第3話

夜空つかさが先輩とデートの日はつかの間の休息日だ。

彼氏彼女というのは毎日のようにデートするものじゃないのか?と訊くと、東条先輩は週4バイトに入っていて、さらに下に3人も妹がいるらしく世話で忙しいらしい。

放課後デート出来るのは毎週水曜日のみとのこと。

今日はその水曜日だ。俺はうきうきとした気持ちで家事に取り掛かる。洗濯物を取り込んで、畳んでしまい、その後はお弁当箱を洗い片付ける。今夜は母が買っておいてくれた豚の細切れで生姜焼きを作ろう。最近夜空つかさが横で東条先輩の惚気やら学校での愚痴をしゃべってくるので、なかなか集中できなかった。だから一人で黙々と集中できるこの時間帯は至福だ。

肉を醤油・酒・ショウガの液に付け込んでいる時にピンポーンと急にチャイムが鳴った。母が帰宅するにはまだ早い時間帯だ。嫌な予感がしながらもインターフォンの通話のボタンを押す。そこには落ち込んだ様子の夜空つかさが映っていた。

はああああぁと長いため息が出る。

しょうがないか、と思いながらドアを開けると、唇を噛みしめ何かに必死に耐えている彼女が立っていた。

「……今日は念願のデートじゃなかったんですか?」

「そうだったんだけどさ、一番下の妹ちゃんがソファーから落ちて怪我したらしくて病院に連れていくって」

「それで、落ち込んで帰ってきたんですか?」

夜空つかさはふるふるっと小さく首を振った。

「それだけじゃ、ねぇよ。ここに来る時にさ、可愛いラブラドールとすれ違って、風丸を思い出しちまって……」

「―――中にどうぞ」

夜空つかさは無言で中に入った。

リビングに続く廊下を歩いている時、夜空つかさは「しょうがの匂いがする」と呟いた。

「今夜は豚の生姜焼きを作るんで」

「そっか」

それだけ言うと夜空つかさは「風丸はさ」と切り出した。

「私が小さい頃に、橋の下に捨てられていたんだ。父ちゃんに頼み込んで飼うことを許してもらった。その時、まだこっちにいた母ちゃんは良い顔をしなかったけど、外で飼うならって。ずっと風丸は私の遊び相手だった。散歩は約束したから朝も早起きして連れて行ったし、帰ってきたら真っ先に風丸の小屋に向かったし」

「風丸の小屋の横で寝てましたしね」

俺の横やりにも夜空つかさは反応を示さなかった。

「風丸はさ、父ちゃんと母ちゃんが離婚する時どちらにも連れていけなくて、老犬だったし、私は東京にどうしても連れていきたいって話したけど、聞き入れてもらえなくて。結局老犬ホームに預けることになったんだ。とはいえ、ほとんど父ちゃんは風丸に会いに行かなかったみたいだけどさ」

後半は語気を強くしてそう言い放つと、夜空つかさは拳をソファーに打ち立てた。

「最近、老犬ホームから風丸が死んだって連絡が来たみたいでさ。15歳、天寿を全うしたっていいたいところだけど、最期はちゃんと飼い主で看取ってあげられなかったのが悔しくて悔しくて。私だけじゃない、風丸まで父ちゃん母ちゃんの自分勝手な行いに振り回されたんだよ!」

うっと嗚咽をこらえながらそう言うと、そのままソファーに突っ伏してしまった。

俺が何を言ったところで夜空つかさの慰みにもならないと思ったので、そのまま黙ったまま彼女を見下ろしていた。

「……旭は、慰めたりとかそういう言葉を言わないんだな」

「慰めて欲しいんですか?」

「いや、そういうんのは欲しくない。うん、むしろ聞いててくれるだけでいい」

夜空つかさはがばっと起き上がると、そのままうーんと腕を伸ばした。

「言いたいことを、旭に吐きに来ただけ!風丸のこと、話せるの旭だけだからさ」

「……俺も、風丸が夜空先輩と東京に行ったのか、どうなったのか気になっていたので知れて良かったです。風丸は、俺にとっても遊び相手で癒しでもあったし」

「旭は風丸に相撲でも負けていたしなー」

夜空つかさはにししと、意地悪い笑みを浮かべている。

「あ、あれはね、夜空先輩が俺が風丸に勝ちそうだったから後ろから膝カックンしたからでしょうよ!俺の実力じゃないですからね!」

「嫌だなームキになっちゃってー分かってるってー旭はからかい甲斐あるなぁ」

けらけらと楽しそうに笑う夜空つかさを思い切り睨みつけると、俺はそのまま無言でキッチンに戻って料理の続きを始めた。

「おーい、旭ー怒ったのかよ?」

「別に、怒ってませんよ!ていうか用事が済んだら帰ってくれませんか?これから料理の続きをしたいんで」

腹の虫が収まらず、俺はムカムカしながら漬け込んでいた肉をこねくり回した。

「うん、これから帰るよ。今日は旭に会いに来てよかった。あんな落ち込んだ状態で帰ったら、ばあちゃん心配させるだけだもんな。ありがとうな」

ソファーの肘に頬杖し、こちらを見上げながら夜空つかさは嬉しそうに微笑んだ。

その表情に思わずどきっとしてしまった。なんて浅はかな俺なんだ。

「じゃなーまた明日ー」

「―――明日も来るんですか!?」

後ろ手で手を振りながら、上機嫌に鼻歌を歌いながら嵐が去っていった。

「……何だよ、くそ」

漬け込んだ肉をボールにがんがん打ち立てる。肉には罪はないのに。

何だか顔が火照っている気がする。

熱でも出ているのか?慌てて熱を測ってみると36.0度。めちゃくちゃ平熱だ。

でも、何だかいつもより顔が熱い気がする。心拍も速い。

「明日も来るんですか!?」の声も、何だか上ずってしまった気がする。

おかしいおかしいおかしい。

夜空つかさが、家に来てくれるのが楽しみだとでもいうのだろうか。

でも、そんな感情は持ってちゃいけない。今すぐに捨てなくちゃならない。

彼女には小さい頃からいい思い出はないし、ろくなことをされた覚えがない。

俺だけが知っている彼女の姿。そのことに若干の優越感を持っていることを否定できない。

だけど、

夜空つかさは、夜空つかさだけはダメだ。

彼女は、俺の尊敬する、東条叶多先輩のカノジョなのだから。

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非情な彼女は先輩のカノジョ 山神まつり @takasago6180

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