第4話

「―――そろそろインターハイへ向けた予選会が始まる。その団体戦の選手を決めていくぞ」

(来たか―――!)

顧問の恩田先生の言葉に、俺は自然と唇を噛みしめた。

「これから部内リーグを行っていく。もちろん、その勝敗だけで選手を決めるわけじゃない。これまでの試合の成績や部活での態度も加味して決めていく。以上だ」

恩田先生の言葉に部内の熱も上がる。海聖高校はそれなりの卓球の強豪校で、毎年のようにインターハイに出場している。卓球部員は全員で14名。そこから4名から6名選出される。俺は違う大会の団体戦で東条先輩と組んだが、今回はどうなるかは自分の実力次第といったところだ。

それに、今年東条先輩は3年なため、大きな試合に参加するのも最後だ。

最近、卓球以外のことでもやもやしていたが、気合を入れ直して取り組みたい。そして、また東条先輩とダブルスを組みたい。

俺はばしっとラケットで太ももに喝を入れた。

一回戦、同級生の砂川と当たるも何とかぎりぎりのところで3セット先取して勝った。砂川は守りに徹したところがあったが、今回はドライブやスマッシュなど攻撃的な打法で攻めてきた。俺はバックハンドを得意としていて、チキータなどを加えながら必死に応戦した。砂川も、選手に選ばれるために必死に練習を繰り返していたのを知っていたので、試合が終わるとどっと体中から汗が噴き出してきた。

「おつかれー旭。やっぱり強いなぁ」

「いや……砂川、強くなってるよ。回転も凄い掛かってるし、打ちづらかった」

「そういってもらえると嬉しいよ」

砂川はラケットを持つ手を挙げてそのまま去っていった。その手が悔しさで小刻みに震えているが見えていた。

皆、代表選手になるために毎日研鑽を積んでいる。恩田先生は部内リーグの順位が査定のすべてではないと話していたが、大多数を占めるのはやはりランキングのはずだ。

負けられない。

2回戦も勝ち、東条先輩にあたる前に今年有望株と噂の1年生とあたることになった。中学の時も全中(全国中学校卓球大会)でシングルスベスト4に入ったことがある日比野だ。日比野は分厚い黒のフレームの眼鏡を掛けている。俺もがっちり固定できるタイプの眼鏡を掛けていたのでぶれにくさがあるが、眼鏡自体が重く、疲れやすいデメリットがあるのを知っている。

だが、日比野はそんな疲れを滲みだすこともなく、同級生や上級生との試合も圧倒的な強さで勝ち続けてきた。今回のインターハイ予選の代表に選ばれるのが確実だと言われている一人だ。

だけど、出場したいのは俺も一緒だ。

俺は腰を低くして構える。日比野は普段からポーカーフェイスを貫いていて、感情が一切読めない。休憩中も一人でいることが多く、同級生たちと談笑をしたりするところをあまり見たことがない。自己完結型で、強さを貫いてきたタイプなのだろう。

まずは―――巻き込みサーブ!

すかさずフリック、チキータ、と攻撃的なレシーブが続く。俺のレシーブがとらえられ、強烈なスマッシュが打ち込まれた。反応が遅れ、ラケットの先をピンポン玉が通過する。

はあはあ、と息が切れる。ラリーが長かった分、体力の消費が激しい。横目で日比野を見やると、無表情でラケットのラバーを裏表にして確認している。

(―――くそっ)

日比野は、やはり強い。

その後、2セットを先取され、俺も負けじと2セットを取り返し、最終の5セット目までもつれ込んだ。白熱した戦いに、いつの間にか部内のメンバーが全員ギャラリーになって見つめている。

東条先輩も当然見てくれているはずだ。このまま後味の悪い負け方はしたくない。

10-10まで来た。この後は2点先取した方が勝ちだ。

1点を取られ、後がなくなった時、視界の先に東条先輩が見えた。俺と目が合うとぐっと拳を握ってくれた。俺は唇を噛みしめ、日比野のサービスを待つ。その時、ふいに夜空つかさの自分をからかうような笑顔がかすめた。何故、こんな大事な時に出てきたのか。そこで、集中力が削がれた。

日比野のサービスをレシーブミスし、ネットに引っかかった。

いつもだったら、返せてた。何でこんな時に、出てくるんだ夜空つかさ。

大事な局面にまで出てくるなんて、彼女は本当に天敵で疫病神しかない。俺は悔しさに項垂れて、ラケットで右の太ももを何度か叩いた。


そこから東条先輩が俺に何を話しかけてくれたのかあまり覚えていない。

でも、多分「よく頑張ったな」とか「日比野相手によく検討したよ」とか、そういう慰めの言葉だったんだと思う。

だけど、俺はきっと選手から外されるだろう。

試合が終わった後、気持ちはどん底だったが選手マンシップに乗っ取り、しっかりと日比野には挨拶をした。日比野は少し片目を歪めながら、「里中先輩と試合が出来て嬉しかったです」と賛辞の言葉をくれた。

嬉しかったけれど、負けたのは俺自身で、東条先輩とも試合をできなかった。

その後、休憩をはさんで東条先輩と日比野が試合をした。やはり部長の貫禄があってか、日比野を下した。日比野は心底悔しそうにして、体育館の隅で地団駄を踏み、一人で試合の振り返りをしていた。

