ほこらをこわしちゃった!
杉野みくや
ほこらをこわしちゃった!
「いくぞー!」
遼太の声にあわせて、ボールが地面を勢いよく転がっていく。それを右足で受け止めた浩介は遼太の守るゴールに向かってボールを蹴り出した。
それを防ごうと、悠大が立ちはだかる。背は浩介よりも低いが、力強さはこの3人の中で一番だ。油断はできない。
サッカークラブで練習したばかりのフェイントを織り交ぜながら、なんとか出し抜こうと試みる。対する悠大も、身体を入れ込んで懸命に防ごうとしてくる。
左に体を傾けると、悠大もすかさず同じ方向に動き始めた。すかさず、ボールを前へ蹴り出すと、悠大の両足の間を綺麗に抜けていった。
「しまった!」
と叫ぶ間にボールに追いついた浩介は、遼太の守るゴール前へと躍り出た。
「行くぞ!」
「来い!」
「とりゃああ!」
浩介の蹴ったボールは宙高く舞い、キーパーの手を軽々と飛び越えた。勢いづいたボールはどんどん小さくなり、植え込みの奥へと消えていった。その直後、ボールが飛んだところから「ズドン!」という音が返ってきた。
「っ!!」
3人は互いに見合ったまま、しばらく動けなかった。御歳9才を迎え、物事の良し悪しを察せられるのには十分な年齢だった。
気づけば、3人とも音のした方へと足が動いていた。セミの鳴き声と共に気まずい空気が流れる中、気を紛らわせようと浩介が口を開いた。
「あそこって神社みたいなのあったよね?」
「あったな。めっちゃちっちゃいやつだろ」
「しかもボロい。お参りしている人なんか見たことないけどな」
そこそこにけなしながら歩いて行くと、やがて目的の場所にたどり着いた。
公園に隣接した小さな正方形の敷地。その入り口となる小ぢんまりとした鳥居をくぐって中に足を踏み入れる。正面には見るからにボロボロに祠がひっそりとたたずんでいた。壁や屋根はすっかり黒ずんでおり、触るとザラザラしていた。大きな木々の真下にあるということもあって、夏でもそこそこヒンヤリとしていた。
祠のへりに立って屋根を覗くと、見事に綺麗なまんまるの穴が空いていた。そして祠の中には、浩介が蹴っ飛ばしたサッカーボールが転がっていた。
「見事に"ゴール"してるな」
「言ってる場合じゃないでしょ!?これどうしよう?」
「落ち着け。ボールを取ってすぐ逃げればバレないって」
遼太にそそのかされた浩介は、しぶしぶ穴の中に手を入れた。元はといえば浩介が蹴っ飛ばしたせいなのだから、当然っちゃ当然だ。
懸命に腕を伸ばすが、あとちょっとのところで届かない。こんなことになるならちゃんと牛乳を飲んでおくべきだった、と今更ながらに後悔した。
だからといって急激に背が伸びる魔法なんて存在しないことは分かっているので、今は頑張って手を上下させるしかなかった。
「ど〜?」
「うーんっ、あと、ちょっとなんだけどな」
「あ、いいこと思いついた。悠大、そっちの足を持ち上げてくれ」
遼太の思いついた「いいこと」ってなんだろう?と考えていると、両足が宙に浮くような感覚を覚えた。危うく顔面が床にぶつかりそうになったが、とっさに手をついたおかげでなんとか衝突は免れた。
「俺たちが足おさてえるから、これでどうだ?」
「ありがとう!これならいけるかも」
穴の境界がお腹に食い込んでとても痛かったが、ここが粘りどころでもあった。屋根がミシッと軋んだような気がしたが、早くボールを取ってしまえば大丈夫なように思えた。
ぐっと腕を伸ばし、手を何度も上下させる。だがそれでも、指先がボールの皮をなぞるのが精一杯だ。
「まだ取れないのー!?」
「そろそろ、腕とか足とかヤバいんだけど」
「ほんとに、あとちょっとなんだって!」
歯を食いしばりながら、浩介は必至に腕を伸ばした。
何度もボールに指が触れるにつれて、ほんのわずかではあるが指の触れる面積が増えていくように感じた。そうして何度目かの挑戦でようやくその表面をがしっと捕らえた感触が5本の指から伝わった。
「つかんだ!」
そう叫んだ直後、身体がぐらりと浮くような感覚を覚えた。
「おい遼太!踏ん張れよ!」
「悠大こそ!ってうわあ!?」
