第2話 復讐の花、芽生える時

日が傾き始め、長い影が敷地内に広がる中、物置小屋の扉が音もなく開いた。


現れたのは、屋敷の執事であるローデン。その顔には何かを期待するかのような微かな笑みが浮かんでいた。


彼は深く礼をしながら、小屋の中で一人、ベッドに腰かけている少女を見つめた。



「お嬢様、どうかお忘れなく。貴族の血筋があなたを定めるわけではありません。」


アリエルは首を傾げた。


「現状はともかく、私は間違いなくこの家の長子よ。」


ローデンが驚いた。


ここにいるのは本当にあのお嬢様なのか? 確かに痩せこけてぼろぼろだが、血色は悪くない。


むしろツヤツヤしている。


灰色の髪も整え、灰色の瞳でまっすぐ自分を射抜くように見つめている。


乳母やメイドが言っていた「まともに会話できない」という言葉とは裏腹に、今、アリエルはハッキリと自分の気持ちを伝えていた。


ローデンは自分の直感が正しかったことを確信した。


ローデンは恭しく頭を下げ、「もちろんでございます。アリエル様はこのシャンブル伯爵家の長子に間違いございません」と言った。


そして、アリエル・ド・ラ・シャンブルが正式な名前だと教えてくれた。


アリエルは突然訪ねて来たローデンを怪しんでいた。


「今まで誰一人来たことが無かったわ。もちろん、この屋敷の執事だと名乗ったあなたも。」


じっと見つめながらローデンに問いかけた。


「それで? あなたはここに何をしにきたのかしら?」


ローデンは笑顔をアリエルに向け、「お嬢様のご機嫌伺いに」と答えた。


「ハァ〜?」思わず令嬢らしからぬ声が出た。


「ご機嫌伺いですって?」


「さようにございます。お嬢様。」


「……たてまえなんかいらないから正直に話してくれないかしら?」


「今まで放ったらかしで、今更何を企んでいるの? 伯爵様の指示なのかしら?」

父とは呼ばない。


そうアリエルが聞くと、ローデンは嬉々として話し始めた。


「伯爵様は関係ございません。お嬢様はスキルが開花されたのですよね?

植物系のスキルだったのですね。」


アリエルの顔色が変わった。


「ご心配なく、誰にも言ってはいません。お嬢様に付けた、乳母もメイドも、私の身内です。お嬢様の助けになるようにと、言い聞かせ、お側に置きました。」


「そのメイドから最近、林から甘い香りが漂っていると報告がありました。

林の中を散策すると、奥の一部に実がたわわになった植物を発見しました。」


「そして収穫の跡。お嬢様しかいないと思いました。」


「メイドには固く口止めをしております。お嬢様は植物系のスキルを開花されたのですよね?」


アリエルは厳しい表情で聞き返した。


「乳母もメイドもあなたの身内なの?」


「はい。メイドのオリガは若いながらも働き者で。」


「メイドはオリガというの?」


「さようでございますが、お嬢様はご存知なかったのですね。」


「名前どころか顔も知らないけど?」


ローデンが一瞬、何を言われたのかわからない顔をした。


「お嬢様、お食事をお持ちするメイドでございますが?」


「いいえ、知らないわよ。いい? よく聞いてね。」


「食事を運んで来るメイドはね、扉の前にトレーを置いてノックして戻るだけよ?


だから一度も顔も見たことないし声すら聞いたこともないわ。」


ローデンは顔を青くした。


「お嬢様、お着替えのお召し物は? 年に3回はお届けしているはずですが?」


アリエルは自分の姿を見せて、「着替えがあるように見える?」と逆に聞いた。


真っ青になったローデンは、「申し上げ難いのですが、お下着はいかがされていらっしゃるのでしょうか?」と重ねて聞いた。


「下着はね、ズロースを一年に一回くらいトレーと一緒に置いてあるわね。」


「一年に一回ですか……?」


「伯爵様も私にお金をかけるのが嫌なんでしょう。そもそも、私の事なんて覚えているのかしらね?」


ローデンは頭を下げると、「正直に申し上げます。伯爵様が、いえ、伯爵家が用意するのはメイドたちの給金だけでございます。

アリエルお嬢様のことは屋敷では無いものとなっております。」


「それなら、私にかかる費用は?」


「恐れながら、私財でございます。」


アリエルはさすがに驚いてローデンを見た。


「私も、実は他国の貴族でございましたが、いろいろございまして、平民となりました。


しかしその際に、祖国の鉱山を貰い受け、管理を祖国に任す代わりに利益の50%を支払っております。残りは私の口座に入金してもらっております。正直、かなりの蓄えがございます。」


