第6話
いつかこの日が来るんだろう、と心のどこかで想定はしていた。
でも、東条先輩はきちんと自分の話を聞いてくれる人だし、夜空つかさも俺との関係性をきちんと説明していれば何の誤解を招くことはないはずだと―――
「叶多……?どうしたの、こんな遅くに?」
「どうしたのって、つかさに連絡したけど既読にならなくて家の近くまで来たんだよ。そうしたらお祖母ちゃんが倒れて救急車で運ばれたって、近所の人から聞いたから……そのままここでつかさを待ってたんだ」
それだけ言うと東条先輩はちらりと俺に視線を向けた。それは明らかに好意的な視線ではなかった。
「それで、何で旭とつかさが一緒にいるの?」
「えっと、旭……いや、里中くんとは実は家が近くて、気が動転しちゃったから連絡して一緒にいてもらってただけなの」
「そんなの、彼氏の俺に連絡してくれればいいじゃん。俺だって、つかさが大変な思いをしているんだったら、すぐに駆け付けるよ」
「うん、そうなんだけど……えっと、ごめんね」
夜空つかさはそこから何も言わず、下を向いて何やらごにょごにょ言っている。
暗闇の中、東条先輩は眉をひそめてそんな彼女を見やっている。
全く、きちんと東条先輩に説明が出来ていないじゃないか。
「―――あの、東条先輩。実は、俺と夜空先輩は小学校からの幼馴染なんです。小さい頃からよく遊んでいました。でも、夜空先輩が中学に入学する前に東京に引っ越してからは、全く連絡を取っていなかったんです。こちらに戻ってきたことも、俺はつい最近知ったんです。それで、気心知れてるからってだけなんですけど、たまたま俺に連絡をしてきたってだけなんです。東条先輩には、色々心配を掛けたくないからって―――」
「それはさ、つかさが旭に話したことなの?」
諭すようにゆっくりと話す東条先輩の表情はあまりよく読めなかった。だけど、どこか真っ白で、悲しそうな色が見受けられる。
そりゃそうだ。
そういう言い訳じみたことを後輩から言われても何も響いてこない。彼女の口から聞くまでは、東条先輩は納得しないだろう。
「いえ、違います……」
「うん、だろうね。それに、咄嗟に幼馴染に連絡するっていうのも何だか腑に落ちないんだよ。つかさに再会してから、俺の知らないところで二人で会ってるよね?さっき、遠くから歩いてくる二人はそんなブランクを感じさせない雰囲気があった。俺とつかさが二人でいる時よりも、打ち解けてた。間違っていないよね?」
「―――叶多!旭と、会っていた事を黙っていたことは謝る。だけど、懐かしくて、昔の話とか色々したくて会っていただけで、叶多が考えていることは何もないよ!」
「俺が考えている?二人が疚しい関係性だってこと?」
夜空つかさはぐっと表情を歪めた。
「別にさ、疚しい関係性だってそういうことは疑ってないよ。でも、すぐに連絡が取れる身近な関係性だっていうのは確かだし、俺よりも旭を頼ったことがすごく悲しかったってこと」
「叶多……ごめん、ごめんなさい。叶多は家族のこともバイトもあるし忙しいと思ったし、私の身内のことで拘束するのは良くないことだと思ったの」
「拘束って……そんなこと思っていないよ。お祖母ちゃんが痴呆で一人でつかさが対応しているってことも俺は知らなかったし、ご両親が離婚していて、お父さんの家族は近くに住んでいるけどほとんど顔を見せないとか、そういう内情を全く知らなかった。近所の人が聞いてもいないのにべらべらと話してくれたけど、つかさのことを俺は全く知らなかったんだなぁって」
「叶多……」
「ごめん、俺、とりあえず帰るわ。今日はちょっとつかさの話をちゃんと聞いてあげられそうにない。また、後日連絡する」
そのまま東条先輩は夜空つかさも俺も一瞥することなく、ただ真っ直ぐ前だけを向いて歩いていった。
ふと横の夜空つかさを見ると、ショックを受けているというよりかは魂が抜けてしまっているかのように無表情で呆けているように見えた。
「夜空先輩……大丈夫ですか?」
「―――え?あ、うん、大丈夫。今夜はありがとう、とりあえず家戻るわ。父ちゃんから連絡来るかもしれないし、風呂にも入らないと……」
「1人で、大丈夫かって聞いてるんだけど」
