第9話 野蛮人の息子、海の魔物に出会う

 遠足に行くことになった。

 数日学校へは行かない。

 タオの家に行ってそう伝えようと思ったんだけど、やっぱりタオはいなかった。

 門番のハンスに、

「あの、ぼく、学校行かない。休み明け、数日間」

 彼に、タオに伝えて欲しくてそんな風に言おうと思ったんだけど、やめておいた。ヘンに間違って伝わるとよくないなと思ったのだ。で、タオの家には寄らずにまっすぐビッテンフェルト家に帰った。





 そして、その日が来た。

 帝都は七つの丘に囲まれた街なんだけど、その丘たちの外側、東西南北にはそれぞれ一つずつ帝国の四方に伸びる鉄道の始発駅がある。

 北の里から帝都に来た時はそのうちの北駅に着いたわけだけれど、ぼくらが連れてられて行ったのはそれとは反対の南駅だった。

 10日ぐらいぶりに北の留学生10人全員がそろった。

 みんな学校に行くときのリュックを背負っていた。ぼくと同じで、そこにはみな、教科書の代わりに水着を入れているはずだ。


 奥様に「遠足」に行くことになったから水着を用意してください、とお願いしたら、

「まあ! いいわね。水着ということは、行き先は南の湖かしら。それとも南の海かしらね」

 ミズウミ? ウミ?

 その後奥様は湖と海の違いを教えてくれようとしたんだけど、山の中で育って泳ぐとしたら川しか知らないぼくにはどうにも理解が出来なかった。

「まあ、行けばわかるわ。ミハイル。あなたきっと、ビックリするわよおっ!」

「するわよおっ!」

「わよおっ!」

 リタとクララが奥様のマネをして笑った。



 帝都まで来た時は「ベゾンダラーシュネイトゥーグ」特別急行列車に乗ってどこにも止まらずに来たんだけど、南駅からぼくらが乗ったのは「レギオナールバーン」普通列車。しかも3等の、コンパートメントが、仕切りが無いドン行だった。

「お前たちは今、みんな貴族の家に世話になっている。だが今日は帝国の普通の平民が乗る一番安い列車にした。帝国の普通の人々の毎日の人情に触れるのも大事な勉強だからな」

 引率はアレックス。イリアは来なかった。そして、帝国に来た時にはいた護衛兵もいない。

 よくよく考えたら、ぼくたちはもう外見からは帝国人の子供と全然変わらない。同じようなテュニカを着てみんな同じような金髪や栗色の髪、青や灰色の目をしているのだ。ただ、話をすると帝国語がまだ不自由なのがわかってしまうわけだけれど。

「列車の中では出来るだけ普通の帝国人たちと話をしてみろ。多少言葉が話せなくても誰も不思議に思わない。帝国には『方言』がたくさんあるからな」

 と、アレックスは言った。

「ホウゲン?」


 南駅からは2本の路線が出ている。途中までは一緒だが、1本はそこからやや西の、かつてチナと呼ばれていた国との国境に近いマルセイユへ。そしてもう一本がマルセイユより東のターラントへ。いずれも帝国で最も大きな港町へ向かって伸びている。

 ぼくたちが行くのは、ターラントだ。

 帝都の南駅を離れた列車は、7つの丘を一望できるところまで来てすぐに止まった。乗客が少し降りて行き、出る時にはほぼ満席だった座席にちょっとだけ空きが出た。

 ドミートリーやゲオルギーはキオスクでアレックスが買ってくれたシシカバブーを挟んだブロットにかぶりついていて床や座席に盛大にタレをこぼしていた。

「あんたたち、どこに行くね?」

 乗ってすぐにどこかの人のよさそうなおばあさんが通路の向こう側から話しかけて来た。北の里では年寄りは少ない。ぼくたちはなんとかこのおばあさんと話をしようと懸命になった。

「南です!」

「ターラントです!」

「ぼくたち、アウスフルークに行くんです!」

 ぼくたちは口々にそう答えた。

「ほうそうかえ。いいねえ。言葉が少しアレだけんど、あんたらどこから来たね」

「北です」

 とぼくは答えた。

 そうするとそのおばあさんの向かいにいた中年の男が、

「北、ってえと、シュヴァルツバルト・シュタットかね」

「それよりも、もっと北です」

「へえ・・・。いつの間にまた領土が広がったんかな。ちィとも知らなんだ」

 ぼくたちの帝国語を「アレ」という割には、おばあさんもその中年の男も、どっちも帝国語がヘタだった。アレックスの言った通りだ。それで少し、気がラクになった。


 車窓からの眺めは列車が止まる度に少しずつ変わって行った。

 麦畑ばかりだった景色がいつの間にかオレンジ畑になり小高い山や荒れ地やいくつかの街を過ぎるころには茶畑になったりした。北の里の寒い土地にはない、帝国ならではの風景。あふれる陽光に光る畑が地平線の向こうまでずーっと、延々と続いていた。

