第7話
予選への練習にも熱が入り、放課後はファーストフード店で砂川にフォームの改善や相手選手の特徴など相談に乗ってもらったりとあっという間に時間が過ぎていった。
東条先輩からの反応は、あまり変わらなかった。
むしろ、俺とのダブルスに遠慮が出てきているのかやりづらそうな雰囲気が伝わってくる。
俺はその後、東条先輩が打ちやすい動きやすいように形勢を変えながらも、攻撃的なフォームを繰り出すのは変えなかった。それに対して東条先輩からは何も言われなかったし、恩田先生からも指摘を受けたりはしていなかった。
だから、部内の空気が微妙になっていることに気づけなかった。
ある日、恩田先生に練習後に残るように言われた。制服に着替えて、職員室に向かうと恩田先生が渋面を作って座っていた。あまりいい予感がしなかった。
「失礼します、恩田先生」
「あ、里中、来たか。ちょっと隣の会議室で話そう」
連れだって会議室に向かうと、パイプ椅子に座るように促された。
「最近、里中はスタイルがちょっと変わったな。何か心境の変化でもあったのか?」
「え、いいえ、そういうわけではないんですけど……」
恩田先生は次の言葉を吐くのに歯切れが悪そうに片眉をしかめている。
「里中、東条と何かあったか?いや、言いたくなければいいいんだが」
東条先輩の名前に、俺は一瞬動揺を見せたのか恩田先生は小さく息を吐いた。
「さっきな、東条から打診があったんだよ。里中とダブルスを解消させてくれないかって。理由は里中のスタイルが変化したことで打ちづらくなりミスが目立つようになったと。俺が見た感じだと、東条も里中もそんなにミスはなかったし、変えるほどでもないと思ったんだけどな。東条も、最後の大会だし、意思を汲んでやって欲しいんだ。東条は町田とダブルスを組む。里中はシングルで出場であらためて組むってことでも大丈夫か?」
「そう、ですか。東条先輩から」
どこか心の中で予測していたことだ。俺への疑心は晴れなかったのだろう。
だけど、こんな形で東条先輩から一方的に切り離されるとは思わなかった。怒り、というよりどこか悲しい気持ちが去来する。
「分かりました。それで、大丈夫です」
「そうか、悪いな」
ほっとしたように呟く恩田先生に申し訳なく思いながら、俺は一礼して会議室を出た。
校門を出た先に、見覚えのある人影が立っているのが見えた。
町田先輩と高畑先輩がこちらに近づいてきている。
「里中、恩田先生に呼ばれただろ。何の話だった?」
「―――東条先輩が、ダブルスを解消して欲しいって」
「あーやっぱりな……叶多、ずっと言うべきか悩んでいたんだよ」
町田先輩は少し睨みつけるようにこちらを見た。
「里中、叶多と何かあっただろ?あいつ、俺たちに話してくれないけど、いつもの接し方じゃないのは部内の皆が気づいていたよ。あのさ、今年は俺たちも最後だし、卓球以外のごたごたを持ち込まないで欲しいんだよ。チームに入れなかった三年もいる。そいつの心情も理解してくれよ。俺たちは、この予選に掛けているんだから真剣に向き合ってくれよ。向き合えないんだったら、里中がチームから外れてくれ」
隣の高畑先輩も何も言わずにこちらを見つめている。
俺は部内の空気が自分の所為でこんなにも悪くなっていることに気付いていなかった。東条先輩に、自分自身に負けたくないという思いで、強くなろうとスタンドプレーばかりを繰り返して、全体に迷惑を掛けてしまっていたんだ。
「……」
謝ろうと口を開くも、言葉が続かない。
「―――里中先輩が謝る必要ないと思いますよ」
後方から聞き覚えのある声が掛かり、俺はゆっくりと振り返った。
自転車を引いて、日比野が立っていた。
「日比野、今は俺たちが里中と話してて―――」
「話していないんですよね、一方的に二人で攻めているようにしか見えません」
日比野の言葉に、町田先輩が不快ように眉をひそめた。
「どこが攻めているんだよ。叶多の卓球に掛ける思いを邪魔するなって―――」