バランスを崩しそうになった悠大と遼太はほぼ同時にボロボロの壁に身を預けた。
すると、メキメキという嫌な音と共に、壁ごとどんどん前に倒れ始めた。
「たお、たおれるたおれるたおれる!」
「うわあああ!」
ボールが屋根を貫いたときとは比べものにならないぐらい大きな音を立てながら、3人は祠ごと床に正面衝突した。
「いてて……」
「大丈夫か?」
「うん。なんとかね」
顔に鈍い痛みが残ってはいたが、幸いケガはしていなかった。
ホコリっぽい空気にむせながら立ち上がろうとしたそのとき、壊れた板材の隙間から何かが見えた気がした。なんだろう?と思った浩介は少し顔を近づけてみた。すると、暗がりの中でうっすら微笑む小さな灰色の生首がこちらを向いていることに気づいた。
「うわああ!」
思わず飛び上がって後ずさりすると、それはお地蔵さんの頭だということに気づいた。穏やかに微笑んでいるように見えるが、それが逆になんとも不気味に感じられた。
急いで飛び降りた浩介に続いて、2人もへりから降りていく。服はとっくにほこりまみれになっていた。
「どうしよう?」
「どうするもないだろ!さっさと逃げるぞ!」
「え、でも」
「いいから!」
悠大に強引に手を引っ張られながら鳥居をくぐると、ひとつの人影とぶつかった。上を見上げると、無精髭を生やしたけだるそうなおじさんと目が合った。
「なにしてんの、こんなところで」
おじさんは後ずさりする子供たちを不思議そうに見つめた。浩介たちはとっさに手を広げて後ろにあるものを隠そうとしたが、いかんせんおじさんの身長はとても高かった。かかとを少しあげるだけで、「あらら」とこぼした。
「あ、えっと、その」
浩介たちがあたふたしていると、おじさんはポケットから取り出したたばこに火をつけながら、「壊しちゃったの?それ」とくだけた感じで尋ねてきた。
「へ?」
「ありゃ、聞こえなかったかい?それ壊したの、君たちかい?」
3人は顔を見合わせた後、おそるおそる首を縦に動かした。するとおじさんはたばこの煙を吐きながら、「ふーん。こりゃまた、大変なことしちゃったねえ」とこぼした。重ったるい匂いに思わず鼻をつまみたくなる。
「あの、おじさん。これ直せたりしない?」
「俺がか?直せる訳ねえだろ!」
そう言い飛ばしてはっはっはと笑い声をあげた。3人がきょとんとしていると、おじさんは腰をかがめて視線を合わせてきた。
「けどよ。俺も鬼じゃねえさ。君たちと会うのは初めてだしな。ここはひとつ、見なかったことにしてやろう」
「っ!?」
それは浩介たちにとって、願ってもみなかった提案だった。おじさんが誰にも言いふらさなければ、親や先生にこっぴどく叱られるという最悪の事態も避けられる。
「いいの?」
「ああ、俺は別に構わんさ」
ニコッと微笑んだおじさんにつられて、浩介たちも頬が緩んだ。
そのままたばこを口に持って行ったが、くわえようとはせずに祠の方に目を向けていた。
「ま、祠の主が留守番だったかまでは責任取れねえけどな」
妙に低い声でつぶやかれたその言葉を聞いた浩介の頭に、あの首の取れたお地蔵さんの顔がちらついた。あくまで穏やかな顔を見せておきながらも、不気味なものを感じさせるその表情は、思い出すだけで背筋をこわばらせた。
「ど、どういうことだよ!」
「いや何も?ただ、たいそう古い祠だから、祟りなんかが降りかかるかもしんないなって思っただけさ。というわけで、せいぜい生き延びろー、少年たち」
そう告げると、おじさんは手をひらひらさせながら去って行ってしまった。
残された3人はしばし放心状態になっていたが、やがて町中から17時を告げるゆったりとした音楽が鳴り始めると3人はゆっくりと帰路につき始めた。
マンションまでの道中、3人はほぼ何も喋らなかった。祠を壊してしまったこと。おじさんの意味深な言葉。それらが言葉にできない恐怖となって背筋を伝う感覚はとても生きた心地がしなかった。
エントランスにつくとようやく、肩の力が抜けたような感じがした。
「んじゃ、また明日」
「また明日ね」
別れを告げた浩介はいつもより早歩きで家に向かっていった。家の扉を開けると、カレーの匂いにつられてお腹がぐ~っと音を立てた。
