038.お姫様と御忍びデート

朝、まだ早い時間にクランハウスの前で立って人を待っている。

周囲の街も少しずつ動き出して、そろそろ働き始める人が道にも増えてきそうな頃合いで、雲一つない青空は暑くなる気配を感じさせていた。

普段なら俺が仕事を始めるような時間じゃないんだけど。


今日は特別、用事があった。

朝は眠いから午後からにしてください、なんて気軽には言えない用事である。

まあ嫌ではないんだけど。

それでもちょっと、緊張するかな。


ふーっと息を吐いて心を落ち着けると、街路の向こうからカラカラと馬車の進む音が聞こえてくる。

その馬車は以前見たものよりは豪華ではなく、しかしよく見ればしっかりとした造りなのが遠目にも見て取れる。

そんな馬車が俺の目の前まで来て、停まった。


扉が開いて出てくるのは、やはり前回に見たときよりも抑えられた格好のアストラエア様。

今日の服装ならギリギリ、街中で歩いていてもおかしくないレベルの格好である。

本当にギリギリだけど。


そして地面に降り立った彼女は、洗練された所作で優雅に一礼をする。


「ごきげんよう、ユーリ様」


うん、やっぱり中身も合わせるとギリギリアウトかもしれない。

まあだからといって、俺にはどうしようもないんだけど。


「ごきげんよう、アストラエア様。今日の装いも素敵ですよ」

「ありがとうございます」


社交用の笑顔でニッコリと微笑む彼女。

今日は彼女と御忍びでデートをするのだ。




「それでは、いったん中へ入りましょうか」

「ええ」


到着したアストラエア様を先導してクランハウスの中に入る。

あとお付きの騎士様もいるよ。

前回も馬車の中にいた女性の騎士様ね。


今日のエスコートは以前に王城で顔を合わせた時に依頼されたものだけど、詳細は詰められていないのでそこら辺の打ち合わせもしないといけない。

なので一旦応接室にご足労いただくことにした。

当然御忍びなので情報は極秘扱いで、クランメンバーにも極一部の人間以外には知らせてはいないのが若干不安だけど……。


「ふう……」


ひとまずは何事もなく、応接室に到着してこっそりと息を吐く。

正直街中をエスコートするよりも不安だったからやっと安心できたわ。


「それでは、アストラエア様。こちらのお席にどうぞ」

「はい」


彼女を促して、俺は向かいの席へ。

ちなみに彼女の後ろには護衛の人が立っている。


俺の後ろにもリリアーナさんが立っているが、いつもの凛とした表情の中に薄っすらと緊張が見て取れた。

俺じゃなきゃ見逃しちゃうね。

なんて話はともかく。


「本日は市街の遊覧が目的ということですが、間違いないでしょうか?」

「ええ、間違いありません」


じゃあ本当に御忍びデートだな。

アストラエア様もそれを求めてるのだろうし。


「それでは先に確認させていただきますが、御食事も外でしてしまってよろしいですか?」

「構いませんよ」


本当なら王族の口にするものなんて、品質的な意味でも安全的な意味でも管理されたものしか出されないだろうに、今日はそこまで含めてオールフリーな様子。

後ろの護衛の人がすっげえ険しいオーラをだしてるけど、まあそこは気にしないでおこう。


口を挟まないってことはもうあちら側で話はついてるんだろうし。

それ相応の備えは見えないところでしているんだろう。

もちろん、おかしな物は出すなよというプレッシャーは感じるけど、それに従う気はない。


「それではもう一つ、本日行きたい場所の希望などはございますか?」

「それでしたら――――」


少しだけ恥ずかしそうに希望を告げるアストラエア様に、微笑んで答える。


「わかりました、そちらでしたら問題ありません」

「よかった」


ほっと胸を撫で下ろすアストラエア様。

ほんの少しだけ、年相応の顔が見えた気がする。


「ではあとは……、なにかありますかね、リリアーナさん」

「そうですね、外で御名前を呼ぶのは避けたほうがよろしいかと」

「ああ、確かにそうですね。如何でしょう?」

「確かに、本名はよくないですね」


言いながら、アストラエア様は考え込むような仕草を見せる。


「なんてお呼びしましょうか?」

「そうですね……。ではアリスと、お呼びください」

