04-3.裏切りの侍女
「賢妃様。裏切り者に声をかけてはなりません。貴女様が同席をしたいと強くおっしゃられるからこそ、席を用意したのだということをお忘れになられてはなりません」
雲婷は香月の後ろに立っていた。
玄武宮の掃除をしながらも小鈴の様子を伺う侍女たちもいる。万が一、小鈴が拘束を抜け出し、香月の命を狙ったとしても問題なく返り討ちができるように万全の準備が整えられていた。
本来ならば、小鈴の尋問は香月の役目ではない。
香月は侍女からの報告を聞くだけでいい。
「わかっている」
香月は雲婷の言い分を理解していた。
……まだ幼い子どもではないか。
心が痛む。
まともに訓練も教育も施されていない子どもだ。遠目で見たよりも幼く見えるのは栄養が行き届いていないからだろうか。
……手配をしたのは母上だろうか。
玥瑶は香月こそが玄家の当主に相応しいと信じて疑わない。
だからこそ、香月を試したのだ。五年前、玥瑶の手で殺された妹の死を悔やんでいないか、確かめる為だけに用意された駒だった。
「孫家には教育不足の娘はいらんと突き返してやれ。代わりの侍女を手配するように、父上に文を出さなければいけなくなってしまったからな」
香月はなにも答えない小鈴に興味を示すわけにはいかなかった。
「これだから幼子は苦手なのだ。目先のものばかりに気を取られて、大事なことをなにも考えようとはしない」
香月は呆れたような物言いをする。
それが小鈴の為なのだと、雲婷たちはわかっていた。
「手当は必要ない。そのまま、孫家に送り届けよ」
小鈴に同情をすれば、玥瑶の耳に入るだろう。
そうなれば、玥瑶は香月の心を揺さぶる為だけに玄家に残る妹の紅花を利用する。
身内が傍にいる方が動きやすいだろうとわざとらしい言葉を口にしながら、侍女として紅花を送り込もうとしてくることだろう。
……紅花だけは利用させはしない。
後宮は危険な場所だ。
侍女の命は妃賓とは比べ物にならないくらいに軽い。
妃賓の機嫌を損ねただけで私刑にあったとしても、問題にはならない。それで命を落としたところで、非は私刑を命じた妃賓ではなく、私刑を命じられることをした侍女にある。
そのような立場に妹をさせるわけにはいかなかった。
……結局、言い訳の一つもしなかったな。
期待をしていたわけではない。
後宮入りをしてから日数が経っていないのにもかかわらず、簡単に買収されるような相手に対して期待をすることもできない。
しかし、それでも子どもらしい言い訳の一つでも聞かされるものだと思っていた。なにも知らなかったのだと無実を訴えるものだと思っていた。
それに応えるわけにはいかない。
しかし、翠蘭を追い詰めた元凶の一人が誰であるのか、探り出した褒美を与えることはできただろう。
……口を縫われたわけではないのに。
それほどに金子を与えた相手に恩を感じているのだろうか。
考えれば考えるほどに不快な気分になる。
香月は立ち上がり、背を向けた。
背を向けられても攻撃の一つもしようとしないのは、小鈴が気弱だからなのか。それとも、なにもする術を持っていないのか。香月にはそれすらも知る資格がないように思えてしかたがなかった。
「お、お待ちください!」
小鈴が声をあげた。
縄抜けをすることもせず、姿勢を正そうとすることもなく、地面に体をつけたままの姿勢で声をあげる。
「これは私がいけないのです! どうか、どうか、お父様とお母様への叱責だけはお許しください!」
小鈴は必死に訴える。
ようやく、自分のしてしまった罪の大きさを理解したのだろう。
……自分の命を乞うわけではなく、親の為か。
それはこの国ではおかしいことではない。
後宮にいる者はすべて皇帝の所有物である。
しかし、皇帝の管轄外に追い出された者の行く末は誰も知らない。
……悲しいものだな。
皇帝の寵愛を受ける香月を害したと知られてしまえば、小鈴の両親は自らの命を差し出してでも、一族を守ろうとするかもしれない。そのことに幼いながらも気づいてしまったのだ。
親の為に子は尽くす。
それはこの国では普通のことだ。香月も両親の為に尽くしてきた。
後宮に入り、尽くすべき相手が変わっただけである。
「孫小鈴。歳はいくつになる?」
香月は足を止めた。
しかし、振り向くことはしない。
「十三になります」
小鈴は質問の意図を理解せず、ただ、事実を答えた。
少しでも気を引かなければいけないと察しているのだろう。
……十三か。
紅花と同じ年だった。
……やはり、母上の策略だな。
小鈴が欲に目が眩み、香月を裏切ることを想定して侍女に選出したのだろう。
同情し、小鈴のしたことはすべて香月の指示によるものだったとすれば、玄家にいる紅花を使って香月の心を揺さぶり、小鈴を処罰すれば、同じ年頃の子どもを侍女にすればいいと紅花を後宮に送るつもりだったのだろう。
それは、玥瑶のよく使う策の一つだった。
「母上にも文を出さなければならないな」
香月は子どもは送らないでほしいと願う文を書かなければいけない。
そうしなければ、次に送られてくるのは紅花だ。
「孫家に送り返せ」
香月は小鈴の願いを聞き届けるわけにはいかない。
孫家がどのような判断をするのか、香月が関わることはない。しかし、主人を裏切るような侍女を必要とする者は現れないだろう。
「かしこまりました。すぐに手配しましょう」
梓晴は槍を片手に返事をした。
槍を片付けないのは威嚇のつもりだろう。
「香月様」
「明明。名ではなく、賢妃様とお呼びなさい。ここは玄家ではなく、後宮です」
「はい。侍女頭。賢妃様。指示をください」
明明は香月に指示を仰ぐ。
武芸に長けた明明の本業は暗殺者だ。言葉は最低限しか口にせず、常に指示を仰ぎ、命令に忠実だ。
「玄武宮に牢がありません」
明明は困ったように事実だけを口にした。
言葉が足りないのはいつものことである。
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