026.ルナと部屋と酒

コンコン、と部屋のドアがノックされる。

それは部屋の中までしっかりと聞こえる大きさで、だけど乱暴ではなくどこかキッチリとしたものを感じられた。


「どうぞー」


椅子に座ったまま部屋の外に向けて声をかける。

わざわざ俺の部屋を訪ねる人間はさほど多くない。

同じ寮に暮らしているからといって部屋に戻ってから仕事の話を積極的にしたいわけではないし、そもそも俺の確認が必要な事態はそう多くはないのだ。


そういう話は大抵リリアーナさんの方へいく。

まあ残業自体は存在しない方がいいんだけど、そうもいっていられないケースもあるので。

そして仕事以外の用事でこの部屋に来る人間といわれれば、それもやはり多くはない。


別にみんなに嫌われてるとかそういうわけじゃないんだけどね。

むしろ俺はクラメン全員と仲良しだと思ってるし!

…………、上の立場の人間がいうと胡散臭くてだめだな。


そんな中で俺の部屋の扉をノックするランキング圧倒的一位の相手だと、そのノックの仕方だけで誰だかわかったりするのだ。

そして予想の通り、開いたドアからはルナの姿が見えた。


「またお酒を飲んでいるんですか」

「またとか言うな」


別に俺はいつも酒を飲んでいるわけじゃないし、そもそもすぐに酔うから大酒飲みというわけでもないのだ。

あと純粋に味を楽しんでいるのでアルコール依存症みたいに言われるのは心外である。


「でも飲んでるんですよね」

「俺の中で酒を飲むのは甘いものを食べるのと似たようなもんだから」


嗜好品の一つなので怒られるようなものでもない。


「そういって外でも飲んでいるみたいですが」

「それはそれ、これはこれよ」


安いビールで友人と楽しく酔いたい時もあるのだ。


「とりあえずルナも飲むか?」

「いりません」

「そっか」


と言いつつ座ったルナの前にもグラスを置いて酒を注ぐ。

琥珀色の林檎酒をグラスに半分ほど注いで、ついでに俺の方にも追加しておく。


別に強要するわけじゃないし、そもそもルナは本当に飲みたくなかったら俺がどうやっても飲まないけど、それでもこうして注げばいつの間にかグラスが乾いていることを経験則から知っている。

俺の名誉のためにアルハラでないことだけは承知しておいてほしい。


ルナは寝間着に髪をまとめて縛っていて、首筋からすらりと落ちる後ろ髪はまさしく馬の尻尾のよう。

もしくは上等な絵筆の先のようで、あれで肌を撫でたらくすぐったそうだ。


「それで、今日はどうした?」


別に小言を言いに来たわけでもなかろうし。


「小言を言いに来ました」


なんで!?


「そもそも兄さんはクランマスターとしての自覚があるんですか」

「どうした急に」

「バーバラさんのことです」

「あー」


魔道具で手が離せなくなったことは不可抗力とはいえ、そもそもルナとバーバラの初対面がこの部屋で同衾したあとだったので言い訳できない。


「兄さんは風紀を守らせる側の人間なんですよ」

「はい、それは、はい」


ルールを守らせる側がルールを破ってるとか擁護のしようもない。

こりゃ風呂も一緒に入ったことを知られたら余計に面倒なことになるなと思い、ポーカーフェースを一枚顔に貼っておく。


まあ同衾も混浴も厳密に規則違反という訳ではないんだけど、クランマスターとして模範的な行動でないのは間違いないしな。

それに俺だって、逆の立場ならクラン内でいちゃついてるメンバーの姿なんてみたくないし。


いや、別にいちゃつくくらいなら許せなくもないけど、エロいことしてたらうらやま死刑にする自身がある。

バカップルとか許せんよなァ!

なんて話はともかく。


「つってもルナもいま俺の部屋に来ているわけだが」

「私は兄さんの妹だからいいんですっ」


あっ、酒飲んだ。

ぐいっと目の前のグラスを逆さにしたルナは、そのままその中身を空にする。

ちなみに、この国には飲酒の年齢制限はないので安心してほしい。

当然飲みすぎは身体に良くないんだけど。


とりあえず追加で注いどこう。

コトッ。(ルナがグラスを机に置く音)

トクトクトク。(俺が酒を注ぐ音)

コトッ。(以下略)

トクトクトク。(以下)

コトッ。()

ペース早くなーい?


