04-1.裏切りの侍女
本来、私刑を行うのは侍女や雇われた下女の役目なのだが、陽紗はそのことを藍洙に教えるつもりはなかった。
「そうなのね」
藍洙は杖を握りしめる。
木の棒を削っただけの杖は掴みにくい。藍洙の手のひらに木のトゲが刺さってもおかしくはないほどの荒削りの粗悪品だ。
「貴女がいけないのよ。私の命令を守れないから」
藍洙は丸くなりながら震えている玄武宮の侍女に向かって、杖を振りかざした。
「ひぐっ」
殴れた侍女は醜い悲鳴をあげる。
「うるさいのよ!」
一度、やってしまえば後には引けなかった。
藍洙は何度も何度も杖を振り下ろし、侍女を殴打する。自分の権力に酔いしれるような妙な快感だった。
「いぐっ! うぐっ!」
殴られるたびに聞こえる侍女の悲鳴は、藍洙を高揚させた。
ここでは藍洙の行動は正しい。味方となる侍女がいなくても、藍洙は自分一人でなんでもできるような気がしてきた。
「は、ははっ。私の命令に従わないから――」
藍洙は侍女を足蹴りした。
その時だった。藍洙のすぐそばに壺が落ちてきた。
前触れもなく落ちてきた壺を受け止める人はいない。真っ逆さまに落ちてきた壺の蓋は外れ、先に地面にぶつかり、割れた。壺の中身は藍洙に降り注ぐかのように降ってきた。
ムカデやクモ、トカゲが降り注ぐ光景は異常だった。
仕上げだと言わんばかりに投げ入れられた壺は地面にぶつかり、大きな音を立てながら粉々に砕かれてしまった。
「ひ、ひやあああああああああっ!!」
藍洙は手にしていた杖を投げ出して、悲鳴をあげる。
一足先に逃げていた陽紗の視線は鋭く、壺を投げ入れたであろう昭媛宮の屋根に向けられていたものの、既に人影はなかった。
「陽紗! 陽紗! なんとかしなさい!」
藍洙はまとわりつくクモを追い払おうと両手を大げさなまでに振りながら、陽紗に助けを求める。
何度も杖で殴られた玄武宮の侍女は息はあるものの、痛みで身動きがとれず、逃げられなかった。
その状況を陽紗は冷たい目で見ていた。
他の宮ならば、血相を変えた侍女たちが妃賓を助けに向かうことだろう。敬愛する主人の為ならば命を投げ出すことを厭わないのは、侍女たちにとっては普通のことである。
陽紗は違った。
藍洙に対して敬意を抱いていない。それどころか、情の一つも抱いていない。
悲鳴あげて助けを求められても、それに応えることはない。
「昭媛様。玄賢妃の仕打ちでしょう。侍女の返却をされるべきではないでしょうか」
「そんなことを言っている場合じゃないでしょう!? 早く、この、虫たちをどうにかしてちょうだい!」
「お断りいたします」
陽紗は藍洙を助けるつもりはない。
主人の命令に従わない侍女は陽紗だけではない。昭媛宮の侍女は何人もいるが、誰一人、藍洙の悲鳴を聞き、駆け付けることはなかった。
「蟲毒は呪詛返しの可能性が高い危険な呪術です。呪詛返しに巻き込まれたくはありませんので」
陽紗の言葉を聞き、藍洙の顔色が変わった。
「そんなに危険なものを私にさせたというの!?」
藍洙は香月の推測通り、なにも知らなかった。
「陽紗! 貴女は私に言ったわよね!? これは嫌がらせになる簡単な呪術だって! 誰にもできるものだと言ったじゃないの! 主人に嘘を吐いたというの!?」
虫まみれになっていることを忘れたかのように、藍洙は叫んだ。
それに対し、陽紗は顔色一つ変えなかった。
「なんとか言いなさいよ!」
藍洙は感情の高ぶりを抑えられなかった。
その怒りは、殴られた痛みに耐えることしかできない玄武宮の侍女にも向けられる。
「貴女も私を騙したのでしょう!?」
藍洙は誰も信じられなかった。
藍洙が送っている金品で今まで通りの生活を続けている家族にも頼れず、侍女たちは藍洙を見下しており信用ができない。それならば、他の宮の侍女も同じだろうと決めつけていた。
「
藍洙は玄武宮の情報を横流しにすることを条件として、約束通り、小鈴に金子を分け与えていた。情報の価値にとって金子の量を増やすと好待遇を約束し、小鈴を自分の味方にしようとしていたのだ。
だからこそ、小鈴の失敗を許せなかった。
失敗を見逃せば、従わなくても罰を与えられないと理解されてしまう。そうなれば、昭媛宮の侍女のように小鈴も藍洙を見下すだろう。
藍洙はそう決めつけていた。
後宮での心落ち着かない日々が藍洙の視野を狭くしていた。
「私は孫小鈴の願いを叶えてあげたでしょう! 貴女に金子をわけてあげたでしょう! 主人を裏切って、私の命令を聞くと言ったじゃないの!」
藍洙は小鈴の体を蹴った。
願いを叶えられなかった子どもが癇癪を起しているようなものだった。どうすればいいのか、わからなくなって混乱しているのだろう。それを宥める侍女はいない。
「この裏切り者! 裏切り者! 私の代わりに蟲毒の贄になりなさいよ!」
藍洙は泣き喚いた。
もうどうすればいいのか、わからなかった。
「昭媛様」
陽紗は藍洙は慰めるつもりはなかった。
一定の距離を保ちつつ、藍洙の隙だらけの心に入り込む。
「それは妙案です。この裏切り者を蟲毒の代わりに賢妃に送り付けましょう。蟲毒になるはずだった虫にまみれておりましたので、効力は落ちても、多少は賢妃の害になるかと思われます」
陽紗は淡々と話しを続ける。
その言葉を藍洙が否定しないとわかっているからだ。
「貴女様の目的は賢妃の座を空けることでしょう」
陽紗は藍洙の味方ではない。
しかし、藍洙の望みは知っていた。
「賢妃に相応しくない者を退ければ、陛下の目にも留まりましょう。陛下の寵愛を受けるべきお方は別にいるのだと、知らしめることは貴方様の悲願なのでしょう?」
陽紗は悪魔のような囁きを口にする。
その言葉の誘惑に藍洙は逆らえない。藍洙は小鈴を蹴るのを止め、視線を陽紗に向けた。その眼は正気ではなかった。
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