「乳母にもメイドにも伯爵家とは別に手当てを出しておりました。

もちろん、お嬢様のお召し物全般、生活必需品や食費もお困りにならない額は用意致していました。」


「それで、この状態?」思わずローデンに言ってしまった。


「お嬢様、お食事はトレーとかおっしゃいましたが……」


「そうよ、薄いスープが一杯に硬いパンが一つ、ものごころついてから変わらないわね。」


ローデンは怒りを抑えるようにグッと手を握りしめ、「申し訳ございません。わたしの不徳のいたすところでございます。」と頭を下げた。


「はあ〜ローデンからかすめていたのね〜」「まぁ、私なら何も言えないからバレないと思ってんでしょうね。」


「申し訳ありません。」


「それで、どうするの?」


ローデンが答えた


「後ほど、またお伺いいたします。」


そう言ってローデンは頭を下げ、小屋を去って行った。


夜も更けてかなり時間がたった頃、いつものようにドアがノックされた。


外にトレーを取りに行くと、ローデンが一人のメイドの腕を掴んで引きずってきた。


「オリガ、言い逃れはあるか!お嬢様にお詫びしなさい!」とローデンは怒鳴った。


「違います。お嬢様は何もおわかりになっていないんです。


言葉もわからなくて、話もできないんですから」とオリガは口の端をゆがませて言った。


「だそうですが、お嬢様、いかが致しますか?」とローデンが尋ねる。


「あら?私が処遇を決めてもいいのかしら?侯爵にバレないかしら?」アリエルは少し戸惑いながら返した。


オリガは驚いた表情でアリエルを見つめた。


「嘘………ずっと話せなかったじゃない!」


「だから誤魔化せると思った?」アリエルが問いただすと、オリガは下を向いて黙り込んだ。


「ローデン、ホントに私が処遇を決めてもいいのね?」とアリエルが確認した。


「いかようにも」とローデンが答える。


「ねぇ、私は何歳になるの?」アリエルが尋ねた。


「誕生日プレゼントも届いておりませんか。」ローデンは呆れるようにオリガを見た。


「今年で9歳におなりです。」


「へぇ~それで誕生日は?あぁ〜。いいわ、それは。まだ誕生日じゃないのね?」


「はい。まだでございます。」


「では、8年私と同じ年月を、同じ環境で同じように過ごしてもらうわ。」


「ローデン、できるかしら?」


「可能でございます。」


「それならお願い。」と、アリエルはそう言った。


ローデンはオリガに「私から横領した金はお前の家に請求しよう」と伝えた。


「待って!それは許して!」オリガは慌てて叫ぶ。


「命があるだけマシだろう。オリガ、私の家系を忘れたか?


私が貴族籍を抜けたから関係無いと思ったか?」いつの間にかオリガを数人のメイドが取り囲んでいた。


「連れて行け」とローデンが命じると、オリガは引きずられていった。


伯爵家にいるメイドたちも、あれはローデンの手の者なのだろう。


アリエルはローデンを見つめ、「聞きたい事がいろいろあるわ。


とりあえず中に入りましょう」と言うと小屋に戻って行った。


小屋に戻りベッドに腰をおろした。アリエルの斜め前に、神妙な顔をしたローデンがいた。


「私は貴族のマナーも知らない。だから面倒な言い回しは無用よ。


時間も惜しいし。」


「それでローデン。あなたは私の何を知っているの?これほどのお金を使っても、実際には全く私には回って来なかったんだけどね。そこまでして、私に何をさせたいのかしら?」