そう、ルナは俺の妹なのに(実際には血がつながっていないので"なのに"という接続詞は適切ではないかもしれないが)酒が強いのだ。

世の中って不公平。


「そもそも兄さんは……」

「あーはいはい」


長くなりそうなので俺は棚からブラシを取り出してルナの後ろに回る。

相変わらず、サラサラで美しい銀髪だ。

同重量の黄金よりも高く売れそう。


その髪にブラシを通すと、まるでそうする必要もないかのように抵抗なくあいだをすり抜けていく。

本当に引っ掛かりのひとつもない上質な髪である。

歳を取るごとに機会は減っていったけど、昔はよくこうやってルナの髪を手入れしていたっけ。


「ん」

「はいはい」


再び空になったグラスにルナの後ろから中身を注ぐ。

俺ならもう二日酔い確定で死んでるペースだ。


「聞いてるんですか、兄さん」

「うんうん聞いてる聞いてる。だからこっち睨むのはやめような」


そんな怖い目をするとせっかく綺麗な顔が台無しである。

まあこれはこれで別方向に需要があるかもしれないけど。

少なくとも俺需要はないので、振り返ったルナの頭をまっすぐに戻してから、険のある眼に両手で目隠しをした。


「だーれだ」

「知らない声ですね、不審者でしょうか」


ひどっ。


「まあ時折不審者であることは否定できないけど」

「不審者というよりは不心得者という方が適確かもしれませんが」

「誰が邪念に満ちてるって?」

「いつもモテたいって言ってる人です」


モテたいって気持ちは邪念じゃないよ。むしろ真っ直ぐな気持ちだよ。

まあお付き合いしたその先に別の欲が待っていることは否定しませんがねえ!


「というかいつまで、これをしているんですか」


これとは俺の目隠ししている両手のこと。


「ルナの怒りが無くなるまで」

「別に怒ってないですよ」


本当かなー?

チラッ。

ギロッ。

パタッ。


目隠しを片手だけ外し、そこを覗き込んで再び蓋をした。

ルナの瞳が鋭く輝いていたから。


「やっぱり怒ってるじゃん!」

「怒ってないですよ」


あの目つきで言われても説得力がないよ。


「昔のルナは素直だったのに」

「私は昔から変わりませんが」

「そうだね。よく考えたら昔も全然素直じゃなかったわ」


なんなら昔の方が尖ってたまである。

視線も昔の方が冷たかったし。


まあそんなところまで含めて、ルナはかわいいんだけど。


「ルナはバーバラのこと嫌いか?」

「別に嫌いではありませんよ」

「そっか」


なんて聞くと、まるで交際を家族に反対されるか探りを入れているような文脈に見えるけど、別にそんな意図はない。


「実際にお付き合いするなら私もあまり文句は言いませんけど」


実際にはユリウスたちのようにクラン内で恋人同士になっているメンバーもいる。

なので風紀を乱すようなことをしなければ文句を言われることもない。

具体的には同衾とか、混浴とかそういうのはアウトだけど。


「兄さんは、あの人とお付き合いするんですか」


その言葉は客観的に見れば当然の疑問で。

だけれど主観的に見れば瞭然の答え。


「付き合わないよ」


言いながら目隠しを外して、再びルナの髪にブラシを流す。


「そんなんですか?」

「そうなんです。それにあっちもそのつもりはないしな」


これは俺とバーバラの共通認識。


「そもそもずっと前にフラレた側だしな」

「まあフる側かフラれる側がなら兄さんはフラれる方でしょうけど」

「ひどくない!?」


いや、事実だけどさ!




「それじゃあ兄さんがモテないことを再確認できたので帰りますね」

「なんか今日のルナからはトゲを感じるんだが」

「気のせいです」

「そっか、ならよかった」


「いつも通りですから」

「そこはトゲがあるのが気のせいであって欲しかったなあ!」


なんてしょうもないやり取りも、今の俺とルナのあいだには必要だったんだろう。

ルナにとって俺は”兄さん”だから。


「おやすみ、ルナ」


あれだけ俺の部屋の酒を飲んでいたのに、少し顔が赤くなっている程度で全く酔った気配を見せないルナをドアの前で見送る。


「おやすみなさい、兄さん」


そんな聞きなれた挨拶とともに、ルナは少しだけ微笑んだ。






翌日。


「クラマス、緊急事態です」


執務室に入ってきたリリアーナさんが真剣な顔でそう告げる。

いつも真面目な彼女だが、ここまで真剣な表情をしているのは案外珍しい。

それだけ、重大な事態ということだろう。


「なにがあったの?」

「ダンジョンに、ドラゴンが現れました」


!?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る