2.晴香、家庭教師になります!

 保さんが私と健希さんに一礼した。


「ご主人様にご報告して参りますので、健希様と晴香さんはここでお待ちください」


 保さんが立ち去り、噴水の前には私と健希さんだけが残された。

 健希さんがさらに説明してくれた。


「厳密に言うとね。晴香ちゃんのお母さんと、僕の母が従姉妹っていうのは微妙に正確じゃないんだ」


 健希さんの説明によれば、私のお母さんは、彼のお母さんのお兄さんの結婚相手のお姉さんらしい。


「え、えーっと、つまり……」


 なんかもう、家系図を思い浮かべても複雑すぎて頭が混乱してしまう。

 とりあえず、私と健希さんは、縁戚であるけど血が繋がっているわけじゃないってことはわかった。

 はっきりいって、親戚と言えるかも微妙なくらい離れているじゃん。


 それを理解して、私は恐縮してしまった。


「ごめんなさい。お母さんの遺書を読んで、よく調べもせずにいきなり来ちゃいました。でも、ご迷惑ですよね」


 血の繋がったはとこ・・・ならまだしも、ほとんど他人の関係だ。

 この家の人たちから見たら、私は無作法にもいきなり転がり込んできたやっかい者でしかないだろう。


「僕は迷惑とは思わないけど……父がなんて言うかはちょっと想像できないかな」


 うん、これはやっぱりマズいね。どう考えても私は場違いだ。


「あの、私やっぱり帰り……」


『……ます』と言い終える前に保さんが戻ってきた。


「晴香さん、ご主人様がお話をなさりたいそうです。こちらへどうぞ」

「あの、でも……」

「アメリカとオンライン通信で繋がっておりますので」

「そうじゃなくて、私、やっぱり帰ろうかと……」


 言いかけた私の背を、健希さんが軽く押した。


「そう言わずに、まずは僕の父と話してみないかい?」

「でも、ご迷惑なんじゃ?」

「父がそう言ったならともかく、話がしたいらしいからね」


 さらに保さんが言った。


「この場合、振り切って帰る方が失礼かと。私も叱られてしまいます」


 そう言われれば、これ以上嫌とも言えなかった。


 私は保さんの後に続いて廊下を進んだ。健希さんも一緒だ。

 案内された部屋には大きなテレビがあった。いや、オンライン会議用のモニターらしいから、テレビっていうのは違うかな?


 画面には優しそうな笑顔を見せたちょび髭の紳士が映っていた。

 年齢は四十歳くらいだろうか。年上のおじさんだけどカッコイイ人だ。若い頃は健希さん以上のイケメンだったんじゃないかな。

 画面の横のスピーカーから声がした。


『星音晴香ちゃんだね』


 オンライン通話らしい。こちらの映像や音も向こうにつたわっているのだろうか。


「はい。そうです」


『私が朝日野家家長の朝日野守明だ。話は聞かせてもらったよ』


 守明さんは優しそうな表情を浮かべている。

 私は気まずく感じつつ言った。


「母の遺書を見て何も考えずに来ちゃったんですけど、健希さんから説明を受けました」


 私はぺこりと頭を下げた。


「ごめんなさい。これ以上ご迷惑をおかけしないうちに帰りますから安心してください」


 言いながら、私はちょっとだけお母さんに腹を立てていた。

 何が『朝日野家に行けば助けてもらえるかも』よ。


 確かにお金持ちみたいだし、ギリ親戚といえなくもない範疇かもしれないけどさ。

 これじゃあ、私が遠い縁者のお金持ちにたかりに来た非常識人みたいだ。

 とっととおいとまする以外にないじゃない!


 だが。守明さんが私を止めた。


『ちょっと待ちなさい。帰ると言うが、どこに帰るのだね?』

「それはアパートに……」

『お母さんが亡くなられたのだろう? 他に保護者はいるのかね?』

「いいえ、いません」

『ならば、中学生だけでアパート暮らしは無理があるだろう』


 その通りだった。

 現に昨日、大家さんに出て行ってほしいと言われたもんね。

 私が答えに困っていると、守明さんが言った。


『行く場所がないならば健希たちと一緒にその屋敷で暮らしなさい』


 私はびっくりした。


「そんな! これ以上ご迷惑はかけられません」

『仮にも妻の親族の子だ。放り出すのは心苦しい。未成年となると保護者は必要だな。私の養子となってもらうのが一番だろう。名字も……』


 守明さんはどんどん話を進めていく。

 私は慌てて両手をぶんぶんと振った。


「ちょ、ちょっと待ってください」

『うん? なんだね? 私の養子になるのは不満かね? 他の方法となると……保さんの養子になってもらうくらいしか思いつかないが……』

「いえ、そういうことじゃなくて。そこまでしてもらう理由がないって言うか。だって、私と守明さんは親戚じゃないんでしょう?」

『親戚だよ。亡くなった妻の縁者なのだからな』


 守明さんは、私を安心させるようにニッコリ笑って続けた。


『名字は戸籍上朝日野になってしまうが、そのまま星音と名乗ってもかまわん。転校先の学校でも通称できるようにお願いできるだろう』


 そりゃあ、星音の名字はお母さんとの思い出だし、できれば変えたくない。名字をそのままにできるならうれしいよ。

 でも、今気にするべきはそんなことじゃない!


