第3話 ランバート伯爵家の人々

 オレは生まれたときに母の命を終わらせた。母の名はアリエル。ランバート伯爵家のひとり娘だった。

 母の命を奪って生まれたオレだったが、そのことを責められたことはない。

 当時、長兄は七歳。次兄は五歳。

 状況を考えたら、オレは実母の命を奪った悪者として兄たちから責められていても仕方なかった。

 でも、そんなことは起こらなかった。


「お母さまは、自分に何があってもミカエルを責めてはいけない、と言っていたよ」

 長兄であるノイエルは言った。


「ああ、そうだよ。お母さまは不思議な人でね。まるで自分の運命を知っているみたいに言うんだ」

 次兄であるジョエルは言った。


 ―――― 弟を愛してあげて。あなた達の弟は、母を知らずに育つのだから ――――


 それはそれで残酷な言葉だとオレは思った。


 ―――― あなた達は、母の姿を知っているでしょう? 生まれてくる弟には、それすら叶わないのよ ――――


 七歳児、五歳児に言う言葉ではないな、とオレは思ったんだが。


「私はお母さまがどんな人か知っているし。お母さまの言っていることに納得できたんだよね」

 そうノイエル兄さまが言えば。

「ああ、僕もだよ。今思うと不思議だけど。あの時はミカエルを守ってあげなきゃ、としか感じなかったなぁ」

 ジョエル兄さまもうなずきながら長兄に同意する。


 兄さまたちが賢くて平和な性格をしていたのは、オレにとってラッキーだった。


「お母さまは賢い方だったのだよ」

「ホント。気配りが半端なかった」

 ノイエル兄さまが言えば、ジョエル兄さまも同意する。


 お母さまは、どれだけ優秀な方だったのだろうか?


 オレは見たこともない母に思いを馳せる。

 母は亡くなる前に、自分の子供たちが困らないように全てを手配していったという。

 父であるカインは婿としてランバート伯爵家に迎え入れられた。

 御しやすさからベータである父を夫として母は選んだようだが。

 アルファである母が亡くなり、アルファである息子二人と、オメガであるオレが残されたらどうなるか。


 母は不安だったのだろう。

 アルファに囲まれたベータが劣等感から愚かな行為に走ることは良くあることだ。

 その矛先がオメガに向けられて様々な虐待が行われることもよくあることらしい。


 危機回避の一環として家督は父には譲られなかった。

 ランバート伯爵家を継ぐノイエル兄さまの後見人にすら、父はなれなかった。

 母は従兄弟を後見人とし、長兄であるノイエルがランバート伯爵を確実に継げるよう手配していったのだ。


 結果として家督はノイエルが20歳の時に問題なく譲られ、長兄がランバート伯爵となった。


 トラブル回避のために父の生活についても制限がつけられた。新しい妻を迎えることはできるが、子を成すことはできない。

 後妻や後妻ともうけた子供に、ランバート伯爵家を引っ掻き回されないためだ。

 万が一、子供が出来てしまった場合にはランバート伯爵家を出て行かなければいけない、と決められていた。


 だから父は後妻を迎え入れたものの、二人の間に子供はいない。

 そのことについて不満はあるようだが、ランバート伯爵家を出て行ってまで子供が欲しいとは思わなかったようだ。


 母には産む前からオレがオメガであると分かっていたらしい。


 オメガの養育には慎重さが必要だ。

 結婚についても安易に考えることはできない。


 特に結婚が失敗したときのオメガは悲惨だ。

 だから父がオレの結婚相手を勝手に決めたり出来ないようにしたかったらしい。

 オメガの結婚相手選びは重要な仕事だと、長兄で家を継ぐ立場のノイエルに繰り返し言っていたそうだ。


 そのことは、しっかりと遺言書にもしたためられている。

 安易な政略結婚でオレの権利が侵されないように、と。


 そのおかげか、オレは母に愛されているという実感がある。

 母がいない寂しさはあるものの荒れるようなことはなかったし、むしろ自分を大事にしなければいけないと考えられるように育った。


 兄たちもオレを愛してくれた。むしろ溺愛と言っていい。

 とはいえ、甘やかされたという感じではない。

 どちらかというと、自分らしく生きられるようにサポートして貰った感じだ。


 オメガは、その特殊な立場のせいか虐待に遭いやすい。

 母はそれを知っていたようで、様々な対策を兄たちに教えていったようだ。

 口頭で伝えたこともあるし、文書に残したこともあるようだが、詳しくは知らない。


 なぜかオレには内緒なのだ。オレのことなのに。

 まぁ、母の気持ちが分からないでもない。

 知ってしまえば絶望するしかない情報だってあるのだ。

 知らずに生きられたら幸せな場合もある。


 オメガは襲われやすいため、貴族や金持ちの家庭では屋敷の中で育てる。

 学校になどやったら何が起きるか分からないためだ。

 だけれども屋敷の中だけで育つということは、そもそも見る世界が狭い。

 学ぶと言っても、その内容は学校に行く場合とは違って限定されてしまう。


 そのせいで十分な学びを得られず、自分という個人を確立できないオメガも多いそうだ。

 環境以前に自分を持てないことの不幸というのは、察して余りある。


 地図の読めない迷子。

 地図を持てない迷子。

 迷子である自覚を持てない迷子。

 いずれにせよ、心細くてたまらない人生だろう。


 その点、オレは恵まれていた。

 兄二人に、心身ともにガッツリと鍛えられたからだ。


 屋敷から出られなかったのは他のオメガと同じだが、なかなかどうして濃い幼少期を過ごしたものだ。


 オメガの教育環境が悪いことの1つに、お金の問題がある。

 屋敷に招いて個人授業となれば、それなりの資金が必要だ。

 先生から襲われることも警戒しなければならず、一対一で授業を受けることもままならない。


 実際、オレも義母から「オメガの養育には、お金が掛かるわ」と、嫌味を言われたことは何度かある。


 そのたびに「実母であるアリエルお母さまが、しっかりお金を残して下さっていますので」と、ノイエル兄さまがにっこり笑って言ってたな。


 うん、アレは怖かった。笑顔の奥に怒りを隠せる人って怖い。


「そもそも、この家の維持費だって、アリエルお母さまの興した事業の利益で賄われていますからね」


 そう言って、にっこり笑うジョエル兄さまも怖かったな。


 笑顔の奥に狂気が透けて見えるのも、なかなかの迫力。


 それを見たオレは、兄たちを怒らせるより甘えて味方につけよう、と心に誓ったね。


 懲りない義母は顔をヒクヒクさせながらも、何度も同じようなことをして、何度もコテンパンにされていたけど。


 オレは怖いからヤだ。うん。

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