夜ご飯を食べ終えると、浩介はすぐにお風呂に入った。温かい湯船に浸かって少しでも気を落ち着かせようと考えたからだ。
家に入れば安心だ。そう思っていたが、どこか気持ちが落ち着かない。ふとした瞬間に今日の出来事を思い出してしまうのだ。
(……いや、今は忘れるんだ。明日になってから考えればいいじゃないか)
そう自分に何度も言い聞かせながら、シャンプーを洗い流す。汚れと一緒に不安もいくらか洗い流される気がして少しだけすっきりした。
(そうだよ。考えすぎだ。俺たちとおじさん以外に誰かが見てた訳じゃないんだから)
ほっとため息をつきながらシャワーヘッドを置こうと前を向いた。その時、心臓がバクンと音を立てた。目の前の鏡に、あのうっすら微笑む灰色の顔がはっきりと映り込んでいたのだ。
「うわああああ!」
思わず椅子から転げ落ちた浩介は後頭部に鈍い痛みを覚えた。これしきの痛みで泣くような歳ではないが、それでも自然と涙が滲んでくる。心臓の音が外まで聞こえてしまうのではないかと思ってしまうほどバクバクしていた。
ヒリヒリする頭をさすりながら体を起こし、おそるおそる鏡に目を向けた。
しかし、鏡にはただ泣きそうになっている自分しか映っていなかった。
そのことを話そうにも、お父さんとお母さんは絶対に信じてくれない。そう感じていた浩介はさっさと歯を磨いて布団に潜り込んだ。鏡に映ったあの顔がまぶたの裏に投影される度に、頭をぶんぶん振って追い払った。
それからどれくらい時間が経っただろうか。
辺りはすっかり静寂に包まれ、バイクの音ひとつしない。両隣で両親がすやすやと寝息を立てる中、浩介はお腹に妙な重さを感じた。しかも、時間が経つにつれてどんどん重さが増していくのだ。
ついにゆっくり目を開くと、薄汚れた灰色の何かがお腹に乗っているのが見えた。
「やっと目を覚ましたか」
浩介は「うわあああ!」と本日何度目か分からない声を上げ、なかった。いや、正確には上げることができなかったのだ。何度声を出そうとしても、掠れた息しか出てこない。そればかりか、体が石にでもなってしまったかのように動かない。
「小童よ。おぬしが今日何をしたか覚えておるな?」
そう問われた浩介の頭に、今日の出来事がフラッシュバックする。その中で思い当たるものといえばもちろん、祠のことしかなかった。
そのことを必死に伝えて謝ろうとしたが、やはり声が出ない。
「そう無理して声を出そうとせんでも、おぬしの言いたいことは見えておる。ただ、はあ。悲しいのう。未来ある小童をこの手にかけなければならないとは」
眉尻を下げた地蔵が指を横に切ると、途端に喉がぎゅっと締め付けられた。
「あ、あ、あが、ああっ」
まともに呼吸ができず、瞳孔がどんどん開いていくのを感じた。必死にもがこうとするも、石になった身体はやはり言うことを聞いてくれない。涙や鼻水がだらだらと流れだし、身体全体が小刻みに震え出す。
(た、たすけ、て)
意識が遠のきそうになったその時、冷たい空気が一気に喉を通り抜けていった。
「とはいえ、所詮は小童。ここで殺してしまうのは鬼の所業ともいえる。腐っても私は仏なのでな」
お地蔵さんの言葉を浩介は肩で息をしながら聞いていた。
恐怖に身を震わせていると、お地蔵さんはその体を浩介の顔まで寄せていった。
「明日、おぬしの友人と共に祠に来い。そして、正直に謝るのだ。さすれば、今回のことは全て水に流そう」
お地蔵さんからのお告げに必死になって頭を縦に動かそうとした。その意を汲み取ったかは分からないが、お地蔵さんは満足したような笑みを浮かべながら姿を消した。
お腹の重みはなくなったが、汗でぐっしょり濡れた身体はしばらく固まったままだった。
この日はなかなか寝付くことができなかった。
翌日、浩介は上がらない気持ちを抱えたまま登校した。昨晩の出来事が何度も脳裏によみがえり、そのたびに心臓をぎゅっと潰されるような苦しさを覚えた。
教室のドアを開けると、先に登校していた2人も浮かない顔をしていた。
「おはよう」
「あ、浩介。おはよう」
