022.残業とマッサージとキス
コンコン。
執務室をノックすると、中から声が返ってきた。
「どなたですか?」
「俺ですー」
ガチャっと開けて不審者じゃないアピールをしながら部屋に入る。
まあクランハウスの最上階に不審者が出ることなんてないんだけど、時間が時間だから念を入れてね。
「なんだ、クラマスですか」
「俺ですいません」
「いえ、そういう意味ではなかったんですけど」
「知ってます。ちょっとした意地悪です」
「もう、怒りますよ」
「ごめんなさい」
外はすっかり暗くなっていて、丁度外でゴーンと鐘の音が響いている。
あれが今日最後の七度目の鐘だから、次に鳴るときは日付が変わっている計算だ。
普段ならもう一日の仕事は終えている頃合い。
実際にリリアーナさんも、夕食を食堂で済ませてからもう一度この場所に戻ってきていた。
「それでクラマスはどうしたんですか?」
「偶然リリアーナさんがここに入ってくのが見えたので、なにか手伝うことはあるかなと思って」
「手伝ってくれるんですか?」
「ええ、俺にできることがあれば」
最近いろいろあって仕事に手を付けられないこともあったしそのお詫びもかねて。
「じゃあ書類整理をお願いできますか」
「はい、お願いされました」
ということで今は自分の机ではなく、リリアーナさんの机の近くの書類棚に向かって作業をする。
書類は業務報告書、素材売却の領収書、逆に報酬の支払い証などなど。
それを種類ごとに分けて、リリアーナさんが数字をまとめてから元の書類はファイルにして保管する。
紙を重ねたファイルは案外重いから、丁度役に立ってる感が出るのは良いところだ。
まあその前に分類しなきゃなんだけど。
「ルナはもうすぐ昇格出来そうですね」
「そうですね。実績を見ても年内には上がれるかと」
ルナが他のクランメンバーたちとこなした報告書を確認する。
冒険者ギルドからの依頼をこなした回数も、その難易度もそろそろランク5には収まらない実績になってきている。
うちのクランの中じゃ相対的にランクは下の方だけど最年少の14歳ってことを考えれば驚きの昇格速度だ。
ついでに言えばうちのクランは全体的に若く、その上でランクの高いメンバーが揃っているので、その枠を外して冒険者全体で見れば天才と言っても過言じゃない。
俺にとっては14歳のただの女の子なんだけどね。
「クラマスとしては心配ですか?」
「まあ心配なのは誰に対しても一緒ですけど。心配してもしょうがないのも一緒だから気にしないですかね」
「そうですか」
頷きながらも眼鏡の奥の目元は笑っているリリアーナさん。
絶対過保護なお兄ちゃんだと思われてる。
そんなことより俺はクラン内序列最下位が見えてきてる方が気になるんだけど。
「やっぱり新人を」
「獲りませんよ。というかソフィーさんがいるじゃないですか」
「それはそうなんですけど」
でもかわいい女の子は何人いてもいいですからね。
「というかルナが昇格するとソフィーがうちのメンバーとパーティー組むのがまた遠くなりますねえ」
「そうですね。ソフィーさんも実力的には順調なようですけど」
ソフィーの報告書を見る限り、冒険者としての振る舞いや仲間との連携も今のランクでは問題なさそうだし、年内にはランク3に上がれるだろう。
ランク4も実力的に見えてはいるけど、そこから先はもうちょっと時間がかかるかもしれないって感じか。
「そういう意味では新規を取るのも悪くはないかもしれませんが」
「でもぶっちゃけ最初から実績ある新規取った方が楽なんですよね」
うちは仮にも高ランク冒険者の集まるクランなので、そういう人材を募集すればランク5以上の人間も普通に集まる。
自慢じゃないけど支援が厚いからね、うちは。
じゃあなんでソフィーを勧誘したのかって言われると……、こう……ノリと流れで……。
「まあそっちの対応はまた今度考えるとして……」
「放り投げましたね」
一応考えてはあるのだ。
また怒られそうだから言わないけど。
「バーバラも順調そうですね」
「魔物の強さが変わらないみたいなので、そろそろ底が見えるかもしれませんね」
バーバラたちダンジョン攻略組のパーティーの報告書を見ると、かなり前から出現する魔物がランク5で止まっているのがわかる。
それ以上強い魔物が出てこないというならそろそろ打ち止めで、最奥にたどり着いてもおかしくない。
ちなみにダンジョンの一番奥には特別に強い魔物がいたり、なにか財宝があったりといったケースが多い。
もちろん何もないこともあるんだけど、今回はその可能性は低いかな。
「この調子だと稼ぎはそこそこですかね」
「そうですね。ギルドからの依頼料と魔物の素材の売却益、あと中で拾った魔道具などもありますから」
ガッツリ大儲けとは言わないが、期間に対する稼ぎは十分か。
まあ一番奥に何が眠ってるかでまた変わるけど。
そんな話をしながら他の書類も片付けていく。