 と、ヨーゼフが歌を歌い始めた。

「Из-за острова на стрежень,・・・」

 ぼくたちの里に昔から伝わる、コサックという勇敢な一族の英雄の歌だ。



 Волга-Волга, мать родная

 Волга, русская река,

 Не видала ты подарка

 От донского казака!・・・



「ヴォルガ、ヴォルガ、生みの母よ ヴォルガよ、ロシアの河よ

 ドン・コサックからの贈り物をお前は見たことが無いだろう!・・・」

 

 他のみんなも、ぼくも。そしてアレックスも一緒に歌い始めた。

 彼は少し泣いているようにも見えた。長い間故郷を離れたまんまだと言っていた。故郷を思い出し懐かしくなったのかもしれない。

「あんさんら、どこのひとかね。珍しい歌を歌っていなさるが・・・」

 今度はどっかのおじいさんがこう尋ねて来た。瞳は黒く肌の色は茶色い。頭に汚い布を巻いた人だった。

 ぼくは答えた。

「北の里から来ました」

「はあ?」

「北にある里です」

「・・・あんだって?」

 おじいさんは少し耳が遠いみたいだった。

「きー、たー、のー、さー、とー、でー、すー!・・・」

 アレックスがおじいさんの耳に口を寄せ大きな声で言い直すと、おじいさんは言った。

「ああ、北からかね。で、どこまで行くんだね」

 この後も何度か何人かの違う人々と同じようなやり取りを繰り返した。帝国にはほんとうにいろんな人々がいる。そしてみんな話好きなのを知った。


 途中機関車が変わり、いくつもの駅で止まり、長い待ち合わせの停車では駅に降りてキオスクでパンを買って食べ、石炭や水の補給でまた止まり、そのようにして丸一日と一晩を走り続ける列車の中で過ごし、次の日の朝、痛む背中とお尻を伸ばしつつ左の車窓から、東から登って来た朝日に照らされたのは今まで見たこともない作物の広大な畑だった。

「アレックス、あれ、なあに?」

「いや、実を言うとここまで来るのはオレも初めてでな」

 目を覚ましたアレックスは正直に言った。そしてだいぶ顔ぶれの変わった車内にいた人をつかまえて訊いてくれた。帝都を出るときはほとんどが白い肌の人ばかりだったのに、茶色い肌の人が半分以上を占めるようになっていた。男はみんな頭に布を巻き、女は髪や顔をすっぽりと布で覆っていた。

 教えてくれたのは顔を布で覆ってキレイな目だけを出した若い女の人だった。

「あれはサトウキビです。この辺りの特産ですよ」と。

「サトウキビ?」

「それって、食える?」

 ドミートリーが聞いた。

「あれからサトウが取れるんですよ」

 と、その女の人が笑いながら答えた。

「サトウ?」

「なるほど」

 と、アレックスがウンウン頷いた。

「もうお前らが食ったかどうか知らんが、チョコレートを作る時ににカカオと混ぜたりするのだ。メープルシロップのガムにも入ってる。コーヒーや茶に入れて飲む人もいる。茶色や白いのもある。とても甘い。この辺りで採れるものだったのだな。知らなかった」

「あ、ぼくそれ、『チョコレート』食べたよ」

 軽い気持ちで、ぼくは言った。

 そしたら・・・。

「何っ!」

 突然、ドミートリーが怒りだした。

「ちくしょう、ミーシャ! お前、そんな甘いものをオレよりも先に食ったのか!」

 そこで怒るのか・・・。

 ぼくは心底、コイツにウンザリした。

 

 列車はさらに半日走り続け、その日の昼にやっと大きな街に着いた。

 帝都を出てからほぼ丸2日。もちろん、帝都よりは小さいが北のシュバルツバルトシュタットよりははるかに大きい。しかも、なにやら生臭い匂いが漂っていた。背中やお尻のコワバリは限界だった。列車を降りるや、みんな背中を伸ばしたりお尻をトントン叩いたりした。

