055.約束

「んー……」


仕事を一段落させて、凝り固まった首と肩をほぐすようにゆっくりと回す。

ここは執務室。

時刻は七つ目の鐘が鳴る頃でもうすぐ夕刻だ。


サボっていたツケを払うように今日は一日執務室の椅子に座って仕事をしていたんだけど、久し振りの長時間デスクワークはかなり疲れた。

まあ久し振りじゃなくても疲れるんだけどさ。


「お疲れ様です、ユーリさん」

「ありがとうございます、リリアーナさん」


労ってくれる彼女だけがこの場の癒しである。

まあそんな彼女に迷惑をかけたので今日は真面目に仕事してましたけどね。


「それでユーリさん、これが今回の見積もりです」

「あっ、ありがとうございます」


俺はリリアーナさんに頼んでいた計算の結果を受け取って、そのまま白目になった。

そこに記されているのは、今回の事件で俺が失った装備と道具の費用。

その結果、個人の損失額は50億ルミナ超。


しかもこれらはクランの割引価格で集めたものなので、市場価格では更に数倍に膨れ上がるだろう。

ウケる。


そもそも俺の持ち歩いていた魔装の数々は、壊れなきゃ転売すれば元値以上になるという前提で持ち歩いていたものだったし。

危ないところに行くわけでもないし壊れることなんてはなから計算には入っていなかったのだ。

まあ全部壊れたんだけどさ。

ウケる。


唯一の救いは一点を除いて借金などでなく俺が既に購入していた私物ってことかな。

おかげで損失は大きいけどそれで今すぐ困るとかそういう話でもないし。

まあ個人的な資産は結構な部分が無くなってしまったんですけどね。

あと武器が無くなったしあんな事もあったので、しばらくはお外に出かける気も失せたかな。


「どうしますか? 一部資産を資金に替えて新しい装備を購入しますか?」

「んー、とりあえずは外出る予定もないし武器はいいかな。それより先に済まさなきゃいけないこともあるし」


実を言うと金が無いだけで、売れば金になるものはまだいくつかあるのだ。

とはいえ、そういうのは今すぐよりもタイミングを見て売った方が”もっと高く売れる物”なので急ぎでなければそのままの方が儲かる。

なので今は新しい魔装買うのはいいかなって感じだ。


「まあしばらくは危ないことはしないということで」

「私もそれがいいと思いますよ」

「リリアーナさんにも迷惑かけちゃいましたしね」

「迷惑というよりは心配をかけられた気がしますけど」

「それはすみませんでした」


誠に申し訳ない。


ともあれ、

「仕事も片付いてきましたし、今日は終わりにしましょうか」

「そうですね」


俺が休んでいたあいだに溜まっていた仕事もそろそろ処理が終わりそうな頃合いで、あと数日したらまたそこそこに働く日々に戻れそうだ。

そんで今日のお仕事はこれでおしまいなので、最後に片付けをして席を立つ。

リリアーナさんも俺に合わせて、一緒に腰を上げる。


そんな彼女は執務室を出る前に、こちらを見た。


「ユーリさんこのあと予定はありますか?」

「すみません、今日はちょっと約束があるんです」


まあ約束なんて堅苦しいものでもないけど。


「珍しいですね。もしかしてデートですか?」

「デートといえばそうですね」


まあ相手は──。




「おまたせ、ソフィー」

「ユーリさん」


クランハウスの入口で、待っていたソフィーと合流する。

今日は彼女と夜にご飯を食べに行く約束をしていたのだ。

そんなソフィーは近くに立つと髪から良い香りがする。


「ソフィー、お風呂入ってきた?」

「はい、今日もお仕事で汗かいたので」

「そっか。俺も入ってくればよかったな」

「ユーリさんは汗臭くありませんよ?」

「まあそうなんだけどね」


今日は一日執務室にいたから汗をかくこともなく快適に過ごしたし。

でも隣で石鹸の良い匂いがすると気になるんだよね。

あと顔を近づけてくんくんと鼻を鳴らすのはやめてほしい。

ふたつの意味でどきどきしちゃうから。


「私はユーリさんの匂いも好きですよ」

「ありがと、ソフィー」


そんな風に言われるとちょっと恥ずかしい気もするけれど、まあいいか。


「それじゃ行こっか」

「はい、ユーリさん」


ということで来たのはクランハウスから近くの飯屋。

ソフィーの案内で、彼女とは初めて来る場所である。


「いらっしゃいませー!」


店員さんに案内されてテーブルにつく。

周りは他の客で結構騒がしいけど、冒険者なら慣れた程度の喧騒で煩わしさは感じない。

最近はそうでもないけど、昔は毎日のようにこういう雰囲気の店で飯を食っていたものである。


「今日はあたしの奢りですからね」

「無理はしなくていいからね」

「大丈夫ですよー、あたしももうランク3ですもん」


まあそれはそうか。

ランク3ならもう立派な冒険者だし、それにこの店ならお財布が寒くなるようなこともないだろう。


クランマスターとしてメンバーに奢られるのもどうかと思わなくもなかったけど。

でも彼女が今日は任せてほしいということなので、エスコートをお願いすることにした。

たまにはこういうこともいいよね。


「それじゃあ注文しよっか」

「はい」




「ユーリさん、飲んでますかぁ?」


俺は甘辛いソースを和えて焼いた鶏肉にフォークを刺して口に運んでいると、向かいに座ったソフィーにそんなことを聞かれる。


「飲んでるよー」

