揺らしました。
じゅううう。
「わあ、おもしろーい!」
女の子は飛び散った表皮が木々の幹を焼き、植物の葉を焦がして身悶えする様を手を叩いて喜んでいました。
「ねえ、かくれんぼしようよ。ここ、ひろいしゼッタイおもしろいよ!」
飛び散る表皮が幾度となく服を焦がしましたが、女の子は気にしていないようでした。
「……」
「じゃあきみがおにね! よーい、スタート!」
女の子が勢いよく駆け出して、森は俄かに色めき立ちました。
「もーいーかい、もーいーかいっ」
女の子は剥き出しで地を這う木の根や、ぐずぐずと溶け出す汚泥、捻れた草花を興味津々に眺めながら、隠れる場所を探します。
「まぁだだよ、まぁだだよっ」
それは、動くのをやめて女の子をじっとみていました。
しばらくそうしていると、不意にどこからか女の子を呼ぶ声が聞こえてきました。
「おおーい。おおーいっ」
「あ、ママだっ。あたしもうかえらないと。またこんどやろうね! ヤクソクだよっ!」
女の子は声の方へ勢いよく駆けて行きました。
それは、去っていく女の子の背中をいつまでもいつまでも見ていました。体を震わせながら、森から出ても、ずっと。
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