TAKE14︰ママの夢、そして私の夢(CV︰鈴名宝)

 ──どうしよう。

 今日もなんとか、しゃべらなくてもいいように振る舞って(先生にあてられないように、こそっと教室を抜け出したりとかしたよ)、一日の授業を終え、家に帰ってきた私だったけれど。

 頭の中は、不安でいっぱいだ。

 レイン役としての、二度目のチャンスであるアフレコ収録は、もう明日に迫っている。

 もし、明日の本番までに声が出なかったら……。

 対馬プロデューサーにも……ううん、対馬プロデューサーだけじゃない。

 今回のアニメに関わる、本当にたくさんの人たちに、多大な迷惑をかけちゃうかもしれないんだ。

 せっかく、私に足りないものがなにかわかったのに。

 対馬くんや、ユメちゃんやヒカルくん、レーナちゃんが、カラオケで励ましてくれたのに。

 夢に一歩、近づけたと思ったのに──。

 私──可愛い声は、もともと出せないけど──みんなが褒めてくれた、カッコいい声も──出せなくなっちゃったよ。

 泣くのをこらえていた私の部屋に、パパと、おじいちゃんが入ってきた。

「──宝。声が出ないんだって? 大丈夫なのか? レイン役は──」

『どうするんだ?』きっと、パパはそう言うつもりだったんだよね。

 やっとの思いで勝ち取ったレイン役を、今さら降りるわけにはいかない。

 もちろん、このまま声が出なければ、私がどうあがこうが、役を降ろされるしかないけれど……。

「宝ちゃん。大丈夫かの? おじいちゃんにできることはないかい?」

 ありがとう。その気持ちが嬉しいよ。またやん……。

 ふざけるのは、やめにして。私は、ルーズリーフにシャーペンで、思っていることを書いた。

『パパ。どうしよう。私、このままダメになるの──?』

 パパは、一瞬、苦しい表情をしたあと、私の瞳を真っ直ぐ見つめて言った。

「ダメになんて、ならないさ。……いいか、宝。もし明日、宝の声でレインを演れなくても、夢が終わったわけじゃない。宝にはまだこれから、素晴らしいことがたくさん待っているから」

『でも!』

 するとパパは、うで組みしながら、なにかを思い出すように宙をあおいだ。

「そういえば、ママ……葵にもあったな。声がとつぜん、出なくなったことが」

 パパの思わぬ発言に、びっくりする私。

 それ、ほんとう?

 そんな、だってママは、プロの声優として、亡くなるまで立派だったんでしょ?

『ママも……?』

 パパがうなづく。

「そうだな、あれは……アクション俳優だった当時の俺と付き合いはじめた、ちょうどその頃だったかな……。参加者数百人と競い合う、新人声優オーディションに合格して、葵が主役をやることになってな。ママはそれまで、そんなにデカい役をしたことがなかったから、緊張のし過ぎて、本番はまったく声が出なかったそうだ」

『それで、どうしたの?』

 私は前のめりになって、パパに訊ねる。

「各方面に頭を下げて、後日収録のし直しになったそうだ。ママだけの抜き録りで。今の宝の状況と重なるな」

 パパがひかえめに笑う。

 あのママが……そんな経験をしていたなんて……。

 私の脳裏に浮かぶのは、まだ新人だった頃のママの姿。

 どうしてだろう。実際にこの目で見たわけでもないのに、セリフが書かれた台本を片手に、マイクの前に立ち、必死で演技するママの姿がイメージできる。

 伝説の声優──鈴名葵。私の、お母さん。

 ──『あんた、目ざわりなのよ。星桃から消えてくんない?』

 世羅さんの言葉がよみがえる。

 思わず後退しそうなほどの、たしかな憎しみが込められた声だった。

 ママのような声優を目指して、パパの反対を押し切る形で入学した星桃学園。

 それを辞めるだなんて……私は、考えらんないよ。

 夢をあきらめるってことだもん──!

 私は、そんなの絶対いやだ。



 その日の夜。

 不安でいっぱいの時だった。

 久しぶりに、ママが私の夢に出てきてくれた。

『宝ちゃん。いつも頑張ってるわね。エライわ』

 そう言ってほほえむママの姿は……私を産んだ時の、まだ若い頃のままで。

 私は、なんでかわからないけれど、そんなママを見てひどく泣きそうな気持ちになった。

 久しぶりに聞いたママの声は、どこまでもおだやかで、一人娘の私を慈しむ心が現れているようだ。

 私は、おずおずと、気になっていたことをゆっくりと問いかけた。

「ねぇ、ママ……」

『ん?』

「──ママは、私を産んだこと、後悔してる? もっともっと、ずうっとずっと、声優でいたかった?」

 気づいたら、夢の中だというのに、私は泣いていた。どうしてだろう。涙が止まらない。

 二十九歳という、あまりにも若かったママの生涯。ママは子役の頃から声優のお仕事をしていたらしいけれど、まだまだキャリアはこれからだったばすだ。ママのファンの人たちだって、とっても惜しんだそうだ。そんな、大事な時に──。

 私を産んでくれたせいで────。

 ママは、そんな私をしばらく見つめてから、ふっ、と優しく笑んだ。

『──バカね。宝ちゃん』

 私ははっとした。

 ママは、声こそやわらかいけれど、私に対して、本気で怒っているのがわかる。そんな、たしかな熱を持った声音だった。ママのこんな声、そしてこんな表情を見るのは……はじめてだった。

『わたしが宝ちゃんを妊娠したこと、そしてこの世に誕生させたこと。わたしが本当に後悔していると思う? 忘れたの? 最期にあなたに残した、病院の産科で伝えたメッセージを──……』

 そうしてママは、私の瞳をまっすぐ見つめてから言ったんだ。

『宝ちゃん。──立派な声優の仕事をしてきなさい』

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