01-5.玄家からの贈り物
「申し訳ありません、陛下。嫉妬というものがよくわかりません」
香月は軽く頭を下げて謝罪をする。
……経験のないものは未知の世界だ。
いつの日か、嫉妬心を抱くようになるだろうか。
「黄藍洙のように感情的な振る舞いもできないでしょう」
香月は嫉妬と言われて連想したのは、亡くなった藍洙の振る舞いだった。
愛する俊熙の妃にふさわしくないと一方的な判断をすれば、攻撃的な振る舞いをする姿は嫉妬からくるものだったのかもしれない。
「ご期待に沿えず申し訳ございません」
香月は淡々とした口調で謝る。
それに対し、俊熙は困ったような顔をした。
「すまない。困らせるつもりはなかった」
「皇帝陛下は謝ってはなりません」
「香月とは対等でいたいのだ。それでもいけないか?」
俊熙は眉を下げて問いかけた。
……本心だろう。
俊熙は隠し事が下手だった。
皇帝としてふさわしくなるようにと帝王学を学んだわけではなく、他にその席に座る者がいないというだけで座らされたお飾りにすぎない。それを側近たちが望んでいると知っているからこそ、俊熙は素直であり続けた。
今のところは治世は上手くいっている。
しかし、守護結界の修復が間に合わなければ、李帝国はあやかしに襲われることになるだろう。
「いけません」
香月は厳しい言葉を口にする。
「誰の耳があるかわからない場所です。陛下。これは陛下を守る為のことなのです。どうか、ご理解くださいませ」
香月は賢妃として忠告をする。
その言葉の意味をわからないほどに、俊熙は愚かではない。
「……そうだな」
俊熙は香月の髪に触れながら、ため息を吐いた。
「君との出会いが市街だったのならば、俺は俺として口説けたのだろうか」
俊熙の言葉に対し、香月はすぐに返事ができなかった。
麒麟省の市街は華々しい町だ。すぐ近くに花街があるのも影響しているのだろう。活気ある町というのは香月には親しみがない場所だった。
「不可能かと思います」
香月はしばらく考えた末に答えを出した。
「陛下に呼ばれなければ、私は氷叡山に籠っていたことでしょう」
香月は玄家の人間だ。
玄家に尽くす為に育てられてきた。
その為、他の生き方を考えたこともなかった。
「陛下も同様かと思いますが」
「そうだろうな」
「それ以外の生き方をお望みでしたか?」
香月は問いかける。
……そうだと答えられたら、どうするべきなのか。
俊熙は李帝国の皇帝だ。麒麟の加護を持つ者は彼しかおらず、その席に座るべき跡継ぎはまだいない。跡継ぎがいない限り、皇帝の座に座り、麒麟の加護を得ることができるのは俊熙にしかできないことだった。
……私は肯定することもできない。
皇帝の座に座ることを望んでいなかったのかもしれない。
本来ならば手の届くところにいなかった。冷遇された皇子であった頃には夢にも思わなかっただろう。
「……どうだったか」
俊熙は言葉を濁らせた。
「昔、母上と話をしたことがあってな」
俊熙は思い出したように話を始める。
「父上が冷宮から一度だけ俺と母上を外に連れ出したことがあった。その時、目にした舞を忘れることはできないだろうと」
俊熙は香月の髪から手を離した。
……懐かしんでいるわけではない。
楽しい記憶が嫌な思い出に塗り替えられようとしている。
それを香月は敏感に感じ取る。
「母上に俺は言ってしまったんだ。あの舞姫と結婚がしたいと。母上は良いことだと喜んでくれてだな。……きっと、その時から、母は呪術に目を付けたのだろう」
「お母上は呪術の才がありましたか?」
「わからない。だが、母上は払い下げられた後の行方が知れぬ」
俊熙は藍洙たちの遺体を見て、行方知らずの母を連想していたのだろう。
蜂貴人の行方は誰も知らない。しかし、新たに嫁いだ先の夫は自害し、蜂貴人の遺体はいまだに見つかっていなかった。
……灰となったのか。いまだに暗躍をしているのか。
呪術に魅入られた者は死する時まで呪術から離れられない。人を呪わば穴二つ、死する時まで呪術は人に付き纏い、死した後もその痕跡を残す。
……どちらも確信のない話だ。
蜂貴人が呪術を扱っていた確信もない。
しかし、俊熙には根拠のない確信があるのだろう。
「父上たちを殺めたのは――」
「陛下。それは口にしてはなりません。憶測で話を進めても良いことはございません」
「――そうだな。香月の言う通りだ。証拠などどこにもないというのに」
俊熙は空を見上げる。
満天の星空が輝く夜空にしか俊熙の目には映らない。そこにあるはずの皇帝として見えなくてはならない守護結界の姿は、なにも見えやしなかった。
「母を探そうと思ったことがある」
俊熙は空を見上げながら、呟いた。
「しかし、一向に母の行方は掴めぬまま。母はもういないのだと諦めるしかなかった」
俊熙は母が恋しかったわけではない。
冷遇され続けた母に皇太后として権力の座につかせたいと思ったのだ。それは漠然とした願いであり、叶えてはいけないことだとわかってはいた。
しかし、俊熙にとって母は唯一の存在だった。
父や兄弟たちが次々にこの世を去っていく中、次は自分の番かと怯える日々を支えてくれたのは母であった。その母が呪術を使っていたかもしれないなどと頭を過るまでは、冷遇されていても、幸せな幼少期に違いはなかった。
「母の捜索を再開させる。父上たちの件に関与しているのか、香月ならば見ればわかるだろう?」
「……万が一、呪師ならば。呪術の痕跡が残っているのならば、なにかしらのものは見つけられるかと思います」
「そう言ってくれると思った。ああ、話してよかった。これで父上たちの無念も晴らせる日が来そうだ」
俊熙は皇帝として、先帝の死の真相を明かせなければならない。
先帝とその御子の死は普通ではなかった。しかし、それを解き明かせるほどの実力者は後宮にはおらず、御子を失った妃は次から次へと狂っていき、自らの命を絶っていった。
……麒麟の加護を破るほどの力があったのだろうか。
考えにくい話だった。
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