宙舞う君は、あの頃の笑顔のままで。

海月いおり

ハロウィン



「トリーック!! オア〜!! トリートッ!! お菓子をくれても、イタズラするぞー!!」

「声が大きいわ」


 ペシっと頭を叩き、微笑む彼。少し厚い黒縁眼鏡の奥で、優しく目を細める姿が大好き。


 きつく締めたえんじ色のネクタイが揺れ、サラサラの黒髪を優しくなびかせる。風と共に消えてしまうのではないか。そう思わせるくらい彼の存在が儚く感じられる、不思議な透明感のある彼氏。



「お菓子をくれてもイタズラするぞー、だとさ。Trick or Treatじゃなくて、Trick and Treatになっちゃうよ」

「夏樹くんは細かいなぁ」

「千秋ちゃんが適当なんだよ」


 少しだけ肌寒く感じる夜に、2人で月を眺めた。

 遠い街では、ハロウィンイベントが開催されている。仮装して参加すればお菓子が貰えるとか。だけど私と夏樹くんは、そのようなイベントには一切興味が無い。


 静かな波の音が聞こえる海岸。隣に座る夏樹くんは、鞄からお菓子を取り出した。どこで見つけてきたのか分からない、オバケの形を模したクッキー。それを1つ私に差し出し、もう1つは夏樹くん自身が袋の封を破った。



「……夏樹くんって、優しいよね」

「ん?」

「少し前に私が『オバケの形をしたクッキーが欲しい』って騒いだじゃない。どこにも売ってなくて諦めてて、夏樹くんも『そんなの無いよ』って言ってた」

「うん」

「それなのに、今私の手の中にある」

「うん」



 きっかけは、SNSだった。

 知らない街に住む、誰かの呟き。そこに添付されていたオバケの形をしたアイシングクッキーが、あまりにも可愛かった。


 すぐに影響を受けてしまう私。その翌日、夏樹くんに開口一番で先程の言葉を伝えたのだ。



 私が電車で行ける範囲は色々と行ってみた。それでも、どこにも無くて。もはや、どこに行けば良いのかすら分からなくて。すぐに影響を受ける割には、諦めも早い。私には縁が無かったと思って、既に諦めていたのだ。