「お嬢様は私が何者かとはお聞きにならないのですか?」


「興味無いし!別にあなたが何者でもいいのよ。関係無いし。この屋敷やこの国がどうなろうと知ったことではないわ。」


「むしろ、誰か滅ぼしてくれないかしら?天変地異で消滅でもいいわ。」


「それで?あなたの知っていることを教えてくれる?」アリエルが重ねて聞くと、ローデンは言った。


「お嬢様、お嬢様が一番ご存知かもしれませんが、この世界には転生者と言われる者達がおります。


お嬢様のように。」


アリエルは驚いてローデンを見た。


ローデンはかまわず淡々と続けた。


「もともと、私はアルカディアの出身でございます。」


「··········それは何?」とアリエルは首を傾げた。


ローデンは痛ましい目をしてアリエルを見た。


「本当に何もご存じないのですね。」


「教えてくれる人がいなかったからね。

この状態でわかっていたら、そりゃあおかしいでしょ?」と笑った。


ローデンは軽く咳払いをすると、「ではまずここから軽く説明いたしましょう。」と言って話はじめた。


この世界は大きな3つの国に分かれている事。


「アルカディアは魔法に特化した国で四季折々の美しい風景が広がり、魔法の学び舎などがございます。」


「この国はアグリシアでございます。生産に特化した国で春の温暖な気候により豊かな作物や資源が育まれます。」


「グラディウスは武力に特化した国です。冬の厳しい環境で鍛えられた戦士たちが集まり、戦の技術が磨かれております。」


そしてアリエルが転生者だと知っていること。


「そのようね。それでいつから?」アリエルが尋ねた。


ローデンによれば、ローデンの一族は予言の一族だそうだ。


女子は皆、星を見る能力を持ち、能力が強い者は夢見予言ができるということだ。それに強力な結界魔法が使える。


そして、その予言は絶対に外れることがない。


男子は予感や虫の知らせ、直感などが強く、これもまた外れることはないそうだ。それから、強力な火魔法。アルカディアでもずば抜けて強い攻撃魔法が使える。そしてローデンの一族は予言の能力でアルカディアの守りを任されているらしい。


今回、ローデンが平民に下ったのも、直感が貴族籍を抜けたほうが良いと教えてきたからだ。


そして、アグリシアまで来たのも直感によるものだった。


その頃、国元では妹が夢見を受けた。


その夢見は、ローデンがこの屋敷で執事として働いているものであった。


ローデンは迷うことなく、この屋敷の執事となった。


執事となってから数年、何事もなく過ぎていった。


そんな中、アリエルが生まれた。


ローデンは「アリエルを守らねば」と直感し、乳母とメイドを付けた。


それから8年が経ち、オリガが林の異変を報告に来た頃、妹から再び夢見があったことを聞いた。


その時、アリエルが転生者であることを知った。


しかし、スキルは文字化けしていてわからなかった。


林を回ってやっと植物系のスキルであることがわかった。


ローデンの直感は、アリエルのスキルをレベルアップさせるべきだと訴えていた。


アリエルは黙ってローデンの話を聞いていた。


そして、おもむろに質問した。


「それで?あなたの直感は私を8年間放置しろと訴えたの?」


アリエルは冷たく聞いた。


生まれたばかりの赤ん坊を放置した両親はもちろん許せないし許すつもりもない。


それに比べれば乳母やメイドをつけてくれたローデンには感謝するべきなのだろう。ローデンがいなければ早々に餓死していただろ。


けれどもアリエルは素直に礼をいう気にはなれなかった。


「前世の記憶が戻らなければかなり危なかったわ。栄養失調で飢餓状態だったのよ。」


「それでもあなたは来なかった。」アリエルは冷めた目でローデンを見つめていた。


アリエルはわかってしまった。


ローデンが守らなきゃならないと思ったのはアリエルではない。


アリエルのスキルだ。とてつもない神スキル。


そして、そのスキルが開花するまではアリエルは、ただ生きているだけで、よかったのだ。


まぁ、下手をしたら死んでいたかもだけどね。


けれども、ローデン達は、幸いにもアリエルのほんとのスキルは知らない。


日本語で良かったと心から思った。植物系と思わせておけばいい。


「私の不手際で、ございます。


私の代わりにお世話をするように申し付けてありましたのに、このような事になりまして申し訳ございません。」ローデンが本当に申し訳ないように言った。


「これからは、私が直接お世話させて頂きます。」とにこやかに言った。


「お世話って………伯爵はどうするの?煩いわよ?」と聞くとやはり極上の笑顔で

「大丈夫でございます。お嬢様のお屋敷はアルカディアに既に整えてございます。


私もご一緒いたしますから安心なさって下さい。」


へ?なに? いつ、私はアルカディアに行くって言った?


