プロローグ. Cherry Blossom(2)
大きな窓から陽射しが照り付ける午後のカフェテリアには落ち着いた雰囲気が漂っていた。
店主に見える老師は慣れた手先で最小限の動きだけでコップを磨き、古いレコード盤から流れる音楽は歳月による傷のせいかたまに途切れる部分があったけれど、デジタルでは出せないアナログさゆえの古風な味があった。
店内に座っているコーヒー等を嗜む客たちもそれに劣らずとも勝らず落ち着いた雰囲気で、1日や2日ではああいう感じにはなれないだろう。
そういう意味で、僕はこの場で一番不釣り合いの客であった。
普段行く店はファミレスやラーメン屋みたいな庶民感溢れるとこのみで、コーヒー1杯で980円とかするインフレーションを肌で感じられる場所には一度も入ったことはなかった。
じゃあ、なぜ自分がこういうおしゃれな店に座っているかというと、それは言うまでもなく何分前に急に告ってきた女の子に誘われたからである。
「あら、とてもいい香り」
僕を店に連れてきた張本人はこういう店に行き慣れているようで、先ほど注文した魔法の呪文みたいな紅茶を香りから味まで楽しんでいた。
彼女を真似し僕も先ほど頼んだコーヒーの匂いを嗅いでみたが、それは立派に普通のコーヒーの匂いをしていて普段飲んでいるチェーン店と何が違うのかいまいちわからないままだった。
「……あの」
「ん? あ、ごめんなさい。おいしい紅茶を見るとつい盛り上がっちゃって。お恥ずかしいです」
「はあ」
「で、なんの話でしたっけ?」
いやいや、大事な話だから忘れんなよ……!
「さ、先ほどのアレの話ですが」
「あれ?」
「だから、か、彼氏になってほしい……こと……です」
「ああ。それですね」
この場で話すことって他にあるか……?
およそ40分前。
謎の美少女から彼氏になってほしいという、告白っぽいことを言われた僕は、落ち着いた場所で話がしたいという彼女に釣られこのカフェテリアに来ていた。
店まで来る道で彼女が話したのは最近の天気の話みたいな他愛のない世間話だけで、自分が放った衝撃な発言には特に触れずにいた。
ただ1つ確実なのは、本当に僕のことが好きだから告白してきたのではなく、何かのワケありで、そのことに僕が巻き込まれてしまったことは彼女の言動から見てはっきり伝わってきた。
……美少女との運命的な出会いがあっても一目惚れするほどの魅力が自分にはないことを如実に明かされたから少しショックを受けた気分でもあった。
「ごめんなさい。急な話でびっくりさせちゃいましたよね」
「まあ……、驚いていないといえば嘘にはなりますね」
「あら、素直な方ですね」
ふふっと、優雅な素振りで笑みをこぼす彼女。
ただ、気のせいかもしれないが、先ほどから彼女の笑みには心がこもっていない気がした。
まるで甘い蜜に見せかけ、その裏には毒を孕んでいる食虫植物のようだと、そう思う自分がいた。
笑顔を見せたあと、もう一口紅茶を啜る。
音も立てず、ただ静かに紅茶を口の中に入れ、それをまた無音で飲み込む。
「いきなりごめんなさい。でも、あなた、えーと……」
「佐野です。佐野ましろ」
「あ、ありがとうございます。そういえば、私たちまだ名前もお互い言っていなかったですよね」
告白までした関係なのに、まだ名前もお互い知らないとか、順番がごちゃごちゃになりすぎてないか?
「私は、そうですね。少し理由がありましてフルネームは明かせないですが、ハナ、と呼んでいただければ」
彼女の耳と紙に飾られている花柄のアクセサリーがきらめく気がした。
名前も明かせないのか。
本当に異国のお嬢様か、何かか?
「はあ、じゃあハナさん」
「ふふ、ハナで大丈夫ですよ。私たちもう付き合っている関係ではありませんの」
「……そうでしたっけ?」
「まさか、私の告白を断られるのですか……?」
しくしくと、涙を流す演技をする彼女。
もちろん、彼女の目から涙1滴流れることなかった。
だがしかし。
僕は彼女いない歴=年齢。
つまりこういうことにはむちゃ弱いのだ!
