第20話 ポチ


 幼少期、その外見から命を狙われていたアルフレッド殿下は、罠にはまり、深傷をおい瀕死の状態に陥った事があったそうだ。その時、すでに死後の世界の住人となっていたマリアさんに、またしても時の神は、残酷な選択を迫ったという。


 アルフレッド殿下を助ける代わりに、時の神の『神使』と成れと。


 神使とは、神に仕える者達のことだ。つまりは、時の神は子を助ける代わりに、己の奴隷と成れとマリアさんに要求したのだ。


 本来であれば、死した魂は次の生へと転生していく。いくら、その魂がお気に入りだからと、手元に置いておくことは神だろうと出来ない。しかし、例外はあるらしい。その魂自らが、神の世界へと留まることを望み、それを神が認めた場合のみ、魂は神の世界へと拾い上げられる。そして、己を認めた神の『神使』として、永久の時を過ごすことになるらしい。


「――なんて、執念深いんだ」


「だから神なのよ。悠久の時を過ごしている彼らにとっての娯楽って何だと思う?」


「娯楽ですか? なんでしょう。想像できませんが、天界は美しい場所とは言われていますね。そこを天女なんだか、天使なんだかが優雅に飛んでいるイメージでしょうかね」


「確かに、そんなイメージを神官は説いていたわね。でも、実際はそんな素敵な場所ではないのよ。ある程度は、それぞれの神の好みに、空間を想像出来るけど、雰囲気はこことあまり変わらないわね。極端に無駄な物を省いた空間。何もないのよ。そして、彼らには娯楽を生み出そうという意識がない。だからこそ、暇を持て余している。そんな神の娯楽は、器を得て生きる物達の激しい感情の移り変わりを感じること。その感情が激しくなればなるほど、そこから得られる高揚感は大きなものになる。それを得たいがために、神は下界へと干渉するのよ」


 私達が、テレビや映画を観て、様々な感情を疑似体験するのと同じ感覚で、神達は下界へと干渉する。良い迷惑だ……


「つまりは、下界で起きる天災や争いごとなどは、神が己の快楽を満たすために起こしていると言うことですね?」


「そうよ。彼らにとって魂の喜怒哀楽が激しければ激しいほど、より大きな快楽を得られる。時の神にとって、神殿での生活に疑問を持っていた私の存在は、暇を潰すにはちょうど良いおもちゃだったのね。そして、私が『神使』となれば、半永久的に負の感情という快楽を得続けることができる」


「――今も、ここに貴方がいるということは、マリアさんは時の神の『神使』となることを選択したのですね?」


「えぇ。あの子が助かるなら、憎い相手と永久の時を過ごすことになってもよかった。これくらいしか、あの子にして上げられないしね」


 そう言って笑うマリアさんを見つめ、これが母親の強さというものなのかと感じていた。


 私だったら、憎い相手の奴隷として過ごすなど出来そうもない。それが、たとえ愛する人のためだと言えども……


「それに、側にいた方が、アイツが何か仕掛けてきた時にすぐ対処できるしね。そのおかげで、貴方の魂に前世の記憶を残したまま転生させる事が出来たのだもの」


「そうです! それです。まだ貴方から、どうして私に前世の記憶を残したか聞いていません。というか、今の言葉では、貴方が前世の記憶を残した張本人だったということですか」


「ユリアス、貴方には本当に感謝しているわ。あの子の命を二回も助けてくれた上に、今でもあの子の側にいてくれる」


「ちょっと待ってください。アルフレッド殿下を助けたのは、一回のみです。二回ってどういうことですか?」


 以前、殿下にも二回命を助けられたと言われた事があったが、その記憶はない。間違いなく、彼の命を救ったのは、あの森での一件だけだ。


「幼少期に瀕死の傷を負ったアルフレッドは、貴方の前世の世界へと転移させられたの。時の神によって」


「――うそ……だろ……」


 前世の記憶が、ある一場面を思い出させる。公園のベンチの下でうずくまり震えていた子犬……


「――ポチ……」


「そうよ。貴方が命を助け、数年にわたり世話をしてくれた子犬こそが、幼い時のアルフレッドだったの」


 ずっと殿下に感じていた既視感は間違いではなかったのだ。


 殿下の毛繕いをするたびに感じていた物悲しさと愛しさの理由がずっとわからなかった。


 心ではわかっていたのだろうか……。彼こそが、かつて失った大切なポチだったということを。


「――でも、ポチは突然いなくなった。時の神の仕業ですね?」


「えぇ……」


 マリアさんを苦しめるためだけに、ポチを元の世界へと戻したのだ。危険なアルスター王国へと。


「許せない。己の欲望を満たすためだけに、神だからといってそんな事して良いわけないだろ! 人の生死をなんだと思っているんだ!!」


 時の神への怒りで、手が震えてくる。


「神だからと、何でも許されると思うなよ! 絶対に許さない……」


 この空間が、時の神の所有物であろうとも関係ない。奴に宣戦布告してやる! いつか絶対に、己の罪深さを後悔させてやるのだから!!!!


 そんな事を心に誓いながら、マリアさんへと言葉をかける。


「何となく分かりました。貴方が私の魂に前世の記憶を残した理由が。もう一度、ポチと再会出来るようにですね?」


「えぇ。どうしてもアルフレッドの願いを叶えてあげたかったの。貴方と引き裂かれて、アルスター王国へと戻された時のアルフレッドの悲痛な叫びは今でも覚えているわ。よほど貴方との生活が幸せに満ちていたのね」


 生まれた時から命の危険にさらされ続け、己の出自と外見で散々辛い目に遭ってきた殿下にとって、ポチとしての平凡な生活こそが幸せだったのだろう。縁側で爺さんに背を撫でられながら、話し相手として一日の大半を過ごす。そんな平穏な生活こそ、アルフレッド殿下が最も望んでいたものだったのだろう。


 マリアさんの面影を私に求めていたのかもしれないな。ポチは……


 決して得ることが出来ない母の温もりを私に求めていたのだろう。


「ユリアス、貴方には申し訳ないことをしたと思っているわ。私のわがままで、貴方に前世の記憶を残すように細工してしまったのですもの。前世の記憶がなければ、もっと生きやすかったでしょうに」


 確かに前世の記憶がなければ、草食獣人として生まれた理不尽さを感じることもなく、今でも、あの草食獣人街で、漫然と時を過ごしていただろう。森へなど行こうとも思わず、殿下と再会することもなかった。


 その方が幸せだったのではと問う声もあるかもしれない。しかし、それは違うと心が訴える。


 前世の記憶があったからこそ、アルフレッド殿下と出会うことが出来、ポチを失いポッカリと開いてしまった心を満たさことが出来たのだ。


「マリアさん、私は前世の記憶があってよかったと思っています。だって、もう一度ポチと出会えたから……」


「ユリアス……ありがとう……」


 マリアさんの目で光るものを見つめながら、今後の事を考える。


「さて、死んだ事ですし、元凶をギャフンと言わせるために手を組みましょうか。マリアさん!」


「えっ? ユリアス、貴方まだ死んでいないわよ」

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