語気を少し強くしてしまった所為か、彼女はあからさまにびくっと体を震わせた。何だか、先程から妙な違和感がある。
「余計なお世話かもしれないけど、つかさと東条先輩の関係って---」
「何でもない、何でもないって!今夜は急に連絡したのに、ありがとうな。旭が来てくれて嬉しかった。それじゃあな」
俺のこれ以上の追及から逃れるように、夜空つかさは早足で家の中に入っていった。すぐに部屋の明かりがついたのを確認すると、俺は踵を返して家路についた。
彼女は、昔から歯に衣着せぬ物言いをするタイプで、それとは明らかに真逆だったから違和感を抱いたわけじゃない。
東条先輩の前では猫を被ることは公言していたわけだし、それが東条先輩との良好な関係性を作っていくのならいいのだと思っていた。
だけど、昨夜の夜空つかさは東条先輩を前に何も言えずにいたし、むしろ怯えていたようにも見える。頑張って意思を伝えようとしても、東条先輩の方から気持ちの面でシャットアウトしてしまっているし、あれでは意思疎通もはかれないし距離を詰めようとしても難しいのかもしれない。
東条先輩と夜空つかさの関係性をさらに複雑なものにさせた権化となる自分が言える立場ではないのかもしれない。だけど、いつも部活では笑顔で向き合ってくれていて、意見もきちんと聞いてくれる先輩とはかけ離れているように見えた。
俺の、勘違いなのだろうか。
授業を終えて、いつものように体育館へ向かった。
すでに日比野や東条先輩がウォーミングアップを始めていた。東条先輩は町田先輩とラリーを行っている。俺はひとまずウォーミングアップを始めてからサーブやスマッシュ、ツッツキなどの形の確認を始めた。
「里中先輩、一緒にやりませんか?」
「あ、うん」
日比野から声を掛けられ、俺は東条先輩たちの台の隣に立った。東条先輩はひたすらに前を向いている。町田先輩は気づいて片手をあげてくれたが、東条先輩は何も反応を返してくれなかった。ひやり、と全身が冷えていくような感覚を覚える。
東条先輩は、昨夜のことがあったから、俺のことを視界にも入れたくないのかもしれない。そんなことを考えながらラリーを続けていると、案の定身が入らなくなりミスが増える。いつもならミスをしないだろうサーブミスまで連発し、日比野は片眉を上げた。
いつの間にか東条先輩と町田先輩がラリーの手を止めてこちらのラリーを見つめている。余計に体が強張り、上手くスマッシュも決まらない。
「―――旭、ちょっとミスが多いな。大丈夫か?予選も近いし、焦るのも分かるけど一球一球丁寧にやらないと一気に点差が開くぞ」
いつもの東条先輩の言葉に、俺は手を止めて顔を見やる。
うんうん、と首肯する町田先輩の横で口元に笑みを浮かべながら東条先輩が立っている。でも何故だろうか、きちんとアドバイスをしてくれているはずなのに、あまり言葉が響いてこない。口元と連動して目は笑っていないからか。
「……はい、すみません。集中します」
俺は台に掛けていたタオルで顔を拭うと、日比野と向き合った。
「日比野、ごめん。やろうか」
先ほどと様子が違うと気づいたのか、日比野は口元をきゅっと引き結ぶと眼鏡をくいっと上げた。
何だか炎のようなものが燻っているような感覚に陥っている。
彼女に、辛そうで苦しんでいる表情をさせている人に至極真っ当なアドバイスをされたことに対しての悔しさと、自分は別にプレッシャーに押し潰れそうになっているわけじゃないという仄かな怒りがこみあげてくる。
ふつふつした、溶岩のようなものが押し寄せてくるかのよう。
日比野にも、東条先輩にも、自分自身にも負けたくない。
俺は自然と強くラケットを握り直した。
あの後、東条先輩とダブルスを組んで再度試合を行った。
東条先輩が打ちやすいように、迷惑を掛けないように、今までは自分が後手に回るようにどこか動いていたように思う。もちろん、ダブルスで動いているので自分主体の試合ばかりを繰り返してはいけない。だけど、俺は東条先輩と肩を並べるよう、むしろどこか追い抜いてやろうという気持ちが急いていた。
攻撃的なレシーブを繰り返し、それが上手く相手のコートに決まると俺は自然とガッツポーズを繰り出した。