「かしこまりました、アリス様」


その名前は前にも彼女の口から聞いたことのある名前で、少しだけくすぐったい。

もしかしたら、彼女も同じ気持ちだろうか。


「アリス様……、様という敬称も外ではよくないかもしれませんね」


身分を隠すなら、それも変えたほうがいいかもしれない。

まあ彼女の芸術のような顔立ちと長く美しい金髪と、所作から溢れ出る高貴さの前では焼け石に水かもしれないが。

一応それ以外にも変えた方がいい理由はあるし。


「ではどうしましょう。私は他の呼び方でも構いませんが」

「では『アリスさん』と『アリスちゃん』と『アリス』ならどれがいいですか?」

「ユーリ殿」


ひっ。

「構いません、ロザリア」

「はっ」

ほっ。


窘めようとしたお付の人を、アストラエア様が逆に窘める。

馴れ馴れしすぎたかな。

止める気はないけど。


「呼び捨ては流石に恥ずかしいですね。さん付けでお願いします」

「わかりました、アリスさん」

「……、よく考えると人に”さん”付けされるのは初めてかもしれません。少し、恥ずかしいですね」

「お気持はわかります」


俺も似たようなことを思った経験がある。


「自分のことも好きに呼んでいただいて構いませんよ」

「では、ユーリさんと」

「はい」


こっちは比較的聞き慣れた呼び方だけど、それでもアストラエア様に呼ばれるとちょっと不思議な感じだ。

まあともあれ、決めることはこんなもんでいいかな。


「それでは、参りましょうか」

「はい」


二人で席を立つ。

リリアーナさんが若干不安そうな顔をしているが、大船に乗った気で待っていてほしいという気持ちを込めてアイコンタクトをしておく。

あっ、余計に不安そうな顔になった。


そして部屋を出て、俺も不安だったことを思い出す。

どうか、クランメンバーとすれ違いませんように。

そんな祈りをしつつ先導して廊下を歩くと、一つ人影が見える。

よかった、マシな方のメンバーだ。


「おはようございます、兄さん」

「おはようルナ」


向こうから歩いてきたのはルナ。

俺がこんな時間からちゃんとしてるなんて珍しいって顔で見てる。


「そちらの方は?」


ルナの視線は俺の後ろに立つ超美しい人に向く。

その視線を遮らないように一歩ズレて、彼女を紹介した。


「ルナ、こちらはアリスさん。超偉い人」

「ごきげんよう」

「アリスさん、こちらがルナ。当クランのメンバーです」


あと後ろの人は、空気に徹してますって雰囲気を出してるから紹介はしなくていいか。


「こんにちは、兄がご迷惑をおかけします」

「迷惑かける前から言うんじゃない」


今日はまだ人に迷惑をかけるようなことはしてないぞ。


「御兄妹でしたか」

「妹じゃないですけどね」

「妹です」

「???」


偉い人を困惑させるんじゃないよ。俺が怒られるだろ。

しかしこうやって並ぶと、俺が知ってる中で最高級に顔が良い二人だけにとても見栄えがいいな。

どちらも長いルナの銀髪とアストラエア様の金髪も対比で映えるし。


惜しむらくはルナの14歳とアストラエア様の16歳でちょっとだけ歳が離れてることか。

これくらいの年頃だと二歳差は案外大きかったりするよね。

まあそんなことはどうでもいいんだけど。


「それじゃあ行きましょうか、アリスさん」

「はい、ユーリさん」


クランハウスを並んで出て、馬車ではなく歩いて街中へと向かう。

護衛の騎士の人は少し距離を離してさりげなく後ろを歩いている。

アストラエア様に意識させないようにという配慮だろう。


防犯的に大丈夫かと思わなくもないけど、まあ対策してるんだろうな。

俺は元から戦力には数えられていないだろうし、その計算で護衛も敷かれているだろう。

だから俺は気にせず、デートを楽しむことにする。


「それではまずここから、どうぞ、アリスさん」

「わあ……」


店内に入り、思わず彼女が感嘆の声を上げる。

ここは当人のリクエストを受けて訪れた場所。


アリスの名前の由来にもなった、前回プレゼントしたぬいぐるみを買った商店だ。




御忍びデート、始まる……!


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