「ジェイソンさんが武器を壊したそうで、新しい武器の請求書が届いてますね」
「この前彼女ができたって言ってたんで頑張りすぎたんでしょうねー」
「そういう話ではないと思いますけど……」
「こっちはコルセアさんの矢の購入代金ですね」
「あいつは色んな矢買って試し打ちするのが半分趣味みたいなところありますからねー」
「まあ買われた分だけ店側も利益が上がるのでありがたい話ですが」
「ツィーさんからクラマスと一緒に仕事をしたいって要望が来てますよ」
「却下しておいてください」
「ついでに一緒に訓練したいって要望も来てますけど」
「却下しておいてください」
「ふーっ」
リリアーナさんが息を吐いてから眼鏡を机に置いて、眉間のあたりを手でほぐす。
お疲れモードみたいだ。
普段の眼鏡のリリアーナさんも素敵だけど、こうやってたまに裸眼で見せてくれるのも素晴らしい。
「肩でも揉みましょうか」
そんな俺の問いに、リリアーナさんは少し考えてから答える。
「それじゃあお願いします」
「任せてください」
座ったままのリリアーナさんの後ろに立と、黒髪の流れの根元につむじが見えてちょっと得した気分。
そして彼女の肩に手を乗せてコリをほぐすように指を動かす。
流石にちょっと、緊張する。
手がすべらないように気をつけないと。
「痛くないですか?」
「そんなに優しくしなくても、もっと強くしていいですよ」
「それじゃあもう少しだけ」
親指に力を込めて、ぎゅっと押し込む。
「結構凝ってますねー」
「デスクワークが多いとやっぱり肩は凝りますね」
リリアーナさんの場合は地味に胸が重いから、って理由もありそうだなんて思ったのは秘密。
もみもみ。
「ユーリさんは指大丈夫ですか?」
「これくらいなら余裕ですよ」
一応これでも冒険者なりの力はあるので、これくらいで指が痛くなったりはしない。
まあ日頃の感謝の気持を込めて、疲れたとしても止めないけど。
「少しずつ肩が温かくなってきましたよ」
「なんだかちょっと恥ずかしいですね」
「マッサージの結果ですから」
卑猥は全くない。
「このまま肩があったかくなって、そのまま全身がぽかぽかしてきますよ。肩も少しずつコリがとれて、柔らかく、軽くなってきます。このまま揉みほぐされていくのが気持ちよくなってきます」
「んっ……、ほどほどにしてくださいね……」
「わかってますよー」
やり過ぎると怒られるからほどほどに、肩をほぐすようにマッサージを続ける。
「んー、だいぶ肩が軽くなってきた気がします」
「それならよかったです」
言いながらもマッサージを続けると、リリアーナさんがなにかに気付いたように机に視線を落とした。
「クラマス、この書類ですが」
「なんでしょう」
リリアーナさんが持ち上げて、裸眼でも見える距離まで目の前に寄せてから確認した紙を、俺も後ろから覗き込む。
当然顔がすぐ横に並ぶような位置関係になって、とても近い。
つい意識してリリアーナさんの顔を見てしまうと、その彼女と視線が至近距離で重なった。
「今、ユーリさんがなにを考えてるか当てましょうか」
「もし当てられたら恥ずかしいので、秘密にしておいてください」
「わかりました、心の中にしまっておきますね」
楽しそうに笑うリリアーナさんにはもうこの時点でバレてるようなもんだけど、本人がスルーしてくれるからその優しさに甘えよう。
そんなことを思っていると、執務室のドアがガチャっと開かれた。
「失礼しまー、…………したー」
そのまま閉じられるドア。
リリアーナさんの机は入り口の正面で、俺たちの前には書類があって顔が隠れている。
「ふぅー……」
外からどう見えるかもわかるし、状況的にどう勘違いされたのかもわかる。
あと具体的に誰が入ってきたのかも声でわかった。
「俺からあとで厳しく言っておきます」
「お願いします」
あいつは説教だな。マジで。
そもそも、ノックをしろと。
まあそんな話はともかく、
「肩が無くなったみたいに軽いです」
「ほんとになくなったら困りますけどね」
軽く首を回したあと、綺麗な姿勢で伸びをしたリリアーナさんの言葉に俺も笑う。
喜んでもらえたようなら良かった。
「また言ってもらえればいつでもお揉みしますよ」
「ならまた肩が凝ったらお願いしますね」
「はい」
そして残った書類を全部片付けると、丁度日付が変わると同時に一つ目の鐘が鳴る。
ゴーン、と夜の空気に鐘の音はよく響いた。
「それじゃあ寮に戻りましょうか」
「はい」
ドアを出て二人で執務室の鍵を取り出す。
当然鍵を閉めるのはひとりでいいので、俺とリリアーナさんは互いの顔を見て笑い合う。
「それじゃあお願いします」
「ええ、わかりました」
結局閉めるのはリリアーナさんに任せて、戸締まりを確認してから俺たちは寮に戻った。
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