「ね、ねえ。今日——」
「あの祠に行くんだよな?」
遼太の口から出たその言葉に、浩介は目を丸くした。
「まさか、お前らもお地蔵さんに?」
おそるおそるたずねると、2人は遠慮がちにうんとうなずいた。様子を見るに、2人もいい思いをしていないように思えた。
それ以上のことは聞くことなく、不穏な空気感を抱えたまま朝のチャイムが鳴った。
放課後になると、3人はすぐに祠のあった場所へと向かった。できれば、誰もいないことを祈るばかりだった。
しかし、なんと運が悪いことか。入り口の鳥居に近づくと、腰の曲がったおばあさんの姿が見えた。3人に気づくと、おばあさんは「よっこらせ」とこぼしながらこっちを向いた。眉間にはシワが幾重にも寄っており、いかにも昔話に出てきそうな鬼婆という印象だった。
「なんだい?」
低くしゃがれた声に背筋がこわばる。たった一言で「関わっちゃいけない人だ」と脳が警鐘を鳴らした。
でも、今日祠に行かなかれば、今度こそ絞め殺されてしまう。その恐怖の方が勝っていた。一刻も早く頭を下げて、この件を終わらせたいという気持ちが大きくなっていた3人はおそるおそる経緯を説明した。すると、おばあさんは3人のことを鋭い目つきで睨みだした。
「あんたたち」
ことさらに低くなった声が3人の胸を貫く。怒られることを覚悟し、目をぎゅっとつぶった。
「何も、なかったかい?」
「……へっ?」
つい間抜けな声が出てしまった。
「何もなかったかと聞いてるんだ」
「な、なにも、なかった訳じゃないけど」
徐々に口ごもる浩介たちにおばあさんは無言で近寄った。
そのとき、聞き覚えのある、ひょうひょうとした声が後ろから割り込んできた。
「そう睨むなよばあさん。ただでさえ多いシワがさらに増えちまうぜ」
「おじさん!」
浩介たちの明るい声に、おじさんは気だるげに手をあげて応えた。
「君たち、お地蔵さんに会ったんだろ?」
「え!?なんでそれを」
「こいつもクソガキだったってことさ」
そう吐き捨てたおばあさんの言葉を、おじさんは苦笑いして受け流した。
「相変わらず悪い口してんな。子どもらが真似したらどうすんだ」
年下からのお小言を、おばあさんは気に食わないというようにぷいっとそっぽを向いた。
やれやれと呆れた顔をしながらタバコに火をつけたおじさんは、
「んじゃお前ら、祠に向かって頭を下げろ。『祠を壊してすみませんでした』、つってな」
と言って、浩介たちの後ろを指さした。
振り返った浩介たちは目を丸くしながら「あれ!?」と口をそろえて漏らした。
おばあさんに気を取られて気づかなかったが、壊れたはずの祠がその姿を取り戻していたのだ。しかも、昨日見たような古ぼけた感じまでそっくりそのままよみがえっていた。
頭の理解が追いつかずに立ち尽くしていると、おじさんに再び頭を下げるよう促された。
3人は互いに目を合わせると、祠の前に一列に並んだ。ヒンヤリとした空気と、どこかおどろおどろしい雰囲気を前に背筋がこわばる感じがした。
それを振り払うかのように頭を振ると、3人は大きく息を吸った。
「「「ほこらをこわして、すみませんでした!」」」
そう叫んで頭を下げると、季節外れの冷たい風が一瞬だけ、肌を強くはたいて過ぎ去った。まるで「次はないぞ」とでも言っているかのように思え、背筋に嫌な汗が伝った。
「ふう」
「これで、終わったんだよな?」
「終わってくれなきゃ困るって。これでいいでしょ、おじさん?」
そう言って振り返ると、おじさんとおばあさんの姿はどこにも見当たらなかった。
「あれ?」
「どこ行ったんだろう?」
辺りを見回すと、遼太が「あっ」と声を上げた。遼太の視線の先に目を向けると、ところどころにコケの生えた、小さなお地蔵さんが2体並んでいた。ひとつはおでこに三本の線が走っており、もうひとつの目の前にはくたびれたたばこの箱が置かれていた。昨日と同じ、甘く重ったるい匂いが漂っていた。
~完~
ほこらをこわしちゃった! 杉野みくや @yakumi_maru
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