050.秘密の地下室で二人っきり
コツコツコツと石の床を踏んで階段を降りる。
降りた先は薄暗く、さらに薄っすらとした冷気とともに淀んだ空気が漂っている。
ここは≪星の導き≫のクランハウスの中でも特に知る者の少ない場所。
普段はここに続く扉もクランの人間が目にしないような場所に隠されている。
そんな地下に存在するこの場所を知っているのは極少数、中に何があるのかを知るのは指の数ほども居らず、中に入る権利を持っているのは俺ともう一人だけ。
秘密にしている理由はここには貴重で大切で危険な、広く知られてはならない物が保管されているから。
その保管物を管理し、ときたまこのように問題がないか確認しに来るのも俺の重要な仕事の一つ。
クランハウスの地下かつ、誰も知らないこの場所に盗みに入る人間が現れるようなことはほぼあり得ないが、だからといって放置できるほど気楽な保管物でもない。
加えて言えば、ここの保管物には繊細な管理を求められるものもあるという事情も存在する。
そんな部屋の広さは執務室の倍、寮の個室の四倍程度だろうか。
壁際には棚が設置されているので、実際にはもう少し狭く感じられるが。
その中で保管されている物品の総数は数百にのぼる。
それらをひとつひとつ数と種類が目録と合っているか、確認していくのはそこそこの時間がかかる。
とはいえ、個人的にこの作業はそこまで苦ではないのだけど。
コツ、コツ。
作業を始めてからしばらくして、背後の階段から足音がした。
この地下室の入り口は一つだけ。
その扉は中に入ったあとたしかに鍵をかけてきたので、降りてきたのはもう一人の鍵の持ち主だろう。
「ここにいましたか、クラマス」
現れたのはリリアーナさん。
いつものように仕事姿で、いつものように眼鏡を輝かせている彼女は今日も美人だ。
「リリアーナさん、なにかありましたか?」
「はい、明朝までに確認してほしい書類がありましたので。邪魔してしまってすみません」
今はもう七つ目の鐘が鳴ったあと、夏の空もそろそろ日が暮れる頃合いだろう。
このまま俺が外に出かけると、寮で帰ってくるのを待つか早朝の部屋に突撃するかの二択になるから直接顔を見せに来るのが一番手っ取り早い。
こんな場所まで探しに来たリリアーナさんだけど、仕事中のスケジュールは把握されているので不思議はないかな。
ある意味ここの管理は俺の仕事の中で一番規則正しいスケジュールに沿った業務内容だしね。
「大丈夫ですよ、もうすぐ終わるので」
数える棚はあと少しだし、リリアーナさんが訪れるのを拒むような場所でもないし。
なので先に書類を受け取って、それに確認のサインを済ませる。
「どうぞ、リリアーナさん」
「ありがとうございます、クラマス。よかったら手伝いましょうか?」
「このあと仕事残ってますか?」
「今日はこれで終わりですよ」
「ならお願いしてもいいですか?」
「はい」
快く頷いてくれるリリアーナさんに、目録の一部を抜いてお願いする。
本当は手伝ってもらうほどの量はないんだけど、ちょっとしたお誘いのようなもの。
そのまま程なくして、二人とも品物の確認を終えた。
「手伝ってもらってありがとうございました。品は全部あるみたいです」
「ならよかったです。それにしても、本当に凄いですね」
リリアーナさんが見渡すのは部屋の中。
そこに並ぶのは、ワインのボトルをはじめとした酒瓶の数々。
一部樽も混じってるけど。
「手伝ってもらったお礼によければ一本プレゼントしますよ」
「本当ですか?」
「もちろん」
頷いた俺に、リリアーナさんが一つのボトルを手に取る。
「なら、これを」
リリアーナさんが選んだのは、この部屋の中でも特別に高い一本。
これひとつで金額は9桁を超えるので、正直必要がなければ手を触れるのも躊躇うほどの代物。
とはいえ、今はそんなことは関係ないけど。
「それでいいですか?」
ここにはコルク抜きも常備されているのでそれを手に取って聞く。
「いいんですか?」
「リリアーナさんが飲みたいのならもちろん」
「……、やっぱりこっちでお願いします」
リリアーナさんが少し考えて選んだのは6桁くらいの普通のワイン。
もう少し高いのでも、と思ったけど視線を向けると微笑みを返す彼女の表情を見る限り本当に今の見たい気分の物を選んだみたい。
ならそれでいいか。
高いものとその時の気分のものが異なるっていうのは、料理でもお酒でもよくあるよね。
じゃあ最初に選んだのはシンプルに金額で選んだんだろうけど、そういうちょっとお茶目なリリアーナさんも好き。
「さっきのはまた今度、飲みたくなった時に開けましょうね」
「ええ、ユーリさん」
ということで、部屋の中央に置かれたテーブルにグラスを二つ並べ、それにワインを注いでから互いに向かい合って座る。
ぶっちゃけこのあと仕事がないのを確認した時点でボトルはここで飲むっていうのは既定路線だったので、リリアーナさんがどのワインを選んでも俺は半分飲めるから勝ちしかなかったんだよね。
むしろ高い酒を選んでくれたほうが勝ちはデカかったまである。
まあ飲んだ分は俺の財布から補填されるんだけどね、プレゼントするって言っちゃったし。
「そうだ。【清浄】 」
唱えて指をパチンと鳴らすと、部屋の中の淀んでいた空気が新鮮なものに入れ替わる。
せっかくのお酒だから良い環境で飲みたいよね。
そのままボトルのコルクを抜き、グラスにトクトクと注いでいく。
それとともに漂う香りだけでなんだか幸せな気分になれそう。
特に、リリアーナさんが今の気持ちで選んだものって所が。
「他の皆さんに怒られそうですね」
「みんなこの部屋の存在は知らないから大丈夫ですよ」