「……これ、どこに売ってたの?」

「さぁ」

「夏樹くん」

「別に良いじゃん、どこでも。千秋ちゃんの手元に目的の物がある。それで良くない?」

「……」


 夏樹くんはいつも冷静だった。同じ高校2年生だと言うのに、何をするにも私より大人。少し厚い黒縁眼鏡に隠れる夏樹くんの瞳。そこから感情を読むことすらできない。



 パリッ、サクサク。鳴り響く砕ける音。

 無慈悲にもオバケの頭からかじる。ニコニコ笑顔を浮かべていたオバケは、もう夏樹くんの手元にはいない。



「……で、千秋ちゃん。何するの?」

「え?」

「“お菓子をくれても、イタズラをする”のでしょう。何をするの?」

「……」


 意地悪な笑みを浮かべて、私の顔を覗き込んだ夏樹くん。

 やっぱりそうだ。何をするにも、私の予想を簡単に上回る。


 分かっていることなのに、その事実が悔しい。

 私は夏樹くんの困った顔を見てみたいと思い、素敵なイタズラを宣言する。



「……ちゅー、します」

「え?」

「ちゅー、します!!」



 驚いた夏樹くんを無視して、顔を勢いよく寄せた。至近距離で眼鏡越しに見つめ合い、そのままそっと唇を重ねる。

 そして恥ずかしさに耐えられなくなった私は、すぐに元の位置に戻った。


 何も言わずに固まったままの夏樹くん。

 しばらく海の音に耳を傾けていると、突然フッと笑い声を上げた。その声に反応して思わず夏樹くんに顔を向けると、優しく目を細めながら私の肩に腕を回す。


「……ねぇ千秋ちゃん。これはイタズラではなくて、ご褒美だよ」

「……」

「喜ばせて、どうするの?」

「だって……。夏樹くんにイタズラなんてできないもん」


 徐々に顔を近づけて、小さく音を立てながら夏樹くんは唇を私の頬に重ね合わせる。優しくて甘い夏樹くんの行動に、自然と笑みが零れた。



「来年は何か考えておいてよ」

「イタズラ?」

「うん」

「イタズラして欲しいの?」

「うん。千秋ちゃんなら大歓迎だよ」


 至近距離で見つめ合ったまま、笑顔を浮かべる夏樹くん。その笑顔が嬉しくて、自身の額を夏樹くんの額にそっと重ねた。



 来年は仮装でもして、夏樹くんを驚かせてみようか。


 そして、今度こそ私もオバケのお菓子を探し出す。

 夏樹くんと並んで、一緒に食べる。


 気の早い私は次にやってくるハロウィンを想像して、胸を踊らせていた。






 ——はずだった。



 昨日までは。






 それは、あまりにも急だった。


 平日の23時。

 日頃の夏樹くんなら眠っているであろう時間に、突然電話が掛かってきた。


 不思議に思いながら電話を取ると、聞こえてきたその声は夏樹くんでは無かった。


 焦る声。

 悲鳴のような叫び。

 あまりにも非現実的で、言っている言葉の意味を全く理解できなかった。それでも私は家を飛び出し、無我夢中で指定された場所へ向かう。



 静かな街を走り抜けて、辿り着くは大きな病院。夜間玄関から中に入るとすぐに見知った人が視界に入った。

 その人は泣き腫らした顔で「千秋ちゃん、ごめんね」と呟き、場所を案内してくれる。



 向かう先は日頃絶対に近づかない、病院内で1番冷え切った部屋が並ぶ場所。漂う空気は他の場所とは比べ物にならないくらい重くて、静かで、暗い。つい不安を覚えるほどだ。


 扉が開いていた1番奥の部屋に誘導され、ゆっくりと中に入る。すすり泣く声と、薄暗い照明と、煌々と輝くろうそく。


 心が動かない。

 感情が生まれてこない。


 状況が理解できない。


 目の前に広がる光景は、私とは無関係のような、何だか知らない場所に紛れ込んでしまっただけのような気がした。




 何となく、通夜に参加して。

 何となく、葬儀に参加して。

 何となく、お骨を拾わせてもらって。

 何となく、夏樹くんのお母さんとお仏壇の前に座った。



 「……」



 何するにも、夏樹くんが居ない。

 私が参加したのは、誰の葬儀か。拾ったのは、誰のお骨か。


 ——どこに行ったの?


 どれだけ探しても、夏樹くんはどこにも居ない。

 それがとても不思議な感覚だった。




 何となく通い続けた学校。

 いつも居た夏樹くんは居ないけれど、何となく学校生活を送った。



 そして、10月31日。


 この日も何となく、静かに波の音が聞こえる海岸にやってきた。

 遠い街では今年もハロウィンイベントが開催されている。でも、私も夏樹くんも興味が無いから。今日もまた、ここから月を眺める。



「……とはいえ、夏樹くんは今日も居ないけれど」

「居るよ」

「……えっ!?」

「今日は、ここに居る」



 声のする方向に視線を向けると、隣には淡く輝きを放つ夏樹くんが座っていた。


 きつく締めたえんじ色のネクタイが揺れ、サラサラの黒髪を優しくなびかせる。月の灯りにも負けないくらい輝いている夏樹くんは、少し厚い黒縁眼鏡の奥で優しく目を細めていた。