やはり、東条先輩は強い。だからこそ、俺が隣でまたラケットを振りたかった。

有終の美を飾る時に、俺が傍で立っていたかったのに。

でも、これが今の俺自身の実力なんだ。

もっともっと強くならなくちゃならない。

俺は久々に砂川とファーストフード店に寄って二人でシェイクとポテトLサイズを頼んだ。放課後、あまり寄り道をしないが、砂川がお疲れ様会をしようと誘ってくれたからだ。甘いのとしょっぱいの繰り返しで、舌がおかしくなりそうだったが美味しかった。そして、砂川と二人であらためて試合の検討もした。

「お互い、選手に選ばれるかはどうであれ、やっぱり卓球は奥が深いよな」

砂川の言葉に、俺はいちごシェイクを啜りながら頷く。

「でも、日比野との試合で最後に一瞬、気が削がれた部分があって、あれがやっぱり悔やまれる……」

「まぁ、しょうがないよ。日比野、やっぱりめちゃくちゃ強いもんな」

放課後、砂川と一緒に来たのも、家に帰ったら夜空つかさが待ち構えていると思ったからだ。

正直、今はあまり彼女に会いたくない。

「東条先輩も、もう引退かぁ。俺たちも来年3年だし、進路とか色々考えないといけない時期だよな」

「そうだよなぁ」

「東条先輩は実業団リーグを目指すなんて話聞いたけど。旭もそうすんの?」

「俺は、どうだろう……」

卓球を始めたのは小学校の時だが、面白く感じ始めたのは中学の時だ。卓球を生活の主軸に置くとはあまり考えていない。

自分はどう生きていきたいのか。まだ不透明なままだ。


日もとっぷりと暮れて、家に帰るころには6時近くになっていた。

今日は母も飲み会で遅くなると聞いていたので、チルド室に残っている鶏肉で簡単に親子丼とかを作って終わりにしてしまおう。

家の前まで来ると、何やら人影が見える。しゃがみ込んでいるようだ。

まさか―――

足早になって近づくと、地べたに座り込んで単語カードを眺めている彼女がいた。

「―――なんでまだいるんだ!」

「ん、あれ、おかえりー遅かったじゃねぇか」

普段と変わらない様子の夜空つかさに、俺はいらっとした感情を抑えられなくなった。

「なんで、まだ、いるんですか!まわりは暗いし、一人でこんなところに居たら危ないじゃないですか!」

「そうだよなー花の女子高生だもんなーさっきも酔っぱらいのへんな親父が声かけてきたけどさ、どすのきいた声を出して威嚇したらしっぽ巻いて逃げてったぜ」

けらけらと笑いながら話す彼女に、俺は何だか体の力が抜けていくようだった。

「俺だって、友達との付き合いがあるんですよ。帰ってくるの遅い日だってあるんです」

「まぁ、それもそうだな。あ、じゃあさLINEの交換しようぜ」

鞄からごそごそとスマホを取り出す彼女に、俺は手のひらを突き付けた。

「お断りします。俺の名前が東条先輩の目に入ったらどうするんですか」

「そこは名前を変えればいいじゃん。旭だから……【A】とかにでもしとくよ。それなら問題ないだろ」

そう言いながら夜空つかさは勝手に俺のスマホを鞄から取り出し、勝手に登録してしまった。東条先輩に対する罪悪感しか残らない。

「夜空先輩は、こんな毎日のように俺の家に来てること東条先輩には話していないですよね?彼氏がいるのに、彼氏以外の男のところに行ってるなんてバレたら―――」

「え?だって旭は大事な幼馴染じゃん。叶多は彼氏だし。全然別物だろ?」

淡々と話す彼女に、俺は何故だかふっと気持ちが冷めていくのを感じていた。

まぁ、そうだよな、俺は単なる幼馴染だしな。幼馴染というより、体のいい暇つぶしの相手だもんな。

「……もう家には来ないでください。俺は単なる幼馴染で、時間つぶしの格好の相手なだけでしょう。東条先輩や友達の家にでも行けばいいじゃないですか。家に居場所がないからいさせてほしいって」

俺の言葉に、夜空つかさは一瞬傷ついた表情をした。

「―――何だよ、その言い方。旭なら、分かってくれると思っていたのに」

「俺だってね、忙しいんですよ。夜空先輩だって受験生なんだから久々に再会した幼馴染の家に入り浸ったりしないで、もう少し将来の自分のこととか考えた方がいいんじゃないですか?」

夜空つかさは眉を吊り上げた。

昔、俺の家の前で男子を追っかけまわしていたあの時の彼女の表情にそっくりだ。

「―――分かったよ!もう来ねぇよ!邪魔したりして悪かったな!」

そう言い捨てると夜空つかさはそのまま走り去っていった。

闇に溶けるように彼女がいなくなると、空虚な気持ちと共に心にぽっかりと穴が空いたような自分がそこに立っていた。

完全に八つ当たりだ。そして、そんな夜空つかさを独占している東条先輩への嫉妬も。

ふと下を見下ろすと小さな紙袋が置いてあった。拾って中を覗くとすでに冷え切った肉まんが二つ入っていた。

もしかしたら、夜空つかさはこれを一緒に食べようと待っていたのかもしれない。

視線を上げて目を凝らしても、そこにはしんとした静寂しか残されていない。

もう、明日から彼女は家に来ないだろう。

そう考えるだけで言い表せないくらいの寂しさが襲ってきた。

そうか、俺は、彼女が家に来ることを待ち望んでいたのか。

気づいた時にはもう遅かった。散々彼女を苦しめて、自分自身も傷つけて、そこには自分の心の状態を体現するかのような冷え切った肉まんだけが残されていた。








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