東条先輩にも恩田先生にも賞賛の言葉を貰えた。だけど、やはり東条先輩は言葉を掛けてくれるまでも、今までのようなフレンドリーな対応は見せてくれなかった。
仕方ない。信用を失わせたのは俺自身だ。夜空つかさとの関係性をきちんと説明をしようと思っても、多分東条先輩は聞き入れてくれないだろう。
それならば、実力で信頼を勝ち取るしかない。
俺はぐっと唇を引き締めて、ある家の前に立っていた。
インターフォンを押すと、ぱたぱたと走ってくる音がする。
「叶多―――!」
笑顔の彼女の表情が一瞬にして固まった。
「東条先輩からは、やっぱり連絡がないんですね」
「……私が、悪いんだ。叶多に誤解をさせるような態度を取ったから」
「夜空先輩は悪くないですよ。彼氏なのに、きちんと話を聞いてくれないのが良くないんだ。一方的に話して、相手の言い分を一刀両断していい理由にはならない」
俺の言葉に、夜空つかさはぽかーんとあっけにとられている。
「え、旭、どうしたんだ?叶多のこと、そんなこと言うなんて―――」
「別に、俺は悪口を言っているわけじゃないですよ。東条先輩の態度に違和感を持っているだけです。今日の部活での東条先輩はいつもの優しい先輩でした。だけど、俺に対しては不信感を抱いている。でも、そう思わせる要素を与えたのは俺自身なので反省すべきだと思っています。だけど、夜空先輩の言葉はきちんと伝えるべきだ。何も悪いことはしていないのだから。何日にも渡って夜空先輩との連絡を絶って、ほとぼりが冷めたら受け入れてあげようという魂胆なんでしょうけど、そんなのはやっぱりおかしい。夜空先輩が悲しみに打ちひしがれて、そんなどん底の状態で彼氏の矜持をひけらかせるのは、俺は納得が出来ない」
「ど、どうしたんだよ、旭……」
どうしようもない感情が込み上げてくる。
自制すべきだと、心が声を上げているのに、俺はその規制を思いっきり振り払う。
「夜空先輩、俺は、あなたが好きです」
夜空つかさは思い切り目を見開いた。
「急に、こんなこと言ったところで混乱させてしまうことは分かっています。だけど、今伝えたかった」
夜空つかさを見やると、彼女は唇を噛みしめ、目はきょろきょろと動かしている。
当然だ。夜空つかさは、東条先輩が好きなのだから。
「だからといって、付き合って欲しいとかそういうお願いをするわけじゃないです。ただ、俺はありのままのあなたが好きだと、それを伝えたかっただけです。すみません、これで失礼します」
俺は一礼すると、そのまま踵を返した。
しばらく歩いていると、「旭!」と後方から名前を呼ばれ振り返った。
急いで追いかけてきたのか、夜空つかさはつっかけのようなものを履いていて、ところどころよろけそうになりながら走っていた。
「―――勝手に、言いたいことだけ言ってすっきりして帰るなんて卑怯だぞ!」
息を切らしながら彼女は真っ赤な顔でそう言った。
俺はそんな必死な彼女の姿に、ぶっと思わず笑ってしまった。
「い、今、笑うところじゃないだろ!」
「いや、何か、必死に追いかけてきて可愛いなぁって」
俺がそう言うと、夜空つかさはますます顔を赤らめた。
「な、なぁ、旭ってそんな可愛いとかそういう直球なことを面と向かっていう奴だったっけ?」
「いや、違いましたよ。だけど、自分に正直に生きようと思いまして」
「そ、そうなのか……?」
ちょっと首をかしげて困惑気味に話す彼女の姿など、東条先輩は見たことがないんだろうな。
彼女の真の姿を俺だけしか知らないという優越感。それだけで、満足だ。
「夜空先輩、きちんと話をしようって自分から東条先輩に言ってください。ただただ忸怩たる思いで待ってるなんてあなたらしくないです。躱されても追いかけるのが、夜空つかさでしょう」
俺の言葉に、夜空つかさははっと気づかされたようだった。唇を引き締めて、こくんと小さく頷いた。
俺も笑みを浮かべて首肯した。
「旭、ありがとう!」
「どういたしまして」
そのまま夜空つかさは覚束ない足取りで戻っていった。
これでいい、これでいいんだ。
彼女が東条先輩とちゃんと幸せになってくれることを、俺は心から願った。
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