第2話 国境の川を超え、帝国の貴族に会う
川には10人ほどの帝国の兵隊がぼくたちを迎えに来ていた。
あたりまえだけど、全員があの火の出る棒、テッポーを持っていた。ぼくよりひとつ下のゲオルギーは震えてぼくの腕を掴んだ。彼のことは笑えない。ぼくだって、怖かったから。
驚いたことには、その兵隊の中に同じ帝国兵の服を着た肌の青い男がいた。男はぼくたちの言葉を喋った。
「オレはアレックス。昔ウクライノ族にいた。今は帝国市民になっている」
と、その男、アレックスは言った。
「この中に、ヤーノフの息子はいるか?」
ちょっと怖かったが、ぼくは勇気を出して進み出た。
「ぼくです・・・」
すると背の高いアレックスはニッコリと笑った。
「お前がミハイルか」
と、彼は言った。
「オレはヤーノフの友達だ。う~む・・・。確かにアイツに、ペーチャによく似ているな」
族長であるぼくの父の名前はピョートル・ヤーノフなんだけど、父をアイツ呼ばわりしたり愛称で呼ぶ男に、ぼくは初めて会った。
ここまで同行してくれたイワンたちとはここでお別れだ。ここからはぼくたち10人の子供だけが川を超える。
急に心細くなった。
でもそれはぼくだけじゃない。誰の顔にも不安が浮かんでいたし、あの底意地の悪いドミートリーでさえも、まだ肌を染めていないにもかかわらず顔を青くして震えていた。
それほどに、帝国兵が怖かったんだ。
「じゃあな、ミハイル。しばしの別れだ。シビルの男に恥じぬよう、帝国の知恵と技を身につけて、立派になって戻ってこい!」
帝国兵から麻袋に入った10丁の銃を受け取ったイワンたちは、川を渡るぼくたちをいつまでも手を振って見送ってくれた。
それから。
丸一日の間、ぼくたちは馬の曳く箱、「馬車」というものに揺られた。当然だけど、ぼくは初めて乗った。ぼくの里には馬車はなかった。馬車そのものは作れるかもしれないけれど、馬車を走らせる「道」がなかった。
しかも、ぼくたちを迎えに来た兵隊が馬車の前後に騎馬で付き従ってくれるという護衛付き。そして、馬車から見た風景は驚きの連続だった。
まず、ぼくたちの村の百倍か千倍以上もありそうな広い広い小麦畑が延々とどこまでも続き、ぼくたちと同じような馬車だけでなく、大きな音を立てて黒い煙を吐いて走る「トラック」という馬のいない馬車のようなものと何度もすれ違った。そして、何千頭いるのか数えきれないほどの羊やヤギの群れに度々道を塞がれた。
なんというスケールの大きさだろうか・・・。
あらかじめ父から聞いていたぼくでさえ、実際にこの目で見たものには驚きっぱなしだった。ましてや、なにも聞かされていない他のやつらは皆、目をまん丸に見開いて言葉も忘れるほど唖然としていた。
そんなぼくたちの様子を、アレックスはにこやかに眺めていた。
「お前の父親はもっと驚いていたぞ、ミーシャ。うぉーっ、うぉーってそれはウルサイぐらいにな!」
馬車そのものにも驚いたが、ぼくが最も驚いたのは馬車が走っている、この「道」だった。
途中、馬を休ませたり水を飲ませるために馬車は何度か止まったが、ほぼ丸一日も走り続けられたのは道がとんでもなく平らででこぼこがほとんどなかったせいだと思う。帝国の道には、なんと石が敷き詰められていたのだ。隣のクラスノ族に行くのにもけものみちや草原を突っ切ってゆくぼくの里にはこういう道は一本もない。
「ほう。お前は父親とは違ったところに目を付けたな」
走る馬車の幌の前後、延々と続く真っすぐで平らな道を見下ろしてばかりいたぼくにアレックスはそんなことを言った。
「変ですか?」
「いいや、褒めている。この馬車がこれほどに速く走れるのは道が石で『舗装』されているからだ」
「『ほそう』?」
「そうだ。帝国では街から街、街の中の道も至る所石で舗装されている。だから、馬車もトラックもみんなスムーズに高速で走れるし、移動の時間が短くなる。それで稼いだ時間を他のことに有効に使える。運ぶ商品も傷まずに済む。つまりは得になることが多くなる。このことを帝国の言葉で『ソチアル・インフルストラクテュール』という。これは帝国の社会というものを形作っているとても重要なものなのだ、ミーシャ。それに目を付けたから、褒めている。
