02-1.玄香月の役目
もしかしたら、用事は終わったと本邸の外に出されたかもしれない。
「翠蘭の死は聞いたか」
「はい。翠蘭姉上は自死されたと聞きました」
「そうだ。後宮ではアレを自死として処理をしたようだ」
浩然は苛立ちを隠すように指で髪を弄る。
……翠蘭姉上の死を嘆いているわけではないようだ。
浩然にとって、翠蘭は都合良い存在だった。
玄家の敷地内に置いていたのは、いずれ、なにかしらの形で利用しようと思っていたからだろう。
……父上は厳正な方だ。玄家の役に立たない者には、父上から愛される資格を与えない。
香月は嫌になるほどに知っている。
思い出したくはない五年前の記憶だ。しかし、忘れることもできなかった。
……母上は父上よりも厳格だ。玄家の名に相応しくないと判断すれば、実の子さえも殺してしまえるのだから。
香月の六歳下の妹は、気功の才がなかった。武術の才もなかった。それなりの名門に嫁がせて、相手の家を思いのままにできるような美貌にも恵まれなかった。その為、僅か五歳の時にその首を刎ねられてしまった。
六歳下の妹の首を刎ねたのは、香月たちの実母、
自らの腹を痛めて産んだ三女の首を迷うことなく刎ね、命を落とした下手人たちの墓地に捨てておくようにと指示を出した姿を忘れることができない。
……父上も母上も、翠蘭姉上の死を悲しんではくれないだろう。
翠蘭が命を落としても浩然の胸は痛まない。
幼い娘である
いてもいなくても変わらない存在ならば、利用価値があっただけでも喜ばしいことだと思っていたようだ。
翠蘭は、浩然の妾が産んだ娘であり、見た目の整った女性だった。後宮でもその見た目は浮くこともなく、一時的な注目を集めることもできたはずである。
しかし、それは玄家の娘としての教育が施されていた場合に限る話だ。
翠蘭は知識が足りなかった。
気功を操ることもできず、術の一つも使えない。
身を守る術さえもない。
そのような者が玄浩然の娘であるという理由だけで賢妃の座に座ることを妬み、疎み、憎しみを隠しきれなくなった者が出てきたのだろう。
「賢妃の死が自死のはずがない」
浩然は翠嵐の死の裏側になにかが潜んでいると勘付いていた。
「後宮妃による暗殺の可能性がもっとも高いだろう」
浩然は後宮の仕組みに詳しい。
女性だけの花園は毒花も多く、四夫人が担う役目を理解していない者たちより、四夫人が害されることも珍しくはない。
それほどに四夫人の価値は落ちている。
後宮は陰謀の花が咲く場所だ。
その花は毒々しくも美しく、華麗な姿で他人の命を貪り食う。
その花に翠蘭は負けた。
「ご丁寧に自殺に見せかけたものか、それとも、賢妃の死の真相を暴けば皇帝が非難されるような目に遭うのか。どうせ、そのような理由による自死扱いだ」
浩然はため息を吐いた。
それは命を奪われた翠蘭を思ってのことではない。
玄家の立場を憂いているだけである。
「香月」
「はい。父上」
「お前は私の最高傑作だ。香月が次期当主となれば、玄家の栄華は凄まじいものとなるだろう」
浩然は香月の才能を認めていた。
すべては玄家の為となると言い聞かせ、苛烈な修練を香月に課していたのは、香月の才を信じていたからこそである。
「父上の娘として当然のことでございます」
香月は浩然を敬愛している。
才能のある我が子に対し、浩然は当主としては厳しい修練を課すものの、父親としては、我が子がかわいくて仕方がないのだということを隠しもしない子煩悩な一面も見せてきた。
それは子どもたちの敬愛を一身に向けさせる為だ。
父親の判断は正しい。
父親の言葉は正しい。
幼い頃から親の愛情と共に刷り込まれてきた価値観は、子どもたちの道標となる。
「父上、あなたのおかげで私は幸せです」
香月は心の底からの言葉を口にする。
女である香月が玄家の次期当主として生きられるのは、浩然の指名によるものだ。
次期当主になるのには性別は関係ない。
もっとも優れている玄家の直系が継ぐべきである。
浩然の時代の流れや世間の目を気にしない考え方は、玄家の中でも異質だ。しかし、それは時間をかけてゆっくりと浸透していき、今では香月こそが次期当主にふさわしいのだと誰もが考えるようになっていた。
「香月。父はお前に新たな修練を課さねばならない」
浩然は悩みに悩んだ結果、玄家の為を思い、断腸の思いで決断を下した。
「はい。父上。父上の望み通り、修練を乗り越えてみせましょう」
香月は迷わずに返事をした。
浩然の言葉に疑いを持たない。浩然の悩みの種を取り除くのは、優れた者の役目であり、それに選ばれたのは誇らしいことだった。
「後宮の裏に潜む鼠の狙いは皇帝陛下の首だ」
それは玄家の人間を使い、調べ上げたことなのだろうか。
それとも、玄浩然を信用している皇帝直々に伝えられたことなのか。
……翠蘭姉上はその鼠に齧られたのか。
鼠と呼ばれるのは皇帝に反乱の意を抱いている臣下の者だ。
後宮妃の中に家の方針に従い、皇帝を殺めようとしたところを翠嵐が目撃をしてしまったのか。それとも、李帝国の守護神である結界の力を弱める為、翠蘭の命が狙われたのだろうか。
どちらにしても、穏やかではない。
不穏な気配が立ち込める中、浩然は判断を迫られていた。
「玄香月」
浩然はその名を胸に刻むように香月を呼んだ。
最愛の娘に告げたくもない言葉を言わなくてはならない。それを堪える父親の顔をしていた。
「大恩ある先代の御子を守れ」
浩然の言葉に対し、香月は頭を下げた。
「はい。父上。私にお任せください」
香月は反論をしない。
浩然の命令は絶対だ。それに逆らう選択肢は香月に存在しなかった。
「……香月をくれてやるつもりなど、私にはなかったんだがな」
浩然はため息を零す。
玄家の直系の中には、香月に力は及ばないものの、それなりに気功を操ることができる女性がいる。玥瑶の次女でもよかったはずだ。
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