「町田先輩も感じませんか。里中先輩はむしろ東条先輩と匹敵するぐらいの力をつけてきていると。俺、去年の二人の試合を見に行ったことがあるんです。その時は、里中先輩は後方にまわり、東条先輩を立てているようなプレーをしていた。この人は、全力のプレーで挑んでいないんじゃないかと思いました。でも、今は遠慮することなく実力を伯仲させていると感じます。むしろ、東条先輩は里中先輩が力をつけていることに焦っているんじゃないんですか?俺は里中先輩と試合をしていて、この人はもっと強くなれる。もっとたくさん試合をしたいって思います。だから、むしろダブルスを解消して良かったんじゃないんですか?シングルの方が思い切り試合が出来るんですから。町田先輩のように東条先輩のプレーを知り切っている人が相手の方が、予選は今よりも強いチームで挑むことが出来ると思います」
日比野はにっこりと笑みを浮かべた。
町田先輩も高畑先輩は互いを見やり、バツが悪そうに頭をかいた。
「里中、何かごめんな。里中一人を攻めてるつもりはなかったんだけど、言い方きつかったよな」
「いえ、そんな、俺こそ、予選が近いのにチームの団結をばらばらにするようなプレーをして申し訳ありませんでした」
「大丈夫大丈夫、また明日部活でな」
町田先輩と高畑先輩は二人で歩いて行った。
俺は後ろを振り返り、無表情で立ちすくむ日比野を見つめた。
「口から出まかせ、言っているわけじゃないですよ」
「うん、それは分かってるけど、そんなに日比野が長い言葉を話すのを初めて見たかも……」
「普段から、あまり人と話すのは好きじゃないです。黙々と、卓球に打ち込んでいた方が有意義ですから」
さらっと口にする日比野に、俺は思わずぶっと吹いてしまった。
「いや、それにしても、日比野は凄いな。誰も貶めることなく、先輩方も盛り立てて、機嫌を直させて帰すんだもんな。俺には真似できないよ」
「里中先輩は卓球だけに打ち込んでいて欲しいので。東条先輩の私的な感情で里中先輩の地位を危うくされると、俺も試合がしづらいんですよ。今回のことだって、東条先輩が里中先輩に対していきなり態度を変えたのが問題なんですから。何が原因なのかは別に知りたくもないのでいいですけど、人間関係のいざこざでやりたいことが邪魔されるのは我慢ならないんです」
日比野の言葉には怒りの色が混じっている。あらためて訊くことでもないけれど、日比野も中学時代に部活内で思い当たることがあったのかもしれない。
「とりあえず、ありがとう。お礼に何か奢るよ」
「別に奢らなくていいですよ。俺、自転車で25分くらいなので。途中にコンビニとかありますし、適当に買って帰ります。それなら、折角シングルになったんですから、明日全力で俺と試合してください」
「―――うん、分かった」
日比野はどこか照れくさそうに眼鏡をくいっと上げた。
学校では勉学、卓球に打ち込み、最近は砂川と一緒に日比野を誘ってファストフード店で話をするようになった。なかなか日比野は誘いに乗ってくれなかったが、卓球への愛が誰よりも強いからか三人で議論が白熱するとしゃべり足りないのか店にも着いてくるようになった。
東条先輩とは、ダブルスを解消してからあまり話せていない。
だけど、水曜日に急いで帰る支度をしているのを見ると、夜空つかさとは上手くいっているのだろうと安堵していた。
そんな矢先に、また夜空つかさから連絡が入った。
【ちょっと相談に乗って欲しい】と一言のみ。
どこか浮足立っていたが、俺は自制心を持って帰路についた。
学校からそう離れていない場所に、見覚えのある焦げ茶色のブレザーにチェックのスカートの制服を着た女性が立っていた。長い黒髪はボブになっており、最初気づかずに通り過ぎようとしていた。
「おーい、何無視してんだよ!」
聞き覚えのある声に、俺は勢いよく後方を振り返った。
そこにはいつもの不敵な笑みを浮かべた夜空つかさが立っていた。
「……いや、だって、気づかないでしょう」
「そこは、長年の付き合いなんだからさ、気づいてくれないと」
夜空つかさは大きくジャンプして、俺のすぐ目の前に着地した。彼女の顔が目の前にあり、俺は自然と何歩か後ろに後ずさった。
「何で離れるんだよ」