いや、ローデン怖いよ。それって体のいい監禁だよね?ここよりマシになるってだけじゃん。危ないよ、この人!


「ローデン?伯爵はきっと許さないわ。」


あの男の許しなどいらないとローデンは言いアリエルにアルカディアならお嬢様のスキルを詳しく検証できるし、レベルアップも可能ですよと言った。


流石に今日、明日は無理ですが、7日たてば伯爵も夫人もおぼちゃまとお出かけですからこの日にいたしましょう。


と言いそれでは明日の朝また伺いますと言い小屋を去っていった。


やばい!やばいよあの人。私の事考えてないよ。


スキル!それしか頭に無い!直感でなんかわかってるのかな?


ともかくあの人はやばい!


逃げよう!確かにアルカディアなら私のスキルも検証できるだろうけど、あの人に、あの人たちに、このスキルを教えたら駄目な気がする。


せめて私が使いこなせなければ。とにかく、今はローデンからも家からも逃げよう。


ただし、屋敷にお礼はしとかなきゃね、8年間のお礼をね。


数日後、アリエルは物置小屋を脱出する計画を立てた。


とりあえずは、どこか遠くの山の中だね。国は出ないよ。


家からもローデンからも逃げるとして、国を出たらグラディウスしかないじゃん。


流石に分かりやすいし、寒いしね〜。植物もちょっと育たなそう。


やっぱり植物を育てるならこの国よね。


彼女はスキルに、秘められた力を知る必要性を感じた。


そのためには、衣食住は何がなんでも確保しなくてはならない。



アリエルは自分の能力を過信していた。確かにチートなのだが、覚えて日はまだ浅い。それにローデンの能力や予言の一族の真の力を甘く見ていた。その事を後から嫌と言うほど思い知るのだった。


ある日、夜も更けて静まり返った広い庭に足を踏み入れた。


月明かりが差し込む中、彼女は静かに屋敷の庭に立っていた。


初めて見た屋敷は、彼女を苦しめた者たちの手によって整えられ、大きく豪華だが上品さが漂っていた。


復讐の念が彼女の心を燃え上がらせ、彼女はこの1年でレベルが上がった植物育成促進魔法を心の中で唱えた。


「全ての種よ、この地に大きく太い根を張れ、そして空に伸びよ」


彼女の呪文が空気を震わせると、地面の下から微かなうねりが生じた。


土が盛り上がり、薄緑の光をまとい、草たちが一瞬で伸び始める。


まるで彼女の復讐を待ちわびていたかのように、強靭な根が屋敷の基礎を包み込み、蔓が壁を這い上がる。


あっという間に屋敷全体が緑に覆われていく。


屋敷の壁がひび割れ、窓が割れ、木々のように伸びる草が力強く屋敷を押しつぶしていく。


彼女の目の前で、かつての威厳を誇った建物が、まるで脆い砂の城のように崩れ去る。


草の根が内部に侵入し、構造物を破壊していく。


悲鳴がとどろき、屋敷の人間たちが逃げ惑う。


「8年間ありがとう」


彼女は静かに呟き、草たちがさらに大きく成長するのを感じる。


周囲の空気が緊張感に満ち、屋敷の崩壊が彼女の心の中の怒りと復讐の感情を解放するかのようだった。


土が舞い上がり、草の葉が風に揺れる中、彼女は植物育成促進魔法の力を実感した。


屋敷が完全に崩れ去ると、彼女は満足げに微笑んだ。


とりあえず今はここまでだ。


彼女の心の中には両親や一族に対する復讐心しかなかった。


手に入れた自由と同時に、自然の力と魔法の偉大さを感じていた。


彼女は静かにその場を後にした。


これからの復讐のためにスキルを使いこなさなければならない。


決意を胸に秘めて歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

灰色の令嬢〜眠る力と蘇る記憶〜 夢花音 @svz

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