僕ら交信中
藍羊阿乃音
第1話
音楽はあらゆる生物の共通言語だ。
ボイジャーのゴールデンレコードと言うものを知った時、僕はそんな事を思った。
今も宇宙を漂い、いつか地球外生命体、つまるところは宇宙人に見つけてもらう事を目的とした沢山の情報が詰まったそのレコード。
言葉は地球ですら沢山の言語がある訳で期待できない。姿かたちも同じとは限らないから身振り手振りも怪しいだろう。
だけど音楽は違う。
音さえあればいい。宇宙に音はないけれど、生物であれば音は出るから共通している。言葉が通じなくたって理解出来るし、種族が違ったって共有出来る。
僕はそれを今も思うし、悠と出会ってからはより強く思うようになった。
◆
ヘッドフォンを机へ置いてから、天井を見上げる。
真っ白でザラザラとノイズが入っているみたいな模様の天井は、今の僕を的確に表している気がした。
壁に掛けられた時計は二十一時丁度。
いつから始めて、何時間こうしていたんだっけか。もう十時間くらいはこうしている気がしたような気がしてくる。
だと言うのに僕の正面で開かれたノートパソコンに映るDAWソフトは、立ち上げた状態から静止画かと見間違えるほどに画面が変わっていない。
頭を捻ってみても、何処かが詰まったみたいにうんともすんとも言わないのだ。
それが今日限りならよかったのだが、去年からもう既にこんな状態だった。
見事なまでにスランプである。
「軽音部入ったら良いよ!」
とは、今年高校生になってから一番関わりのある先生のアドバイスである。
芸術選択は当然みたいに音楽を選択していて、幾らか会話をする機会があったのだが、クラッシックの話が出来ると知るや否や話しかけられるようになった。
それでまぁ、スランプについての相談をしてみた結果が、さっきのアドバイス。
それから、
「これはちょっと……難しくない?」
と言うのが、軽音部で組んだバンドメンバーがスランプ前に作った僕の曲を聞いた時の言葉である。
素晴らしくごもっともな意見でした。
いや、軽音部から音楽始めた人が居るのは当たり前で、その事を考慮していない僕が悪かったのだ。
と言う訳で、僕の曲は却下となりました。結局バンドの方向性はメジャーで、比較的初心者向けのコピーバンド。
良いんだ。別に、良いんだよ。
他メンバーは盛り上がっていて、練習頑張ろうねとか和気藹々としていた手前、あんまり好きじゃないんだよな、とは流石に言えなかった僕が弱かったんだ。
この時、初めて僕が厄介音楽野郎だと自覚した。
「うぅ……」
思い出すとまだ辛い。と言うか、別に僕はバンドを抜けた訳じゃないし、スランプ継続中なので普通に現状進行形で苦しい。
じゃあやめます! って言えない僕のどうしようもなさを嘆きながら窓の外を見た。
六月の中盤へと進み、梅雨ど真ん中な今はじめじめとした湿気が体中を不快感に染め上げている。
このままで、不満を抱えたままで良いのかと考える。
否! 否である!
このままで良い訳がない。
スランプがなんだ!
コピーバンドがなんだ!
この気持ちを晴らすにはやっぱり音楽しかない。
僕は立ち上がり部屋の隅のベースを掴んでカバーに入れる。そして、数日前に届いたばかりのバッテリー式のアンプを持ち上げた。
さて、音楽と言う趣味は結構肩身が狭いと僕は思う。
聞くだけならいいが演奏となると、それが出来る環境というのはそうそう得られるものじゃない。スタジオを借りるのもただじゃない。学校も好き放題弾ける訳じゃない。家なんかもってのほかだ。特にアパート住みの僕は一音鳴らそうものなら家族からだけじゃなくご近所から大目玉をくらう。
イヤホンやヘッドフォンに繋いで弾けばいいと言うけれど、個室を得られた人間の特権だ。部屋を共有している姉に、気が散ると言うどうしようもない理由で僕は自由に弾けなくなっている。
だからこそ、探したのだ。
たった一人で思いっきりに、好き放題に、弾いて歌って、僕を解放出来る場所を。
その為に買ったアンプ、結構重いしデカいな。これを毎回持ち運ぶのか?