「ホントですかぁ?」

「ほんとほんと」


一通り料理を平らげて俺が追加の注文を頼んでいるあいだに、ソフィーはすっかり酔っ払って顔を赤くしていた。


「ソフィーはあんまり飲みすぎないようにね」

「あたしはそんなに飲んでないですよー」

「そっかぁ」


ならテーブルの上に並んでるジョッキはなんなんだろうね。

まあ、ソフィーは酔ってもかわいいもんだからいいけど。

暴れだしたりしないし。


その一点で、冒険者の中では模範的な酒飲みの範囲に入る。

まあ酔っ払いはまともに相手をしないに限るので俺は気にせず自分の料理を口に運ぶ。

お肉美味しい。


「ソフィーは今日もお仕事頑張ってきたんだし、美味しいもの沢山食べるといいよ」

「偉いですか?」

「偉い偉い。お肉食べる?」

「食べます! あーん」

「あーん」


置かれていたソフィーのお箸を使って、こちらに向けた彼女の口にお肉を運ぶ。


「これ美味しいですねー」

「そうだねー、美味しいねー」

「お酒も美味しいですー!」

「そうだねー、美味しいねー」

「そうだ。ユーリさんもお仕事頑張ってるので、褒めてあげますね」

「ほんと? それは嬉しいなあ」


なんて空返事をしつつ、普段真面目に働いていないからよく考えると仕事について褒められることってほとんどないことに気付いた。

まあ自業自得だから気にはしないんだけど。


「それじゃあ、こっちに来てください!」

「こう?」

「はい、よしよし」


俺が腰を上げてテーブルに軽く身を乗り出すと、ソフィーはそんな俺の頭を撫でた。

なんていうか、凄く恥ずかしいね。

まあソフィーの頭をたまに撫でている俺に拒否権はないんだけど。

ルナにはちょっと頭撫でるの自重しようかなと思う程度には恥ずかい。


「どうですか? 嬉しいですか?」

「うん、ありがとね、ソフィー」

「えへへ……」


恥ずかしかったけど、褒めようとしてくれた気持ちはちゃんと伝わってきたよ。


「じゃあ交代」


今度は俺がソフィーを撫でる。

最近頑張っているから、あとあの時頑張ってくれたので。

そんな応援と感謝の気持ちをもって撫でると、ソフィーは気持ちよさそうに目を細めた。




「ありがとうございましたー!」


会計を済ませて、店員さんに見送られながら店を出る。

結局あのあとソフィーは寝息を立て始めて、しばらくのあいだぐっすり眠っていた。


「美味しかったですね、ユーリさん」

「そうだね、ソフィー」


その仮眠のおかげか、今のソフィーはすっかり酔いは醒めてアルコールが抜けた顔をしている。

おんぶも要求してこないし。


「それじゃ帰ろっか」

「はい」


すっかり日も暮れて、八つ目の鐘が鳴る頃。

周りは飲み歩いている人間や少し怪しい様子の人間、あと少しえっちな格好をしている人間なんかで昼とはまた変わった様子を見せている。


「風気持ちいいですね」

「そうだね」


今は丁度夏の盛りだけれど、夜の風は酔いで火照った身体を冷ませてくれる。

俺もいくらか飲んだしね。

もしかしたら、寝て起きてスッキリした顔をしているソフィーの方がシラフ寄りかもしれない。


とはいえそれでも足取りが怪しくなるほどじゃないないし、真っ直ぐお家に帰れはするけど。

そしてソフィーと最近のお仕事の様子なんかを聞きながら、クランハウスの前まで戻ってきた。


「ユーリさん」

「ん?」


敷地入る前に立ち止まって、一歩進んだ俺より後ろからソフィーに声を掛けられる。


「どうしたの、ソフィー」


振り返って見たその顔は、先程まで酔っていたとは思えないくらいしっかりとしていた。

風が吹いて、頬を撫でる。

ソフィーの後ろで、彼女の尻尾が緩く揺れた。


「ユーリさん」

「うん」

「今日はユーリさんに聞いてほしいことがあったんです」

「うん」


「もし、あたしがユーリさんより冒険者ランクが上になったら伝えたいことがあるんです。そのときは聞いてくれますか?」


「え、なに? もしかして愛の告白?」


それなら今すぐでもいいんだけど。


「えっ、すいません、そういうのじゃないです」


どうやら告白ではなかったらしい……。


「そっか、そうだよね」


俺、モテ期じゃなかったよ。

まあソフィーにモテる要素とかなかったけどさ。

雰囲気的にそんな流れかと思ったんだもん。

俺は悪くないし恥ずかしくもない。


「それじゃあどんなこと?」


なんて聞くと、ソフィーは悪戯をするように笑った。


「それは、秘密です」

「じゃあ楽しみにしてるね」

「はいっ」


ランク7は、正直そんな簡単な数字じゃないけれど、期待して待ってることにする。


きっとソフィーなら、俺を超えてくれると信じて。




そんな彼女が紆余曲折を経て王都に名を轟かせる冒険者になるのは、もう少し先のお話。




★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆


これにて二章完結です。


おかげさまでここまでギリギリ毎日更新でやってこれました。

何度かお休みしようかと思いつつも、毎日投稿できたのはこれも皆様の応援のおかげです。


というわけでこれからも応援を、あとよければ評価も、あと感想も、よろしくお願いしまーす!

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