第33話 お兄さまに手をひかれ実家に帰る
「暇、だな?」
良く晴れた穏やかな空を窓から眺めつつ、オレは特にすることもないから奥さま部屋のベッドで寝転がってぽやぽやと平和な午後を過ごしていた。
ご飯をしっかり食べて、寝て。
別段、不都合の無い日常生活。
奥さま部屋には居るが、奥さまとしての仕事もないから忙しくもない。
「暇……」
王宮で国王や王妃を前に、嬉々として仕事をしていた事が、夢幻のようだ。
「まぁ、これはこれで……」
オレは自分を納得させるかのように呟く。
だが、変化は突然やってきた。
「なんか……騒がしいな」
揉めるような声と複数の足音、ドタバタとした音が近付いてくる気配がした。
「弟をこんな所に置いておけないっ! 連れて帰らせて貰う!」
聞き取れた声には覚えがあった。
「あれは……ジョエル兄さま?」
ベッドの上で跳ね起きると同時に、奥さま部屋のドアがドォーンと開いて、見慣れた赤茶の髪と瞳が現れた。
「ミカエル! 帰るぞっ!」
「ちょっと……ああ、困ります」
開口一番宣言するジョエル兄さまの後ろから、家令セルジュの焦った声が聞こえる。
いきなりの発言と登場の仕方に、頑固おやじか、関白亭主か? とツッコみたくなるが、ツッコめる雰囲気でもない。
「ちょっ……ジョエル兄さま⁈」
いきなり手首をつかまれてベッドから引きずり降ろされた。
「帰るぞっ!」
「いや……なに⁈ いきなり⁈」
突然のことに動揺するオレ。
「いきなりじゃないっ」
「どういう……」
ジョエル兄さまの言葉に、心底驚く。
「それはこっちのセリフだっ。せっかく国王さまからチャンスをいただいたというのに、最近は王宮に伺ってもいないそうじゃないか」
「それは……」
視線を落としてモゴモゴとするオレに、ジョエル兄さまの厳しい声が飛ぶ。
「なぜ、こうなった⁈」
「いや、それは……」
ルノのせい?
少なくとも、オレが怒鳴られるのは違う気がするけど?
いや、オレだって18歳の立派な男だし?
責任がないかと問われれば、それは……どうだろうか?
「何をしている⁈」
「ルノ」
声に振り向けば、ルノが部屋に入ってくるのが見えた。
いつもと違って表情に余裕がなく強張っている。
「シェリング侯爵、お邪魔しているよ」
見上げれば、ジョエル兄さまお得意の迫力のある笑顔があった。
怖い。
怖いよ、ジョエル兄さま。
「お久しぶりです、ジョエルお
あ、ルノも怖い。
いつもの、ちょっとバカでマヌケなアルファ感は、どこに行っちゃったのかなぁ~?
オレは、いつものルノの方が好きだよぉ~?
「いつから僕たちの弟は、この部屋に閉じ込められているのですか?」
質問に質問で返したー。
コレ、ヤバいやつー。
「閉じ込めている、とは、心外な言われ方ですね」
ルノは笑顔を貼り付けたような、高位貴族らしい表情で応戦だ。
「僕の目には、弟が閉じ込められているようにしか見えませんが?」
迫力という点では、ジョエル兄さまも負けてはいない。
ルノはにこやかに言う。
「ここは侯爵夫人の部屋です」
「だから?」
ジョエル兄さまの眉がピンと跳ねあがった。
怖い。
「今はミカエルのための部屋ですよ。ここにミカエルが、私の配偶者が居て、何の不思議がありますか?」
「ここに居るのは良い。僕も兄も認めている。あなたの配偶者になることは認めて、ミカエルを送り出した」
「はい。分かっています」
「でも、閉じ込めるのは違う」
「閉じ込めているつもりはありません」
「つもりはなくても、実際に閉じ込めているだろう? せっかくミカエルはチャンスを掴んだのに活かせていない」
「そんなつもりはありません」
「そんなつもりがなくても、実際にそうなっているだろう? キミは弟の邪魔をしている」
「そんなことは……私は、ミカエルを愛しています。邪魔する気なんてありません」
あぁ、愛してるとか言っちゃった。
緊急事態だけど、兄弟にそんなこと言われたら照れるよ、ルノ。
「僕たちは、弟が努力してきたのを見ているからね。弟は魔法の天才だよ? でも、努力なしに魔法道具は作れない。ましてや、売り物になる魔法道具だ。弟は元々持っていた才能に頼るだけでなく、努力もしてきた。その努力を無駄にさせようってヤツに、弟への愛を語られたくなんかないね」
「っ……」
ルノは息をのんで言葉に詰まった。
「僕たちは弟を愛している。こんな扱いは納得できない」
ジョエル兄さまが冷たく見つめる先で、ルノが赤くなってぷるぷる震えている。
あ、やばい。ジョエル兄さま、だいぶ怒っている。壁とか魔法で壊されそう。
オレは、まだ何か言いたげなルノを、視線で制した。
黙ったままコチラを見るルノは、辛そうだ。
でも。今日のジョエル兄さまは、怒らせない方がいい。
コレ、本気でヤバいやつだ。
「ミカエルは、ランバート伯爵家に連れて帰るよ。もう義母も、父も居ないからね。ミカエルに害をなそうとする者は我が家に居ない。この家の転移魔法陣は使わないで帰るよ。なんなら、あの魔法陣は閉じてくれ。伯爵家側の転移魔法陣は、既に閉じてある。急に来て、ミカエルを勝手に連れ帰られたら困るからね。今日は馬車で帰る事にするよ」
ジョエル兄さまの宣言に、ルノは唇を噛んだ。
「兄さま……」
オレの意志は?
ジョエル兄さまはオレの腕を強い力でグッと掴む。
「帰るぞ。特に支度も要らないだろ? ランバート伯爵家にあるモノで、お前は生活できるはずだ」
「ん……」
確かにそうだけど、オレはモヤモヤするものを感じる。
だけど、そのモヤモヤをうまく言葉にできなくて。
黙ってジョエル兄さまに従った。
馬車に乗せられたオレを、家令のセルジュは黙って頭を下げ、侍女マーサは目を潤ませて見送ってくれた。
ルノは気付いたら姿が見えなくなっていた。
だからどう、というのもうまく感じ取れなくて。
うまく感じ取ることもできないことを、言語化するのは難しくて。
オレは自分の中に広がるモヤモヤを、ただ眺めながら実家に戻るしかななかった。
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