……いや、これぐらい我慢だ。
それに、軽音部の練習の為に毎回ベースを担いで登下校している。体力とか、結構ついている筈だ。
ニ十分を少し過ぎた辺りで、それがとんでもなく甘い考えだと普通に分からされた。
普通に滅茶苦茶キツイ。右手右腕右肩がアンプによって破壊し尽くされている。後汗も酷い。
いや、幸いにも当初の考えていたベースの重みは予想通りに苦にならなかった。
問題はアンプと、獣道も同然の階段だった。
さて、言うのが遅れたけれど、僕が見つけた場所と言うのは展望台だった。
歩いて二十分した所にある山の中、の奥にある神社、の奥にある階段、の奥にその展望台はあった。
演奏場所探し自体は中学生の頃からしていたのだが、高校生になってようやく見つけるくらいには隠れていた。
見つけた時に一応、軽めに掃除はしたのだが所々錆びてるし、ツタも張っているしで絶対人が来ないと確信していた。
それに腐っても展望台なので景色がよい。そこで練習出来たら、僕のストレス何か吹っ飛んでしまうだろう。
期待感で、悲鳴を上げる右手全体を動かし、足を進める。
「レララ、レラル、レラリ、レラロ」
すぅと息を吸う。
先客が居た。
展望台のデッキ、と言っても高くないし、手すりを握りしめているから、空を見上げる少女が居たのはすぐに分かった。
月明りみたいな白い肌で、夜空に浸して染めたような藍色の髪が肩あたりまで伸びている。表情とかは空を見上げていてはっきりと分からないけど、僕と同じ高校生ぐらいだろうか。
綺麗な女の子だなって思ったけれど、僕はそれ以上に、
「ルリラリ、ラ、ラ」
少なくとも日本語じゃない意味不明な言葉を包む、澄んだ清流みたいな声が僕の心を刺していた。
凄く美しい歌声だった。息で包んだウィスパーボイスで、小刻みにリズムを作っている。意味こそ不明だが、リズムははっきりと音楽を作っていた。
僕の知っている曲ではない。
まぁそもそもこれは既存の曲ではない気がする。だってこんなにも彼女の声が映えるリズムを、彼女を知らない誰かが作れるとは思えない。
だけどこれは、僕好みの曲調だ。
でもまだ物足りない。
この夜にも似合う声ならピアノがよく合うだろう。寄り添うみたいに優しく鳴らしたい。ギターも良いけど、入れるなら声から離れて音作りに徹底したい。後はそう、ベースの低音を強くしたら、彼女の声が更に目立つだろうか。
いつの間にか、この曲のアレンジ案を考えていた。多分、このアカペラに少し物足りなさを感じたからだろう。後は僕が音を重ねるバンドと言うものに触れていたせいもあるか。
……その時、僕は右腕を軋ませていた重みを思い出した。
あるじゃないか、僕のこの物足りなさを今すぐに解決出来る方法が。
ベースを撫でる。思いついてしまったらもう、聞いているだけじゃいられない。今すぐにこの声に音を合わせたくてたまらなくなっている。
実際もう口ずさみ始めている。
これでも十分良くなった。だったらベースの音を合わせたらどうなるんだろう。
気になる。試したい。
……でも、僕は彼女の事を何にも知らないぞ?
確かにそうだ。
いや、でも、やろう。
他人が歌っている所に勝手に入り込むなんて、とんでもない奴だ。僕も同意見である。
だけど、やりたいのだ。
だからまぁ、怒られたらごめんなさいって謝ろう。
うん、それで行こう。
僕はカバーからベースを取り出しながら、展望台に向かって歩き出そうとして――
「貴方は、同類?」
「ひゅ……」
視界を埋めた少女の顔に、息を吸い込んだ。さっきまでデッキで空を見上げていた筈の少女だ。
と言うか、跳ねた。
比喩とかじゃなくて、本当に跳ねた。
真後ろにきゅうりの置かれたねこみたいにそれはもう芸術的な後ろ飛びだ。
驚き過ぎて、声が出なくて、かすれた空気だけが僅かに漏れ出しながら、ベースとアンプはなんとか落とさなかった。代わりにとんでもなく右手に衝撃が行ったけど。
「え、えっと……」
困惑して、僕はそんな言葉を絞り出すのが精いっぱいだった。
ただ、動く瞳で彼女と視線を合わす。さっき、空を見上げていたけれどその時に夜空を取り込んだみたいな、青く鮮やかで、夜闇みたいな黒い瞳だった。
僕もその瞳に吸い込まれそうで、それ以上言葉が紡げなかった。
「貴方は、同類、なの?」
カランコロンと鳴る氷みたいな心地の良い声色で、全く同じことを尋ねられて、僕はようやく我に帰る。
帰ったはいいけど、僕今何を聞かれてるんだ?
「同類?」
思わず頭を通さず口に直通した、中身のない返答が出てしまった。
「うん、同類かなって」
しかも僕の疑問は何にも解消されなかった。
とりあえず目の前の事を考えよう。同類って聞かれたって事は、彼女は僕に何らかの共通点を見出したって事だ。
今初めて会った彼女と、僕に?
