01-2.玄翠蘭の死
「要件は? この時間だ。急を要することなのだろう?」
香月は嫌な予感がしていた。
三年前、遠目で見ただけの翠嵐を思い出したのもなにかの前兆である気がして仕方がなかった。
雲嵐は視線を地面に落とした。
要件を告げなければならないとわかっていながらも、口にすることさえも憚られるような出来事が起きてしまったのだろう。
「……翠蘭お嬢様がお亡くなりになられました」
雲嵐の言葉は冷たいものだった。
早馬で訃報の知らせが届いたのだろう。それでも、李帝国の最北端に位置する玄家に届くまでには一週間はかかる。
賢妃の死を確かめる時間を含めれば、翠蘭が亡くなったのは二週間以上も前だろう。
……四夫人の死は世間を乱れされる。
まもなく、賢妃の座に玄家の女性が座ることになるだろう。
四夫人の一角を空席のままにしておくわけにはいかない。
しかし、九嬪の誰かが四夫人の座に収まることはできない。
李王朝の初代皇帝の代から四夫人は必ず四大世家から輩出するように、定められている。
その定めを破れば、災いが降り注ぐ。
そうなれば、李帝国は滅びの道を歩むことになりかねない。
「そうか」
香月は夜空を見上げた。
綻びを隠せなくなった結界に気づいている者は少ないだろう。
四夫人の一角である翠蘭の命が消えたのにもかかわらず、今になって結界に綻びが生じたのには理由があるはずだ。
……気功をすべて使い果たしたのだろうか。
守護結界の綻びを直そうと試みたのか。
それとも、何者かに唆されて玄家の一員としての意地を見せようとしてしまったのか。どちらにしても、翠嵐は利用されたのだろう。
……哀れな人だ。
翠蘭はなにを思いながら、その命を終わらせたのだろうか。
故郷に取り残された唯一の肉親である母を思っていたのか。それとも、母を人質にした父親を恨んでいたのかもしれない。
どちらにしても、翠蘭が望む結末ではなかったはずだ。
翠蘭は家族を愛していた。
だからこそ、玄家の一員として認められたかったはずである。
「翠蘭姉上は役目を果たされたのだろうか」
香月は翠蘭に思いを馳せる。
思い出を振り返るほどに関係のない人だった。しかし、母娘で生き残る為ならばどのような雑務であっても引き受け、口数は少なかったものの、ひたむきに生きようとしていたのは知っている。
……自身の限界を知らない人ではなかったはずだ。
玄家の武術も呪術も知らない人だ。
厄介な役目を担うことになったと知ったのも、おそらく、後宮に入ってからのことだろう。
……巻き込まれたのか。利用されたのか。
四夫人を良く思わない者は多い。
後宮は皇帝の跡継ぎを産み、育てる為の場所。女の花園と呼ばれてはいるものの、実際は女たちの醜い争いが度々生まれている地獄のような場所でもある。
皇帝に選ばれる為ならば、なんでもするだろう。
名家に生まれた娘ならば、手段を選んではいられないはずだ。
「いいえ。自死されたとのことです」
雲嵐が告げた言葉に香月は眉を潜めた。
……自ら命を絶っただと?
ありえない話だ。
翠蘭は実母を見捨てることはできない。
翠蘭が賢妃としての役目を果たさなければ、当主の妾である実母がどのような目に遭わされるのか、嫌というほどに知っているはずだ。
「なぜ、そのようなことになったのだ」
香月には理解ができなかった。
賢妃には玄家が選んだ侍女たちが仕えている。
夜伽でもなければ、一人になる機会はなかったはずだ。賢妃を支え、賢妃の為に生きるように教育を施された者たちだけが侍女として選出されている。
「詳細は旦那様だけに報告されております」
嵐雲の言葉を聞き、香月は足早に歩き始めた。
玄家の当主である父親、
……私が出向く事態になったのだろう。
次の賢妃は香月が選ばれるだろう。不思議とそんな予感がしていた。
人力でかき分けられた雪の間を足早に歩く。
香月の後ろをついてくるだけの嵐雲はなにも言わない。
翠蘭の死を告げられた時、嵐雲は翠蘭に対し同情の念を抱かなかった。ただ、翠蘭の死により香月が後宮入りをする可能性が高まってしまったことに対する怒りを抱いた。
それを香月に知られたくはなかった。
だからこそ、嵐雲は口を閉ざしてしまった。
「香月お嬢様!」
浩然の居住区である本邸の門番は泣きそうな顔をしながら、香月の名を叫んだ。香月が浩然を訪ねてくることを知っていたようだ。
「父上に呼ばれたのだが」
香月の言葉を待っていたのだろう。
それだけで十分だと言わんばかりに門は開かれた。
「既に準備は整っております。ご案内いたします」
夜分遅い時間にもかかわらず、本邸では多くの従者たちが働いていた。従者たちに紛れるように体術の基礎を繰り返し、練習をしているのは玄家を名乗ることが許されている者たちだろう。
玄家は一族だけに気功を使った武術を教えている。
それらを完璧に自分の力にした者たちだけに、玄家に代々伝えられてきた呪術が伝えられることになっている。その為、武術だけではなく、呪術の大半も自分の力にすることができた香月を次期当主として意識する者ばかりである。
その者たちから向けられる尊敬と期待の目に、香月は応え続けてきた。
いずれ、一族を率いるのは自分であると思っていた。
その前提が壊れようとしているのにもかかわらず、不思議と恐怖を感じなかった。
「旦那様。香月お嬢様をお連れいたしました」
案内役の従者が扉越しに声をかける。
すると、扉は内側から開けられた。浩然の側近たちも控えていたようだ。
「父上。玄香月、参りました」
香月は浩然に対し、教えられた通りの挨拶をする為に口上を述べようとしたが、公然は首を左右に振った。
「挨拶は不要だ。入れ」
浩然の言葉は絶対である。
香月は膝を付こうとしていた姿勢を元に戻し、速やかに浩然の傍に近づく。
部屋の扉は閉められた。
香月の侍従として付き添っていた嵐雲は廊下に立たされたままだろう。
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