第5話 帝国のこども
「ぼくはアレックスの友達なんだ。それに、キミのお父さんにも会ったことがある。去年の秋だったかな」
イリアと名乗ったその若い男は親し気な笑顔をぼくに向け、身を乗り出して来た。
「北駅でね。ぐうぜん亡くなったぼくの父と同じ、青い肌の人を見かけて声を掛けたんだ。懐かしくってねえ・・・」
「ぼくの父と同じ?」
「そうだよ」
イリアは笑顔の人懐こい人だった。
「ぼくの父はきみと同じ北の国の出身だったんだ、ミハイル。ぼくにもきみと同じ民族の血が流れているんだよ」
急に、帝国の言葉で言う「親近感」が湧いた。
「その時アレックスも一緒にいた。
彼はヤーノフさんを帝都に案内する役をしていたんだが、今年に入って彼から話を貰ってね。去年北駅で会ったヤーノフさんの息子たちがやって来るって。その子たちを世話をしてくれる人を探してるって。彼とはそれからの友達なのさ」
「そうなんですか」
「というわけで、さっそくなんだが今からきみにいくつかの質問をする。きみはそれに答える。きみの里の言葉でもいいし話せるなら帝国語でもいい。これはきみがどの学年に相応しいかを判断するためのテストなんだ」
「学年? テスト?」
「きみは11歳だから本来は5年生に入るべきなんだが、今朝きみがいたクラスは4年生のクラスなんだ。ぼくがチコクしたせいで先生がそう判断したんだろうね。このままでいいか、あるいは5年生の方がいいか、それとも、もう少し下のクラスがいいのか・・・」
「ぼく、このままでいいです」
思わずそう口にしていた。
「へえ・・・」
「今の、このクラスのままがいいです」
これは後から知ったことだけれど、正式な小学校の呼び名は「リベラルアルテス」という。
帝国の学制はこんな感じ。
まず、帝国人として最低限必要な教養や常識を身につけるのがリベラルアルテス、小学校になる。これは帝国の子供ならもれなく全員入る。授業料はタダ。全額、お昼ご飯まですべて国家が負担する。
6年生で小学校を卒業した生徒の半分以上はすぐ社会に出る。マイスターと呼ばれる親方について職人になったり店に行って商売を覚えたり、大きな工場で働いたりあるいは農園で作物を作ったり、海に出て漁師や船員になったりする。
そうでない者のうち何割かは軍隊の幼年学校に進み下士官や士官になるための勉強をする。技術者を養成する学校に行く者もいる。石油や鉄鉱石、レアメタルを掘る鉱山技師、医者、機械工場の技師なんかはそれ専門の学校に行って技術を学ぶ。
それ以外はリセに進学する。
リセも小学校と同じ6年制。タダだけど、誰でも入れる小学校と違い、試験がある。小学校での成績も参考にされる。
リセの、小学校との決定的な違いは、
「常に疑問を持ち、自ら学んでさらに問いを深め、他人と意見を戦わせ、お互いの理解と知識を深める場」であるということだ。
小学校では授業で自分の意見を発言することを強く指導していて、それでみんなよく手を挙げるのだけれど、それはリセへの進学のためであるという。
ちなみに。リセは全寮制。リセに入る子は親許を離れるのがきまりだ。
イリアはリセで教師の資格を取ったのだそうだ。
「アレックスは、教師の資格を持ってて北の国の言葉がわかる者を探していたらしいんだ。それでぼくに連絡が来たんだと思う」
テストの終わりに、彼はそんな雑談をしてくれた。
彼の話で興味深かったのは、人の命を預かる医者よりも学校の教師の方が収入もよく社会での地位が高いということだった。帝国では「いかに長く生きるか」よりも、「いかに良く生きるか」のほうが重視されているから、だと。
「イリアは先生なの?」
「いいや、違うんだ。実はね、ぼくの仕事は宝飾品の職人なんだ」
と、彼は言った。
「ほうしょくひん?」
「亡くなったぼくの父がね、どうしても教師になれとうるさかったから仕方なくリセに行ったんだ。だけど、本当はぼくは職人になりたかったんだ。コツコツものを作るのが好きなんだ。だから、父が亡くなってすぐリセを退学して工房に入ったんだ。父には申し訳ないと思うんだけどね」
へえ、と思った。
里を出るときあんなに怖かった帝国人。だけど、その帝国人にはじつにさまざまな人がいるのを知った。自分の将来を自由に選べるなんて、信じられなかった。
ただひたすら剣の稽古に明け暮れ、戦場に出て敵を倒し、結婚して家を作って羊を飼い、畑を耕して狩りをする・・・。
みんな同じ生き方をするぼくの里とは、大違いだ。