近所でもないし、僕と彼女は似ても似つかない。
「いや僕は……」
いや、あった。
僕と彼女の共通点が一つ。シンプルにこの展望台に来ていると言う事だ。そして、音楽を鳴らす者同士だ。
同類って事はそう言う事なのじゃないか?
「いや、同類だと思う」
悩んだ末に僕はそうやって肯定した。
展望台で謎の言語で歌う君と、未遂だけどそれに混ざろうとした僕。
きっとお互い一人だったとしてもここでずっと音楽に身を浸していただろう変人どうしだ。
これはもう同類だと言っても良い筈だ。
僕が言い出したんじゃないし。
「そうなんだ。ふふ、嬉しいな。私以外、初めて見た」
口元を隠すようにして、彼女は小さく笑った。
嬉しい、という言葉に僕は共感していた。正直に言えば僕もちゃんとした同類には出会えてなかったし、仲間を探していた。
軽音部でバンドを組んでは居たけど、心は何処かズレていた。
だから、僕と噛み合う音楽の好みを持つ相手は彼女が初めてだ。
「でも宇宙船じゃ、ないんだね」
「……ん?」
待った。宇宙船?
あ、何かの用語かな?
「それは、私も同じか」
「ええっと」
「じゃあ貴方も、交信、しに来た?」
「交信?」
待った。待った待った待った。
僕ももしかして間違えたか? 深読みし過ぎた?
「交信、知らないの?」
少し、寂しそうな声で聞いてきた彼女に僕は罪悪感が湧いてきた。
う……彼女の思っている話と僕の思っている話が違っているのが事実だとして、それを今白状したら、とんでもない失望を与えてしまうかもしれない。
「いや、うん。交信をしに来たんだよ。僕も」
僕は話を合わせる事にした。
多分交信はあれだ。音楽の事を言い換えたような形だろう。その前は……うん、後で考える事にしようと思う。
「そうなんだ。じゃあ、ごめん。私、邪魔か」
「いやいやいや! 邪魔じゃない邪魔じゃない! 寧ろ、もっと聞かせて欲しい」
僕の横を抜けようとした彼女を、僕は慌てて引き留めた。
自分でも驚く位大きな声が出たけど、止められなかった。折角音楽好きの同類だって確かめ合ったんだよ?
……いや違うのか?
そうじゃなくても、僕達は趣味があると思う! 好きな音楽を話すとか、あわよくば一緒に歌うとかしてみようよ!
「そうなの?」
「うん。ほら、折角だし一緒にセッション……ほら、交信したいなって……」
「一緒に……」
彼女は目を丸くして僕を見つめてきた。
もしかして、彼女は今まで誰かと音楽をしてきた事がなかったのだろうか。
「そっか。確かに、同じ宇宙人、出会って、それで終わりは、寂しいよね」
「宇宙人?」
あまりにもな発言過ぎて、再び疑問がそのまま口に出た。
「うん。私と、貴方。一緒の宇宙人の、同類」
僕と自身を指差す彼女は、まるで当たり前の事を聞くみたいにきょとんとした顔をしていた。
「えっと」
「星は、違うのか。でも宇宙人は、同じだ」
宇宙人かぁ。
僕は遠い目をした。もしかして、僕はとんでもない相手を引き留めてしまったのかもしれないなぁ、なんて思いながら、最初に聞いた歌を思い出して頭を振った。
いや、例え勘違いだとしても、あの声に惹かれた事は間違いじゃない。
だったら教えてみよう。興味をもってくれるかもしれない。
「そういえば、名前、聞いてなかった」
本当にそういえば、だった。
彼女の言葉は脈絡が無いように思えたけど、多分彼女の中では納得して終わっているからポンポン話が切り替わっているんだろう。
教えるとして、このマイペースに僕はついていけるだろうか。
「
多分、僕達同じくらいの歳な筈だ。
少し童顔な感じがするけど、仮に彼女が中学生だったとしても小さな上下関係を出してもしょうがない。
「
「悠ね。よろしく、悠」
「うん。じゃあ、行こう」
彼女はそう言うと、展望台の方へと再び戻っていった。
……正直今の数分、僕はずっと置いてけぼりな感覚があった。宇宙人とか言う不安要素がとんでもなく積み重なっているし、僕はちょっとだけ後悔していた。
でも、その後悔よりも僕はずっと、悠の声に音を合わせたいと言う欲求が膨らんで仕方なかった。
だから。積みあがった疑問や不安をとりあえず見ないようにして、僕は彼女の背を追い掛けた。
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