さ、みんな。そろそろ街に着くぞ。もう見えてくるころだ」
やがて馬車は、ぼくの村で一番大きなぼくの家の何十倍も大きな建物が無数に犇(ひし)めくところで止まった。
「ここが『街』だ。シュバルツバルト・シュタット。「黒い森の街」という意味だ。帝都行き列車の始発駅がある。ここで列車に乗り換えるぞ」
「列車?」
ここまで散々驚かされまくって、これ以上もう驚くことはないだろうと思い込んでいたぼくたちにとって、生れて初めて乗った列車は、そんな列車が何両も止まっていた大きな駅以上にぼくたちの度肝を抜いた。
ぼくたちを乗せた特別急行列車は、馬車の数倍は速い、死ぬほど素晴らしいスピードで野を駆けた。
「これが、きかんしゃ、かあ・・・」
機関車についてもぼくはあらかじめ父から聞いてはいた。帝国には煙を吐いて高速で走る部屋があるのだ、と。初めて乗った列車はそんな予備知識がまったくの無意味になるほどの衝撃をぼくに与えた。
しかも、列車の走る道はなんと鉄でできた線だったのだ。ぼくの里では鉄の剣一振りでも羊5頭分の値打ちがあるのに。それをこのように惜しげもなく、道に敷くとは・・・。
そんな列車は数えきれないほどの駅を通過し、何両もの他の列車を追い越し、途中2回ほど燃料の石炭を積むのと水を補給するために停まっただけで、後はただひたすら、ほぼ丸一日走り、陽が落ちた。
何にもない地平線。そこに沈む太陽を初めて見ているぼくたちに、アレックスは言った。
「みんな、あと1時間ほどで帝都に着く。そこにそれぞれの引受先の家の者が出迎えにきてくれているはずだ。
だが、いいか。これだけは忘れるな。
お前たちは銃と引き換えに人質となったのではないぞ。乗って来た馬車も帝国兵の護衛付き。この列車も通常なら丸3日かかるところを終点までノンストップの特別急行列車だ。しかもお前たちが世話になる家庭は全て貴族の家。帝国でも有数の程度の高い家なのだ。
つまり、お前たちは帝国にとって重要な賓客なのだ」
「ひんきゃく?」
「大切な客ということだ。だから決して卑屈になるな。堂々と胸を張って帝国での生活を楽しめ。ただし、世話になる家のひとや学校の先生や友達に対する敬意は忘れるなよ」
きっとアレックスは自分の故郷の子供であるぼくたちに誇りをもってもらいたいと思ってそんなことを言ったのだろう。ぼくたちが帝国での滞在の最初に彼という人物に会えたことはとても幸運だったと思う。
そして、真夜中。
列車は帝都の北駅に着いた。
ぼくたちはもう列車に乗り疲れてしまってクタクタだったけど、当然にここでもその全てに驚きまくることになった。
僕らの村の羊の数の数百倍は多い人の群れ、巨大で多くの石の建物、それに、真夜中にも拘わらず眩い、まるで昼間のような街の灯り。
そして、ぼくら一人一人を迎えに来ていた、それぞれの家の豪華な馬車。
ぼくらの誰もが、底意地の悪いドミートリーでさえも、初めて訪れた帝国の全てに驚き過ぎて疲れ果て、みな等しく言葉を失っていた。
「オレとはここで一度お別れするが、近いうちにまたすぐ会うことになるだろう。みな早く帝国の言葉を覚え、家と学校に慣れるようにな」
そうしてぼくたちはアレックスと別れ、それぞれ別々の家に預けられることになった。
他のやつらの世話になる家がそれぞれ使用人だったりあるいは馬車の馭者だけを迎えに寄越したのに比べ、ぼくの家はなんと主人が直々に出迎えに来てくれた。
今まで護衛で付いていてくれた兵隊と同じ服を着た、言葉も顔つきも厳めしい男だった。
「そちがミハイルであるか!
それがしはビッテンフェルトと申す!
今日よりそちは我がビッテンフェルト家の客であると同時に書生なり! よって、ここに出迎えに参った次第であるっ!」
喋っている言葉にまた、驚いた。
なんとぼくの里の言葉だったのだ。「客」とか「書生」とかいう言葉はよくわからなかったけれど。
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