035.月末という地獄

ふう。

俺は今、執務室で自分の机に向かっている。


普段は昼くらいになったらふらりと抜け出して何処かに行ったりもするのだが、今日はそんなことはない。

なぜならば、今日が月末だからだ。

とはいえ、なぜそうなるかとわからない人も多いだろう。


この国の人間は多くが一日の単位で生活している。

その次は季節、そして一年だ。

まあそのあいだに祭日なんかがあって時の流れは感じたりするけれど。


働く人間も多くは家業を持っており、雇われる側も賃金は日払いが多い。

冒険者も夏は稼ぎ時で冬は寒いから働きたくないとかそんな感じだし。

ついでに言えば自分の店を持っているような人間も帳簿をつけて月単位で収支を管理してるのは少数派だ。


うちは、思いっきりその少数派なんだけど。

まあようするに、いろんな数字に一区切りをつけてまとめなきゃいけない訳。

あとクランメンバーのお賃金の計算もしなきゃいけないし。

クランの経営費用として報酬から一部引くシステムだと月払いが一番都合がいいんだけど、それはそれとして大変なものは大変である。


「クラマス、次はこっちの書類をお願いします」

「はぁい」


まあリリアーナさんの方が大変なんだから文句は言わんけど。

これでも月末に作業が集中しないように分散させてはいるんだけど、それでも全ての数字が出たこの日に全部まとめてやるのが一番効率がいいっていう案件も多いからしょうがないのだ。


「リリアーナさん、ここの数字合ってます?」

「どこですか? ああ、これは元の資料から間違っているみたいですね」

「じゃあそっちから確認しておきますね」

「お願いします」


なるべくミスしない体制作りをしていても、抜けてくるミスはある。

それでも俺とリリアーナさんの最終チェックラインで判明するのは幸運である。

ここを抜けて更にあとで数字が合わなくなると本当に地獄になるから……。


それにミスをした人間を責めるようなことをしてもいけない。

同じ仕事量をこなしたら絶対俺の方がミスする自信があるからな!

俺は最終ラインに立っているから流れている作業がそもそもほぼ正確なだけなのである。


コンコン。

「どうぞー」

「兄さん、これ今日の報告書です」

「ああ、ありがとルナ」


執務室を訪れたルナからクランメンバーの今日の活動報告を受け取った。

ちなみに今日に限り、ルナにも報告書の確認者権限を与えていたりする。

というか実際には頼んで働いてもらってるんだけど。


理由は当然、俺とリリアーナさんがそれをやってる余裕がないからだ。

まあルナには手間が増えるだけなんだけど、特別手当は出してるから許してほしい。

そしてルナが執務室を訪れているタイミングで、丁度夕刻を示す六つ目の鐘が鳴った。


ゴーンと夕空に響く音。

これで今日付けの報告書の清算は締め切り。

これ以降に受け取った報告書は来月の給料扱いだ。


冒険者って不規則な職業だから、一日の活動終わりの時間も不安定なんだよね。

それを待ってたらいつまでも月の締めができないので、これはその対策。

実際には別に来月分の給料に計上されるだけだから、大差はないんだけど。


過去に十日がかりの遠征案件をギリギリ間に合わないに時間に持ってこられて泣く泣く諦めさせた事もあったけど、そういうのは稀だし。

ちなみにルナがこのタイミングで執務室に来たのは偶然じゃなくて、クランメンバーの報告書を取りまとめて締め切るタイミングまで待って持ってきてくれたという心遣いの結果だ。


「ルナは優秀だなあ」

「頭撫でようとするのやめてくれますか、兄さん」


頭を撫でようとした手を、それが触れる前にルナにブロックされる。

いつもはこのままルナを構い始めるんだけど今日はそんな余裕もないくらい忙しいので省略だ。

それから部屋から出ていく前に、ルナがリリアーナさんに顔を向ける。


「リリアーナさん、夕食はどうしますか?」

「そうですね。今日もなにか簡単に食べられるものを持ってきてもらってもいいですか?」

「ええ、わかりました」


丁度夕食時、ルナが何か持ってくるかと聞くのも毎月恒例のことである。

本当にルナは優秀である。


「一応聞きますけど、兄さんはどうしますか」

「俺にも彼女と同じものを」

「なんでちょっと気取った感じに言ったんですか」

「そっちの方が格好いいかと思って」

「逆に間抜けですね」

「そっかぁ……」


これはモテないか。


「では、失礼します。リリアーナさん、兄さんがサボらないようによろしくお願いします」

「ええ、クラマスがサボらないようにちゃんと見張っておきますね」

「二人とも仲が良くて俺は嬉しいよ」


これで俺にも優しかったらもっと嬉しいんだけどね。

まあ本当は二人とも心の中では俺に優しいのを知ってるけどね!