「いや、だって、顔が近いですよ」
「へへへ、旭は可愛い奴だなぁ」
夜空つかさは俺の頭を撫でようとしたので、思わずその手を強く払ってしまった。
「子ども扱い、しないで下さい」
俺の強い口調に、彼女は心底分からないとばかりに目を丸くしている。
「それで、相談って何なんですか?あまり一緒にいるところを見られると、東条先輩に勘違いされますよ」
東条先輩の名前に、夜空つかさはふっと寂しそうに目を伏せた。
「え、ちょっと、まさか―――」
「なわけねぇだろうー順調だっての!」
思い切りあかんべーをする夜空つかさに、一抹の怒りを覚えながら俺はほっと胸を撫で下ろした。
「ならよかったです。髪もばっさり切っていたので、心機一転なのかと思ってひやひやしてました」
「いや、心機一転っていうのは間違ってないよ」
夜空つかさはどこか言いづらそうに足元の小石を蹴って遊んでいる。とりあえず、俺は言葉を促さないで彼女のタイミングを待った。
「あのさ、高校を卒業したら、東京の母ちゃんのところに戻ろうと思ってるんだ。それで、そこから東京の大学に通う。私、母ちゃんと同じ弁護士になるんだ」
あまり驚くことなく、彼女の言葉はすとんと俺の心に入り込んできた。
「そうですか、昔からお母さんみたいになりたいって言ってましたもんね」
「旭に言ってたっけ?うん、結局さ、祖母ちゃんが脳内出血を起こしてて、リハビリも兼ねるから長期入院になるらしくてさ。私が家で一人で住んでいることを父ちゃんが母ちゃんに話したみたいで。一人で暮らすなんて心配だから東京に戻ってきなさいって。何か、付き合ってた男とも別れたらしくて。私が母ちゃんに弁護士になるために法学部を受けるって言ったらめっちゃ応援してくれるかと思ったら『つかさには無理よ』なんて言うし。何か頭にきてさ、必死に勉強をしてる」
「夜空先輩らしいですね。そのこと、東条先輩には……」
「うん、話したよ。遠距離になること、最初は渋っていたけどお互いの夢を叶えるために頑張ろうって話したら分かってくれた」
「それなら良かったですね」
彼女は小さい頃から正義の旗を掲げてきた。
その旗を掲げ続けることに世間の風は冷たかったのかもしれないけれど、その逆風に負けることなく彼女は夢に向かって邁進しようとしている。
悔しくても悲しくても彼女は負けなかった。弱さをひけらかすことを嫌い、風丸と俺の前にだけ見せてくれた。
強くたくましく、彼女は巣立っていく。もう、俺は必要ないはずだ。
「たまには弱気なラインを送ってきてもいいですけど、負けないでくださいね」
俺がそう言うと、少し寂しそうに微笑みながら彼女は頷いた。
「ところで、相談って何だったんです?」
「んー相談っていうか、報告をしたかっただけだな。ちょっと、旭」
カムカム、と手招きされて俺は何の疑いもなく夜空つかさに近づいた。
そのまま、ぎゅっと抱きしめられた。
「―――ちょ、夜空先輩!ダメですって」
「いいんだよ、ずっとこうしたかったんだ」
彼女の言葉の真意が読み取れない。ずっとこうしたかった?それはどういうことだろうか。そんな思いがぐるぐると目まぐるしく脳内を巡っていく。
「旭、本当にありがとうな。再会してから、毎日のように家に行っても追い返さないで話を聞いてくれて。急に連絡したのに、病院まで来てくれて。ずっとずっとお礼を言いたかったんだ」
緊張で強張っていた体がすうっと解けていくようだった。
「……こっちに帰ってきてから早く旭に会いに行けば、私たちは今頃付き合っていたのかな?」
ふっと体を離し、そう小さく呟く彼女を再度抱きしめたくなったがぐっとこらえた。
「……やめましょう、そういう仮定の話は。先でも後でも、夜空先輩は東条先輩と付き合っていた、そう思いますよ」
俺はきちんと平常心で笑顔で話せているだろうか。何故だか目の前の夜空つかさの顔がぼやけている。
「東条先輩と幸せになってください」
心からそう言うと、夜空つかさはどこか達観していたように薄く微笑んだ。
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