雨に濡れる前に

珍しく蝉の鳴き声が殆ど聞こえてこない朝、今日は曇っているなと格子窓の隙間から外の天気を覗き見る。

ここは雨がとても降りやすく、そしてとても晴れやすい。1日の内に何度も天気が変わることもあり、段々畑に雲海が広がっていることもある。


「雨が降る前に、急いで線香をあげて来てほしい」


祖母にそう言われ、お線香、そしてライターを袋に入れ、念のためにと傘を片手に握らされ、祖母に見守られながら出掛けて行った。


1度坂道を降って1番下から登ってくる方が良いだろう、そう思い畑の方を目指しながら、急な勾配の坂道をのそりのそりと歩いていく。

私を追いかけるように、時折カサカサと近くの葉が揺れるのを横目に淡々とその足を進めていく。

1番下まで降りると再びゆっくり上を目指していく。

あちこちに置かれた墓石へ、1本ずつ線香を添えて手を合わせ、そうしてまた次の墓石へと向かっていく。

最後の墓石の置かれたその場所は、平屋の片隅にひっそりと遠い過去に枯れてしまった池庭を見守るように建ててあった。

これはご先祖様のお墓だろう、この辺りは同じ名字が特に多く周りは親戚であることも珍しくなかった。

昔は兄弟姉妹が多く、そして生まれてすぐに亡くなることが今よりもずっと多かったと祖父母は良く話していた。

この村もかつては戦争に巻き込まれ、祖母は空から降って来る焼夷弾を少女時代に拾ったことがあると言っていた。

こんな村まで戦火となったのかと、今では想像できない風景に思いを馳せ、それでも祖父母が出会い今の私がいるのだから運命とは不思議なものだ。


そっと墓跡へと手を合わせると、ぽたり、ぽたりと遂に雫が空から降り始めた。

さあ、急いで帰らなければ。

先程よりも更に濃くなった雲を見上げ、これは時期に本降りになってくるに違いない。

そうすれば流石に濡れ鼠になってしまう。

私は急いで借りてきた傘を広げ、ゆっくりと驚かさないように池の中の片隅にそれを立て掛けると、そちらにも手をそっと合わせ「どうぞ使ってください」と心の中で呟き走り出した。

そのままガラガラと勢い良く玄関を開けて飛び込み、


「ただいまー!」


家の中に向かって少し弾んだ声を掛けると、部屋の奥から祖母が顔を少しだけ覗かせた。


「おかえり。降られなかっただ?」

「ちょっと濡れたけど、大丈夫」


少しだけ息を切らせながら、玄関に腰を下ろして靴を脱ぎながら、先ほど見た光景を思い出していた。

祖母が「葉月、傘はどうしただ?」と尋ねた。それにふふん、としたり顔で「貸してあげたの!」と答えた。


かつて優雅に魚たちが泳いでいたであろう池の中には、大きな白蛇がとぐろを巻いて眠っていた。

祖父が言っていた白蛇はあの子だろうか、キラキラ周りが雨のせいか輝いていて、とても綺麗な色だった。

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たったひと夏の追憶 紅福達磨 @nana3go

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