逆に酒好きのメンバーに知られたらどうなるかわからないから、絶対に知られるわけにはいかないけど。
俺はメンバーたちのことを信じているけど、その信じたメンバーたちが狂わないと絶対に確信できないくらいにはここは酒好きにとっては宝の山だから。
なんと言っても高価なだけじゃなく、金を出しても確実に手に入れることは難しいようなものも存在しているので、気軽に飲まれたら給料から代金差っ引いて補填させればいいじゃんなんてことも言えないのだ。
「ならここは二人だけの秘密ですね」
二人だけの秘密、素敵な響きだなぁ。
「では、二人だけの秘密に乾杯」
「乾杯」
互いにグラスを合わせると、チンと澄んだ音が部屋に響く。
そのままグラスを傾けると、甘みのある優しい味わいが口の中に広がった。
「おいしいですね」
「ええ」
俺の感想にリリアーナさんが頷いてそれっきり、しばらくは無言でワインを楽しむ。
そのままグラスのワインが減る頃には、リリアーナさんの顔が少しだけ赤くなっていた。
それからふぅ、と短く息を吐いて、リリアーナさんが眼鏡をテーブルに置く。
おそらくリラックスしているんだろう。
普段は見ないその様子を見ると、リリアーナさんの普段のきちっとした印象もちょっと変わって見える。
裸眼のリリアーナさんも素敵だ。
もちろん普段の眼鏡姿も素敵なのでどちらも素晴らしいけど。
「リリアーナさんって眼鏡なくても見えるんですか?」
「そうですね、ユーリさん、手を出してくれますか?」
「はい、どうぞ」
酔ってるからだろうか。
今日のリリアーナさんはいつもよりも積極的でドキドキしちゃう。
それにここは、他に誰も来ない二人きりの密室だし。
俺の手を握ったリリアーナさんにそのまま体を引かれる。
抵抗はせずに姿勢は前かがみになり、上半身がテーブルの上まで引っ張られる。
そのままリリアーナさんも前かがみになり、互いのおでこがコツンと当たった。
「これくらいの距離なら見えますよ」
互いの顔はすぐ近く、なんならデコは触れている。
リリアーナさんの翠の瞳も至近距離にあって、まつ毛がその一本一本まで数えられそう。
鼻先も触れそうなほど近く、当然唇もほんの少し動けばそれを重ねることができそうなほど。
唇は濡れていて、薄っすらとワインの香りが漂う。
さすがに、凄くドキドキする。
たぶんいま、わかりやすいくらい顔が赤くなっている。
いっそもう、このままこちらからしてしまってもいいだろうか。
なんて思ってしかしギリギリ躊躇っていると、ふっとリリアーナさんの顔が離れた。
あっ……。
遠ざかってしまったリリアーナさんを名残惜しく見ると、彼女は笑う。
「さすがに冗談です」
その冗談っていう言葉が目に見える距離にかかっているのか今の行為にかかっているのか。
気になって仕方ない。
なんて思っていると、今度は彼女の手が差し出され、俺の頬に触れた。
「本当は、これくらいの距離なら表情まで見えますよ」
丁度リリアーナさんの腕一本分、その距離でも赤くなっているであろう顔を見つめられると恥ずかしい。
「リリアーナさん、酔ってます?」
「酔ってないですよ?」
酔っ払いはみんなそういうんですよ。
とはいえ酔ってないならあとで訴えられる心配はないな、言質ももらったし。
「リリアーナさんの手、柔らかいですね」
頬に添えられた彼女の手に、自分の手を重ねる。
その手は柔らかくてすべすべしている。
この手を離さずにずっと握っていられたら、そんな叶わない希望を持ってしまうくらいに、その手は柔らかかった。
「そろそろ上に戻りましょうか」
ボトルが空になってグラスも乾いた頃、俺がそう提案するとリリアーナさんも頷く。
「そうですね」
名残惜しいけれど、楽しい時間もいつかは終わってしまうということで。
そのまま二人で立ち上がり、片付けをして階段へ向かう。
「お先にどうぞ」
転ぶと危ないからとリリアーナさんに前を譲ると彼女が微笑む。
別にスカートの中身を覗こうとしてる訳じゃないよ。
階段の幅は狭いので、上を見ながらリリアーナさんより二段下をコツコツと登る。
「きゃっ」
そして案の定というか酔っているせいというか、転びそうになる彼女の背中を両手で支えた。
自然と顔が近く、密着したままリリアーナさんが振り返る。
「ありがとうございます。ユーリさんも平気でしたか?」
「一応これでも鍛えてるので、軽い女性くらいならしっかりと支えられますよ」
「ふふっ、お上手ですね」
これが男なら支える気にならなかったから本当のことですけどね。
それはともあれ。
ここまで近寄ると、さっきよりも互いのワインの香りが気になる気がする。
「このまま二人で並んで上がると、一緒に飲んでたのがバレるかもしれませんね」
「大丈夫ですよ。もし気付かれてもここで飲んでいたことが分からなければ問題ないですから」
「たしかに」
むしろリリアーナさんとお外で食事してくることなら普通になくはないし。
それなら問題はないということで、名残惜しいけどリリアーナさんの背中を押して立ち上がってもらう。
そして二人で短い階段を登りきって、扉の鍵を開ける前にリリアーナさんが振り返る。
その顔はまだ少し赤かった。
「ユーリさん」
「なんでしょう、リリアーナさん」
「またここで飲みましょうね」
「はい、ぜひ」
「約束ですのよ」
リリアーナさんが片手を上げるので、俺もそれに応える。
そして約束が守られるように、と小指を絡めた。
きっとまた、ふたりでここに来られるだろう。
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