「ここが終点のターラントの街だ。ちょっと匂うな。魚の加工工場が多いと聞いた。漁獲(と)れた魚をヒモノにしたりカンヅメにしたりネリモノを作ったりする」

「ヒモノ?」

「カンヅメ?」

 そこからさらにトラックに乗せられた。

 アレックスのテュニカと同じ緑がかった茶色。この色のことを「カーキ」というのだそうだが、ドアにワシのマークが付いていてアレックスのとは違う、ボタンが着いた深い青のシャツにズボンを穿いた軍人が運転していた。アレックスが右手を挙げて敬礼すると、そのトラックの運転手は額に右手を翳す、違うやり方の敬礼していた。

 トラックは黒い煙を吐かなかった。音も静かで、しかもめっちゃ速い! 

 サトウキビ畑を真っ二つに割るように伸びる真っすぐな道。石で真っ平らに舗装された道を快速でトバすトラックは汽車よりも速いスピードでひた走った。そして、やがて「港」に着いた。

 ぼお~っ、ぼお~っ・・・。

 時刻はもう夕方近かった。どこからか異様な音が聞こえて来た。そして、爽やかな香りのする風も。

「お前たち、見てみろ」

 トラックを降りたぼくたちの目の前に、夕陽をキラキラ映す真っ平らな、そしてどこまでも続くとても広い平面が現れた。

「生れて初めて見るだろう。これが、海だ」

 まあ、行けばわかるわ。きっとビックリするわよおっ!

 ビッテンフェルト家の奥様が言っていたのは本当だった。北の山の中で生まれ育ったぼくたちにはこれが全部水だなんて、とうてい信じられなかった。

 しばらくの間、 ぼくたちはその夕日を映えてきらめく大自然の巨大な水溜りを飽くことなく眺め続けた。

 それから。

 ぼくたちは、厳重な警備のいる門をくぐった。銃を下げた兵隊が何人もいた。門をくぐったり歩いている兵隊に行き会うたびに、アレックスはサンダルの踵を合わせ、敬礼していた。次第にそれをぼくたちも真似るようになった。

 そうやって、「ガンペキ」に着いた。帝都から丸2日間。ここが今回の遠足の終着点だ。

 目の前にユラユラ揺れる水面が広がり、大きなものから小さなものまで無数の船が浮かび影絵のようにひっそりと佇んでいた。

 今日はもう遅いから、海で泳ぐのは明日かな。

 そう思っていると、遠くに見えた船の一艘がゆっくりとこっちへ近づいて来る。まるで黒い魔物がやってくるような、そんな不気味さがあった。

 やがて、目の前のその船はゴォーッと大きな唸り声を上げてガンペキに着いた。

 見上げるような、巨大な鉄のカタマリ。その船の上に何人かの人影が現れ、口々に何かを叫びながら岸壁にロープを投げたりそれを結んだりし始めた。

 そして最後に小さな橋が掛けられ、その橋を伝って何人かがガンペキに降りて来た。

「あれは同じこの世の人間なんだろうか」

 ゲオルギーが言った。

「もしかすると、地の底に棲む魔物たちかも・・・」

 ヨーゼフも、声を震わせた。

 ぼくたちの間ににわかに恐怖が走り、みんなで身を寄せ合った。

 するとアレックスがサッと敬礼をした。

「ショウサどの! 軍属のアレックスであります。北の里の子供たち、計10名、帝都より引率して参りました!」

 降りて来た魔物達の中の一人が敬礼を返した。

「話は聞いている。ご苦労だった」

 その時は早口すぎてあまり言葉がわからなかった。そんなやり取りだったことを後でアレックスが教えてくれたわけだけれど。

 ショウサ、と呼ばれたその男の敬礼は、やっぱりアレックスと同じじゃなく、額の上に翳すものだった。陸の兵隊とは違い、船の上の兵隊たちはみんなそれ式の敬礼みたいだった。陸と海で敬礼のしかたが違う。そのことも、ぼくには驚きだった。

「そうか! お前たちが北の野蛮人の息子たちか」

 彼は一列に並んだぼくたちを見回してニヤリと笑い、「バルバールン」野蛮人と呼んだ。ぼくたちを、その息子だと。

「ようこそ、『インビンシブル』へ。オレが艦長のヘイグだ。『インビンシブル』は、お前たち野蛮人を、歓迎する!」

 そして、さあ乗り込め! とでもいうようにサッと片手を払った。

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