04-2.裏切りの侍女
藍洙は後宮の人間を信じない。
しかし、皇帝の寵愛は誰よりも欲しかった。同情で得ただけの地位だと理解していたものの、皇帝の寵妃であるかのように振る舞い、意図的に噂を広めた。
そうすれば、もう一度、皇帝が会いに来てくれると信じていた。
それ以外の心の拠り所がなかった。
「私を思っての提案ではないのでしょう」
藍洙は幼い子どもではない。
陽紗が藍洙に対して忠誠心を抱いていないことも、藍洙のことを見下し、陽紗を昭媛宮に送り込んだ本当の主人に情報を横流ししていることも、藍洙は気づいていた。
それなのにもかかわらず、陽紗の提案に耳を貸すのには理由がある。
陽紗以外の侍女は、藍洙とまともに言葉を交わそうともしない。
藍洙が主人であるはずの昭媛宮で会話をしてくれるのは、陽紗だけだった。
だからこそ、利用されているだけだとわかっていながらも、陽紗の意見を取り入れてきた。いつの日か、陽紗が藍洙を主人と認めてくれる日がくるかもしれないと夢を見ていたのかもしれない。
「でも、いいわ。柳陽紗が私の侍女なのには変わりはないもの」
藍洙は視線を小鈴に向ける。
「お前に一度だけ挽回の機会をあげるわ」
藍洙は返事ができる状態ではない小鈴に笑いかける。
小鈴に触れることはない。放り出してしまった杖を拾うこともせず、背中にクモが乗ったままの小鈴に対し、一方的な言葉を投げかける。
小鈴の返事は必要なかった。
玄武宮の裏切り者である小鈴には居場所がない。藍洙はそれに気づいていたからこそ、笑いかけたのだ。
「玄武宮に戻りなさい。そして、賢妃に伝えるのよ。呪い殺されたくなければ、山の向こうの実家に引きこもっていなさいとね」
藍洙は玄家の正確の場所を知らない。
地理を習うことをしなかった。
「陽紗。適当な侍女に命じて、これを玄武宮に送り届けなさい」
「文はお付けになりますか?」
「文? これには口があるのに文字まで必要なの?」
藍洙は鼻で笑う。
小鈴は杖刑に処されたものの、十回程度殴られただけだ。殴られた場所は痣になっているだろうが、藍洙の力では骨が折れるほどではないだろう。
その気になれば歩いて帰ることもできるはずだ。
「壺と一緒に文が届きましたので」
陽紗はわざとらしく割れた壺の破片を避けながら、一緒に投げ込まれていた文を手にとった。それを藍洙に差し出す。
「賢妃様からの文と思われます。どうぞ、ご確認ください」
「読み上げてちょうだい」
「それはできません。賢妃様からの文を侍女が読むなど恐れ多いことです」
陽紗は淡々とした口調で拒絶した。
それに対し、藍洙は呆れたような顔をしながら文を奪い取った。
「……はぁ?」
藍洙は一筆書かれただけの文を読んで嫌そうな顔をした。
「翠嵐は自死だと報告されたのではないの?」
「翠嵐妃は自死でしょう。証拠がないのですから」
「それなら、これはどういうこと!? 蟲毒の壺は撤収したと言っていたじゃないの! なにか証拠を残すような真似をしたのではないでしょうね!?」
藍洙は文を陽紗に押し付けた。
陽紗は文の内容を確認する。その表情はなにも変わらない。
「撤収はさせました」
陽紗は証拠を残すような失敗をしない。
宦官の捜査の手が伸びる前に、翠嵐を追い詰めたすべての嫌がらせを撤収させた。それにより、証拠不十分となり、藍洙は容疑者に浮上しなかった。
「言いがかりでしょう」
陽紗は根拠もなく断言した。
「しかし、恐れ多くも昭媛様を挑発しようと考えたようです」
陽紗は視線を小鈴に向ける。
その眼は虫を見るような冷たいものだった。
「それでしたら、あえて挑発を返すのはいかがでしょうか? ここが北部の山奥ではなく、女の園である後宮なのだと理解させるのには、もっとも効率が良い方法かと思います」
陽紗は傍に控えていた侍女を手招きし、紙と筆を用意させた。
まるでこうなることがわかっていたかのような手際の良さだった。
「その提案に乗ってあげるわ。陽紗、贈り物に文を巻き付けてやりなさい。その後は誰かに玄武宮に届けさせなさい。私はもう休むわ。後始末くらいは侍女らしくしておきなさいよ」
藍洙は文字を書けない。
そのことを知っているのは昭媛宮の侍女たちだけだ。
だからこそ、藍洙は指示を出すだけだった。
陽紗がなにを書いているのか、藍洙は見ても理解することができない。それは藍洙にとって不利なことであるとわかっていなかった。
* * *
玄武宮の門の前、荷物のように小鈴は縄で縛られて置かれていた。
小鈴の背中には文が置かれており、文を落とさないように厳重に縄で縛られているようにも見えた。それでは飽き足らず、小鈴の顔を覆い隠すように紙が貼られていた。
その恰好のまま、小鈴は明明によって玄武宮の中に運ばれていった。裏切り者を丁重に扱うはずもなく、玄武宮の中庭に投げ捨てられた。
「ずいぶんと汚くされたものだな」
香月は小鈴に近づかない。
小鈴を警戒している明明と梓晴は威嚇するように槍を手にしており、小鈴がなにかをしようとものならば、正当防衛を言い訳にして攻撃をするつもりだろう。両脇に二人を控え、雲婷が用意した外で使ってもいい椅子に座ったままの香月は小鈴に同情をするような視線を向けていた。
「文を回収いたしました。お読みになりますか?」
「いや。どうせ、私を呪う言葉だろう。燃やしてしまえばいい」
「かしこまりました。昭媛宮に返礼として灰でも投げ捨てておきましょう」
梓晴は香月の性格をよく理解している。
嫌がらせを黙って受け入れるような性格ではなく、報復は必ず行う。報復もできないような大人しい女性だと思われるのは、玄家では最悪の振る舞いだ。
……呪術の気配もない。
香月の読みが外れたようだ。
……昭媛宮の侍女が道士だと思ったのだが、外れのようだな。
呪術の知識を持つ者はいたようだが、道士として経験を積んだわけではないようだ。小鈴に張られていた紙は恨み言を綴った文ではあったのだが、それでは人を呪うことはできない。
……道士の駒が昭媛宮に入り込んでいると考えた方が良さそうだ。
藍洙だけが敵ではない。
藍洙は使い勝手のいい駒として利用されたのだろう。
「孫小鈴。主人を裏切るのは刑罰の対象だと知らなかったのか?」
香月は小鈴に問いかける。
……見覚えがないな。
玄家で香月を世話していた従者ではない。急に決まったことだった為、臨時で補充をしたと聞いていたが、ここまで幼い子どもだとは思ってもいなかった。
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