「ぼくの工房ではね、コサージュやペンダントや指輪やブローチなんかを作ってるんだけど、軍隊の階級章や勲章なんかも作る。・・・そうだ、忘れてた!」
彼は立派な革のバッグの中をごそもそして紙に包まれたあるものを取り出した。
「ミハイル、きみ、馬は好き?」
彼は包み紙を開いた。
「これは今回北から来たきみたち10人みんなにあげてるんだ。ぼくからの近づきのしるしだよ」
そう言って彼はぼくのテュニカの胸に小さな金色に光る馬を象ったブローチを着けてくれた。
アクセサリーというものを、ぼくは生まれて初めて着けた。
教室に戻ったぼくのブローチに真っ先に気付いてくれたのは、やっぱりタオだった。
「なにそれ! カッコイイ飾りだね」
彼は身振りでそんな風に言ってくれたと思う。
ぼくは急に誇らしくなった。
帝国には、ぼくの里にはない「時計」というものがあった。
一日を24に区切る。太陽が一番真上に上り切ったときが午後零時。そこから12時間経った真夜中が午前零時。夏は午前7時。冬は8時が始業。今は夏だから、午前11時が昼食になる。
昼食はカフェテリアで摂る。
タオと一緒に行ったそこは、ぼくには天国のようなところに思えた。
いろんな種類のパンや小麦を煮込んだオートミールというおかゆはもちろん、ビュルストという、ビッテンフェルト家の朝食にも出た腸詰めにもいろんな種類があるのを知った。それに「シュニッツエル」という鳥のから揚げ料理や「フリカッセ」という煮込みがまた美味しい。そしてふんだんにあるいろんな野菜や果物のジュースや乳。これらが全て、食べ放題飲み放題なのだ。
ぼくの里では、いつもじゃないけれど、作物が穫れなくなったりすると何日か固いパンだけで過ごさなきゃならないときもあった。深い山に入って食べられそうな木の実を探しに行って帰って来なかったり、他の部落の奴らに襲われて命を落としたりした人もいた。
それに比べれば、これが天国でなくて、なんだろうか。
男はみんな食いきれないほどの量をトレーに盛って行くんだけど、女の子の、それも上級生になるほど何故か少量しか盛らない。こんなに美味しいのに。帝国に来て、最後までどうしても理解できないことはいくつかあったのだけど、これもぼくにはどうにも理解できなかったことの一つだった。
午後は体育だ。
これは全学年でやる。駆けっこでもボール投げでも鉄棒でもなんでもいい。それに身体を使うから、言葉は全く要らない。
ぼくは、ボールを蹴って相手のゴールに叩き込む「サッカー」というヤツが一番気にいった。
男だけかと思ったら、女の子もボールを蹴ってた。もちろん、ぼくも仲間に入れてもらい、一緒になってボールを追っかけた。
聞くところによれば、この「サッカー」のルーツは、何千年も前に戦争で捕虜にした敵兵の首を切ってコロコロ転がして遊んだのに由来するらしい。ぼくの里とあまり変わらない野蛮さが、おもしろい。
剣やケンカを、ルールのある「スポーツ」に換えて愉しむ。帝国というのは、おもしろい。
体育が終わると下校になる。
タオと一緒に教室に戻って今日授業で貰った教科書を袋に詰めていたら担任の女の先生が来た。
「ミハイル、イリア先生、テスト、結果」
なんとなく言っている意味がわかってドキドキした。
「あなたはあした、またこの教室、来る。わかる?」
「え?」
「ここ、あなたの机、あした、また、ここ座る。いい?」
「うわあっ! やったじゃん、ミハイル!」
思わずホッとしてタオと顔を見合わせ、ぼくは笑った。
アサシン・ヤヨイシリーズひとくちメモ
07 古代ローマ時代の「学校」について
本作では「リベラル・アルテス」という名前の小学校ですが、古代ローマ時代では、
「ルドゥス・パルヴォルム・プエロルム ludus parvorum puerorum 『子供たちの学校』」
と呼ばれていました。
ちなみに中学校は、
「リテラルム・ルドゥス litterarum ludus」。意訳すれば『文学学校』と言い、ギリシャ語、ラテン語、古典の読解、歴史、地理、天文学、物理学を教えていました。
また、高校は、
「インジェヌアルム・リテラルム・ルドゥス ingenuarum litterarum ludus」『純粋文学学校』と呼ばれ、主に雄弁術、修辞学を学びました。
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