「私、自分の力で生きていきたいんです。お母さんはいつも言っていました。『働かざる者食うべからず』って。だからご厚意はうれしいですけど、そのお話をお受けするわけにはいきません」


 私がそう言うと、守明さんはちょっと顔をしかめた。


『私の情けになどすがりたくないと?』


 しまった。親切で言っていただいたのに失礼な返事をしてしまったかも。

 私は慌てて言いつくろった。


「そういう意味じゃないです。でも、自分の力で生きていく道を探してみたいなっていう気持ちもありまして」


 守明さんは右手でちょび髭を撫でた。


『ふむ。自立心が高いのはすばらしい。私の子どもたちにも見習ってほしいものだ』


 守明さんはそう言いつつも、「しかし」と続けた。


『晴香ちゃんはまだ中学生なのだろう? 少なくとも義務教育が終わるまで、一人暮らしをするのは現実的とは思えない』


 私は言葉につまった。

 守明さんに言われるまでもなく、本当は私だって分かっていた。

 いくら自分の力で生きていくなんて強がってみたって、十四歳になったばかりの中学生が一人で生活していくなんて不可能だ。


 ここで守明さんのお誘いを断れば、児童養護施設に行くしかなくなるだろう。

 私が迷っていると、健希さんが守明さんに提案した。


「だったら、晴香ちゃんに我が家で働いてもらうのはどうかな? それなら晴香ちゃんも遠慮する必要がなくなるでしょ? 住み込みで働いてもらって、学業や衣食住をこちらで提供すればいい」


 健希さんの提案に,守明さんは困った表情になった。


「しかし、健希。晴香ちゃんはまだ中学生だ。さすがに雇うには早すぎるだろう。児童労働は認められん」


 やっぱり、そうだよね。


「もちろん、成人するまで形式上はお父さんの養子になってもらう必要があるだろうね」

「いや、そうは言うがな……」

「お父さんの言うことはもっともだよ。でも、このままだと晴香ちゃんはお父さんの養子になってくれないと思う。お父さんは晴香ちゃんを養子にしたい。晴香ちゃんは自分の力で生きていきたい。双方の希望を叶えるにはこれが一番だと思うんだけどな」


 守明さんは健希さんの言葉に心を揺らしているようだった。

 そして、それは私も同じだ。


 中学一年生の私は、自分一人の力じゃ生きていけない。

 仮に仕事を見つけたとしても、一人暮らしなんて無理だ。

 完全な自立とは違うけど、このお話はとてもありがたい提案に思えたのだ


 健希さんが、今度は私にたずねた。


「晴香ちゃん、将来の夢と得意なことを教えてくれるかな?」


 私はハッとなった。

 これは就職面接だ。

 自分の目標と特技をしっかりアピールしなくちゃ!

 将来の夢と得意なこと……それなら決まっている。


「将来の夢は学校の先生です。得意なことは勉強です。学校の成績は5段階評価で平均4,3。体育と図工をのぞいたら5です」


 これは本当のことだ。

 国語算数理科社会英語は得意。もちろん、日本トップの天才児なんかじゃないけど。

 守明さんは感心した表情になった。


「それはすごいな」


 健希さんが言った。


「それならちょうどいい。お父さん、晴香ちゃんには光太の家庭教師をお願いしよう」

「家庭教師? ひょっとしてまた?」

「はい、先日またさじを投げられてしまいました」


 健希さんがそう言うと、守明さんは『やれやれ』と頭を抱えた。


「まったく、あの子はどうしたものか」

「大人の家庭教師が何人ついても無理でした。ならば、いっそのこと晴香ちゃんにお願いしてみてはどうかと」

「ふむ……晴香ちゃん、どうだろうか? 私としてはやはり児童労働のようなことはどうかと思う。だが、キミの将来の夢にむけた勉強にもなると考えるならば、一つの選択肢としてありえるかもしれない」


 もちろん、私の答えは決まっていた。

 私の将来の夢は学校の先生だ。

 夢に向けて、こんなに勉強になることはない

 しかも天涯孤独の中学生が、仕事をもらえるんだ。

 こんなチャンス二度とないだろう。


 働かざる者食うべからず!

 やるしかないよね、お母さん!


 気がつくと、私は叫んでいた。


「やります! 私、家庭教師になります!」

「ふむ。ならば契約成立だね。形ばかりであろうと養子縁組はさせてもらうが、今日から晴香ちゃんは光太の家庭教師だ。私の息子をよろしく頼むよ」




 と、まあそんなこんなで、私は中学一年生にして朝日野家に住み込みの家庭教師という仕事をゲットした。


 もちろん、最初は不安だったよ。

 小学四年生相手とはいえ、私に家庭教師なんて務まるのかドキドキだった。

 いくら勉強が得意と言っても、あくまでも公立の中学校レベルでのことだ。

 こんなすごいお屋敷の子なら、もっと難しい勉強をしているかもしれない。

 光太くんの方がずっとお勉強ができて、すぐにクビになっちゃうかも。


……なーんて、不安は全く無意味だった。

 なにしろ、私の生徒の朝日野光太くんは小学一年生以下の学力だったのだから。


 勉強が大っ嫌いのイタズラっ子で、毎日逃げ回る悪ガキだったけどね!

 ホント、泣きたくなるくらいに大変な生徒だった。


 でも、私は諦めない!


 仕事を途中で投げ出すのは最低だってお母さんも言っていた。

 こんなに素晴らしい仕事と機会をもらったんだもの。

 一度引き受けたからにはがんばらなくちゃ。

 このくらいでくじけたら、自分の力で生きていくことも、将来先生になることもできないよ。


 絶対に光太くんに勉強させてみせるんだから!

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