「な……夏樹くん! どこに行っていたの」

「ちょっとね。野暮用」

「い、意味わかんないし! 夏樹くんが長いこと居なかったから、寂しかったよ!」

「ごめん、ごめん」


 久しぶりに見た、大好きな夏樹くん。

 彼に手を伸ばして抱きついてみようとした。


 しかし、私の手には触れられない、夏樹くんの体。


 どれだけ触れようと手を伸ばしてみても、私は夏樹くんの体に触れることができなかった。


「……」

「ごめん、千秋ちゃん」

「…………」

「今日はこの件について、謝罪をする為に来た」


 淡く輝く夏樹くんは、ポンッと地面を蹴って宙に浮いた。

 空中をクルクルと泳ぐように動き回る夏樹くんに、妙な違和感を覚える。




 これは、夢なのか。夢の世界なのか……。


 ……いや。紛れもない、現実。




「千秋ちゃん、Trick and Treat。お菓子をくれても、イタズラするぞ」

「……」

「ほら、千秋ちゃんも」

「……私、イタズラの用意していない」

「千秋ちゃん?」

「夏樹くん、居ないから。イタズラの用意をしていない!」



 じわじわと滲み始める涙。

 溜まった涙が次第に零れ始めるも、それらを抑えることはできなかった。



 宙を舞いながら微笑む夏樹くんは、あの頃のまま。


 だけど、本当はきちんと分かっていた。夏樹くんが亡くなったことも、もうこの世には居ないことも。あの薄暗い霊安室で眠っていたのも、棺の中にお花と一緒に入っていたのも、あれは全て、夏樹くんだったってこと。本当は分かっていた。


 分かっていたから、オバケの形をしたアイシングクッキーを探していないし、考えたイタズラの用意もしていない。

 分かっていたのに、分からないフリをして自分を騙し続けていただけだった。だってそうしないと、頭と心がおかしくなってしまいそうだったから。



「……夏樹くん、おばさんから聞いたよ。塾の帰りに、横断歩道の無い車道を横断していたご老人を助けて轢かれたって。本当は、夏樹くんが亡くなったこと、ちゃんと理解している」

「千秋ちゃん」

「だから、謝罪に来たとか言わないでよ。夏樹くんが謝罪するようなことは何も無いし! 大体、そんな風に浮いている人に謝罪されても、私も困るからね!」



 無理して笑みを浮かべてみると、夏樹くんもまた微笑んでくれた。


 やっぱり、何も変わらない。

 あの頃と同じ笑顔のまま。



「……なら、良かった。実は君をずっと見ていたんだ。君の様子が、ずっと心配だった。不安定で、今にも壊れそうで。……だから今日化けて出て、謝罪と共にイタズラでもしようと思って、ずっと計画をしていたよ。そうすれば、笑ってくれるかな……なんて思って」

「本物のオバケにイタズラされても、笑えないよ」

「……確かに、そうかもね。でも、イタズラをする必要も無くなった。……千秋ちゃん。君は前を向いて、ずっと笑っていてね。そうすれば、安心して“あっち”に行けるから」



 会話があまりにも自然で、この瞬間はやっぱり夢なのだろうと錯覚をし始めた時、淡く輝いていた夏樹くんは更に輝きが増し、何よりも強い光に包まれてその姿を消した。



「……でもさ、もう少しお話してくれても良かったんじゃない……?」



 暗く、ひとりぼっち。

 月の灯りが私だけを照らす静かな夜。



 夏樹くんが亡くなって初めて零れた涙を拭い、立ち上がろうとすると視界に入った1つのお菓子。


 私の物ではない、オバケの形を模したアイシングクッキーだ。

 だけど、最初ここへ来たときは置かれていなかった。



「……誰の…………」



 ————千秋ちゃん、泣かないで



「えっ」



 辺りを見回しても、誰も居ない。


 ニコニコ笑顔のオバケ。

 消えた夏樹くんの代わりに、無言で私にそう伝えてくれているような気がした。







 



宙舞う君は、あの頃の笑顔のままで。  終




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宙舞う君は、あの頃の笑顔のままで。 海月いおり @k_iori25

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