「あ、いや、その、そういうわけではなく!」
見事に声まで裏帰りになり慌てる哀れな僕。
そんな僕を見て、彼女は。
「ふふ、冗談ですよ」
……美少女にからかわれることってアニメや漫画のことだけだと思っていたぞ。
「からかわないでください」
「ふふ。でも実はこれも嘘だったりして?」
「いいから。どうして僕にそんな頼み事を?」
「それはもちろん佐野さんがかっこいいから――」
「それだったら名前で呼んでくださいよ」
「え?」
少し突然のことに戸惑っているような彼女。
(歳下かどうか正確な年齢は分からないけれども)歳下にからかわれ続けるのもそういい気分ではない。
せめて一回くらいは仕返してあげたい。
「だって、先ほど自分のことは「ハナ」って呼んでほしいと言ったじゃないですか。それだったら僕のこともましろと呼んでくださいよ」
「……」
ぽかんと口を開き僕の様子をうかがう彼女。
その視線を見ないためあえて首を少し横にする。
「……佐野さんは面白い方ですね」
再び紅茶を啜りながら口を開く彼女。
一見、先ほどと何も変わった様子はないが……。
なぜか、今彼女が少し照れているような気がした。
「もしかして、照れてます?」
ぴったり手が止まる彼女、もといハナ。
「そんなことありませんよ」
先ほどと同じ笑顔、でもなぜか怖さと、先ほどまでは見えなかった可愛さがあるような気がした。
「……本当に?」
「……さいです」
「え?」
なんか小声で言われたような。
「なんでもありません。えーと、話を戻すと」
あ、話をそらされた。
「実は佐野さんにああいうことを頼んだのはもちろん佐野さんがかっこいいから――」
「そういうのはいいから」
「ふふ。実は1つお願いをしたいことがあるからです」
「お願い、ですか?」
「これを」
テーブルの上に1枚の写真を置かれる。
「これは?」
「私の兄なんです」
「兄?」
確かに彼女と同じく異国の感じがして、とてもおしゃれな人が写真には写っていた。
でも、なぜか目の前の彼女とはそんなに似ていないと思ってしまった。
「あ、私とは似ていない部分もあると思います。私たち、母が違いますので」
僕の視線から考えを読み取ったらしく、彼女は少し気まずそうに笑いながらそう言った。
「なんか、すみません」
「あ、いいえ。お気になさらず。そういうのには慣れているので」
かなり裕福な家庭の育ちであると、素振りから予測していたが、思ったより色々ワケありの家庭かもしれないな。
「で、このお兄さんがどうかしたの?」
「実は長く家出をしておりまして」
「家出、か」
「親といろいろありまして。もちろんすでに成人しておりまして、自由に生きることにそこまで問題はありませんが……。ただ、やはり家族として心配というか。せめてもう一度家族同士話し合いたいと思っておりまして」
「なるほど。要するにハナはお兄さんと家族を仲直りさせたいということだよね」
「はい」
「うん? でもどうやってお兄さんがここにいたの知ったの? 今の話だと長く連絡とかしていない感じだったけど」
「兄は私にだけたまに手紙を送ってきています。私たちはそこまで仲が悪いわけではないので。で、この前手紙で嘘をついてしまって」
「嘘?」
「はい。兄が私とも合おうとしないからつい「彼氏ができたから兄に紹介したい」と嘘をついてしまって……」
「なるほど。要するに兄を説得させるため、彼氏のふりをしてほしいということか」
要するに1人だと兄の考えることが不可能だから彼氏(役)の僕を使って兄を連れ出し、そこで説得するということか。
「はい。ただ、兄から一度私を挟まず直接2人だけ話をしたいと言われまして。初対面の相手にお願いすることではないことを重々承知の上ですが、この町に知り合いなどいなくて」
先ほどとはまるで違う焦っている彼女の姿は、少しおかしいと思った部分があるけれども僕の心が弱くなるには十分な説得を有していた。
「あの!」
急に大声を出す彼女。
その声はわずか震えていた。
「10分……、いやほんの一瞬だけでもいいので、どうか私の兄と会ってくれませんか? 会ってくれて妹が待っていると、一言だけでもいいので、言ってくれませんか? こんな風に兄と一生会えなくなるのは……」
「分かった」
彼女の体の震えがぴったりと止まる。
「正直今日会ったばかりの僕に何ができるかは分からない。けど」
目の前にこんなかわいい女の子が助けを求めているなら。
「そこまで言われて、断れるわけないじゃん」
彼女の目に雫ができた気がした。
ハナは黙々と頭を下げ、少し低い声でお礼を言った。
「ありがとうございます」
俺は何も言わず、ただ彼女を眺めるだけだった。
「で、僕は何をすればいいの?」
依頼を引き受けた以上、中途半端な結果になってほしくない。
彼女の望みを完璧に叶えてあげたい。
そんな気持ちだけが今の僕にはあった。
「本当にありがとうございます。実は今日の18時、夕方頃に美也島公園で会うことになっていまして」
美也島公園だと先ほど僕がベンチに座っていたあの公園だな。
「そこでお兄さんと会えばいいんだよね?」
「はい。少し離れた場所で私は隠れて様子を見て兄の前に出ていってもう一度兄を説得したいと思います」
「了解。じゃあ僕がやるべきことは、その公園に行ってハナがお兄さんを説得しやすい雰囲気を作ればいいってことだね」
「はい。お願いします」
少し面倒ごとに巻き込まれた気もするが、鬱になっていた気分の切り替えにはむしろ面白いイベントではないか。
もう乗りかかった船だし、僕の最善を尽くして目の前の美少女を手伝ってみせようじゃないか。
「よっし、そうと決まったら早速公園に行ってみるか」
俺の気合の入った言葉に満足したのか、ハナは先ほどとは違う本当の笑みを浮かべながら大声を出していた。
「はい!」
それはまるで甘い蜜のような笑顔で。
僕はその蜜に魅了されてしまった気がした。
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