…………、仕事しよ。




そのまま夕食も執務室で済ませて仕事を続ける。

ちなみに片手でそのまま食べられるようにパンに厚切り肉ベーコンと野菜とソースを挟んだ肉野菜サンドはとても美味でした。


ぺったんぺったん。

書類を確認して、魔法判を押していく。

ぺったんぺったん。

判子を押した書類は右から左へ。

ぺったんぺったん。

流れ作業のように見えるけど、これでも結構疲れるのだ。


「「ふう……」」


途中で一息つくと、丁度そのタイミングがリリアーナさんと重なった。


「「ふふっ」」


なんだかそれがおかしくて、また二人で笑いが重なる。

そろそろ夜も深くなって七つ目の鐘が鳴る頃。

いつもなら流石にもう仕事は終えている時間帯だ。

その時間にまだ仕事をしていれば、疲れも溜まるというもの。


「丁度いいタイミングてすし、いつものアレいっときます?」

「そうですね。じゃあ、お願いします」


ということでリリアーナさんに頼まれたので、俺は片手を上げる。


「 【リフレッシュ】 。あと、【集中】 」


指をパチンと鳴らしてそう唱えると、脳の疲れがすっと和らいで雑念が消えるのがわかった。


「ありがとうございます、クラマス」

「どういたしまして、リリアーナさん」


これはとても便利なのでいろんな時に活躍する呪言だ。

この呪言って能力、言葉がトリガーだけあって脳には特に効きやすいのよね。

ちなみにこの指を鳴らすのも、その音で意識を集めて言葉が効きやすくなるって効果があったりする。


ただ実際に疲労が無くなるわけではないので、多用するのは危ない術でもあるんだけど。

具体的に言うと、これを使って三日三晩不眠不休とかやったりすると、疲労は無視できても肉体と脳の限界が来た時に倒れる。

というか倒れた。


なのであまり乱用はしないようにしている術でもあるんだけど、月に一回くらいは経験則的に問題はない。

ちゃんと寝て、そのまま再使用せずに数日過ごせばあとは問題ないくらいの疲労かな。


ちなみに、ユリウスたちは素で三日三晩不眠不休で戦闘を続けられたりするので、もはや人間というカテゴリーの外にいるなにかである。

高位冒険者って怖い。俺はそう思った。


ともあれ、

「それじゃあ残りもがんばりますか」

「はい」


と二人で頷いて、それからは共に無言で自分の書類を処理し続けた。




「んー、終わったー」

「お疲れ様でした、クラマス」


やっと仕事が終わって腕をぐっと伸ばしていると、リリアーナさんも眼鏡を外して自分の肩を揉んでいた。


「リリアーナさんもお疲れさまでした。肩でもお揉みしましょうか」

「クラマスも疲れてるでしょうし、大丈夫ですよ」


そっかぁ。

俺はリリアーナさんの肩を揉めるならどれだけ疲れていようが関係ないけれど、半分は下心なので断られたら素直に従っておく。

無理やりやったらそれはセクハラだからなぁ……。


「それじゃあ寮に帰りましょうか」

「そうですね」


ということで後片付けも最小限に、部屋から出る準備を済ませて席を立つ。

そのまま扉の前で頭を並べて一回お辞儀。


「今月もお疲れ様でした、リリアーナさん」

「クラマスも、お疲れ様でした」

「来月もよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


なんて、毎月やっているお約束を済ませて二人で部屋を出る。

そのまま鍵を閉めて、やっぱり並んで寮に戻った。





















「ユーリさん」

「リリアーナさん」


それから部屋に戻って風呂に入り、着替えるともうちょっとしたら日付が変わる頃合い。

ちょっと喉が渇いたので食堂へ行くと、リリアーナさんに偶然ばったり会ってしまった。


寝巻き姿だ。

いつもは上げている長い黒髪も下ろしてる。

激レア状態だ。

知的な眼鏡は健在だけど。


いつもは見ることのないリリアーナさんの寝る前の姿は、今日の疲れが吹き飛ぶくらい素敵な姿だった。

こんな時間に偶然に会うと運命を感じてしまう。


「こんな時間に偶然会うと運命を感じちゃいますね」

「ふふっ。これが運命なら、ユーリさんはどうしますか?」

「そうですね、ダンスでも踊りましょうか」

「私は踊れますけど、ユーリさんは踊れますか?」


「……、ごめんなさい」

「次までに練習しておいてくださいね」

「はぁい」


せっかくの機会を逃してしまった。

痛恨のミスである。

まあ本当に踊る流れでも無かったけど。


「ユーリさん、ミルク飲みますか?」

「ええ、リリアーナさんが注いでくれるなら、ぜひ」

「なにか言い方が怪しいんですが」

「気の所為ですよ?」


なんてちょっとしたすれ違いはあったけれど、リリアーナさんが用意してくれたコップに口をつける。

ふう……。

なんだか気分が落ち着いたような、気がする。


「これでいい感じに寝られそうです」

「やっぱり落ち着きますね。今日はゆっくり休めるならありがたいです」

「リリアーナさんが男なら、部屋で熟睡させてあげられたんですけど」


俺が指を鳴らせば、本当に死んだようにぐっすりと寝ることができるのだ。

しかし残念ながら、俺は女子寮には入れない。


「ユーリさんが女性になってくれてもいいんですよ」

「それなら頑張ればどうにかなるかもしれませんね」


まあ今のところそのつもりはないけど。


「ユーリさんが本当に女性になったらやっぱり困るので、そのままでいてください」

「女子寮に住んじゃ駄目ですか?」

「恥ずかしいのでだめです」


恥ずかしいならしょうがないか。

まあ俺もリリアーナさんの隣の部屋とかで暮らしたら、ドキドキしすぎて眠れないかもしれないけど。


「それじゃあリリアーナさん、おやすみなさい」


二人分のコップを片付けて、そのまま互いの部屋に戻る。


「ユーリさんも、おやすみなさい」

「二度目になりますけど、今月もお疲れ様でした」

「お疲れ様でした」


これで本当に、ゆっくりできる。

また一ヶ月後には大変なことになるんだけど。

リリアーナさんと一緒ならそれも悪くない。

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