五十四話 厄災
鉄柵の扉が開くと、暗翔の身体を乱雑に外へと投げ出した。続けて、紅舞も強引に出されてしまう。
誰かと思い、見やると全身に黒コートを纏った人影。【レグルス女学院】理事長である。
暗翔に狙いを定めるよう、理事長の片手が上がった。握り締めていたのは、ただの拳銃。躊躇うことなく、引き金に手を掛けると、指を引く。
五度の発砲音が、耳をつんざく。なにが起きたのか分かっていない様子の暗翔の首が、ぐらりと力なく横たわる。
「う、嘘……え、く、暗翔……ッ」
紅舞の顔色が、青ざめたものへと染められる。どろっとした赤液体が、彼女の足元に張り付く。うぇっ、と嗚咽すると、濃厚な鉄分の臭いがさらに顔色を悪くさせていた。
「これで
宝石を握り締めた理事長。だがしかし、次の瞬間。その場に片膝を付き、腹部を押さえた。治癒を終えた暗翔の蹴りが直撃。ステップを踏み、距離を取る。
「馬鹿な……頭に弾丸を五発も入れたんだヨ!?」
「その程度じゃ死ねないな……って言いたいところだが、もう一発喰らってたらやばかったぞ」
唇に笑みを刻んだ暗翔が、手首を鳴らした。
「ッ……ならもう一度銃弾をあげるサッ」
「そうは行きませんことッ!」
理事長が向けた銃口先には、既に暗翔の姿が消えていた。割入った夜雪の
理事長は激怒したかのように数発地面に射撃すると、リロードを行った。
夜雪に連れられ、サクト含む工作員が後方から到着。数人に囲まれた理事長は、怒りを露わにしたのか、大きく舌打ちをした。
「ッ……いいヨ。それじゃあ、この少女を殺せばサ」
紅舞が持ち上げられると、拳銃を額に向けられた。抵抗しようと炎を手元に宿すも、理事長の脅しに怯えたのか、灼熱が消えてしまう。
「やめたほうが身のためサ。例えボクが倒されたとしても、その前に引き金ぐらいは引けるヨ」
唇を噛んだ紅舞が、憎むように理事長を見上げた。真っ赤に染まった髪の毛が、項垂れている。
「く、くら……と。助けて……ッ」
その間に、錠を外してもらった暗翔。
理事長に促され、一同は武器を地面に置いた。暗翔が指名されると、前に出ろと指示される。
隣のサクトが、涼しげな顔で口を開く。
「一ノ瀬紅舞か。彼女は殺害対象だよ? 無視して理事長諸共殺すのが正しい選択だと思うんだけどね」
「紅舞さんが殺害対象でして……? 許せませんわ、そんなこと。兄様ッ、わたくしがっ」
「これは俺に与えられた命令だ。夜雪は下がってくれ」
「……暗翔ッ」
五秒あれば、恐らく理事長を殺害できるだろう。だが、その前に紅舞が犠牲になってしまう。猶予はない。
サクトの言う通り、このまま紅舞を見捨てるのはどうなのだろうか。理事長を殺し、紅舞も死亡。組織的には、まさしく理想の展開。
暗翔が片足を僅かに後ろへ下げる。銃弾を貰った反動で、くらくらと脳裏が脳震盪を起こしているかのよう。
組織が望むように――否。それでは、ダメなのだと、全身が。心が訴えかけている。組織は暗翔の人生であり、居場所であり、絶対的な存在。
その前提が、紅舞と出会ってから崩れつつあった。
暗翔は、一歩前に出る。ニッ、と理事長が不気味なほどに笑みを浮かべると、拳銃がこちらに突き付けられる。避けようと思えば、不可能ではない。しかし、暗翔はその場を動かなかった。
六度の衝撃が、全身を襲う。
紅舞や夜雪と過ごした日常は、幸せだった。やっとの思いで叶った仮初めの日々が、手から滑り落ちるよう砂のように、こぼれ落ちていった。
暗翔の身体が地面に倒れ込む。一瞬の間が場を支配。次いで、狂ったように笑う声が、沈黙を破り捨てた。
「ははっ……やっと、やっと殺したァ! これで初代【ヴラーク】の
「やだ……くら、と? ねぇ、ねぇ……暗翔ってば!?」
「兄様っ……嘘って言って下さいッ」
「っ……これは予想外だね」
「その
理事長が、事切れた死体に向かって石ころを投げる。かたっ、と乾いた物音。
次の瞬間――暗翔の身体が、漂白したかのように、真っ白に染まっていく。
壊れた操り人形のごとく、ぶるぶると全身が震える。突如として、背中に二本の翼が生えてしまう。頭にはツノが二つが、鋭く伸びた。
誰もが言葉を失い、立ち尽くす中、暗翔の姿をした何者かが両足を地面に着けた。顔面まで白色が広がり、生きている人間とは別次元のなにかとしか言いようがない。
圧倒的な威圧感とも呼べようプレッシャーが、全員の身体を締め付けあげていた。
「久々に小僧の身体から出られたと思ったら……ふん。我の復活を祝っている、という訳ではなかろうな」
ギョッと周囲を見渡した何者かは、つまらなそうに呟き捨てた。すると、目を剥き出した理事長が、彼を指差した。
「ぼ、ボクの
「目障りだな。『第ニ章』の開幕だ――失せろ、人間」
瞬間、暗翔の姿をした何者かの背後に、四つの書籍が具現化する。それぞれが自在に宙を浮かぶ中、一冊の本がぱらぱらと捲られていく。
火花を散らしながら、轟々の雷撃を
「……は? え、ぁ……がぁっ、ダァァァッ」
穂先が摩擦を帯びながら、グングニルの通った筋を雷光が駆け抜ける。目標の胸元を貫いた槍が、秘めていた質量を爆発。雷撃が、辺りの壁に駆け走る。轟音を鳴らし終えると、肉の焼けた生臭さが充満。
グングニルを身体で受け止めた理事長の身体は粉々に粉砕され、塵の山がその場に盛り上がっていた。
「『第一章』の開幕だ。貴様らに用はない。小僧の身体もろとも貰うぞ」
二冊目の書籍が捲られたと思いきや、長身の火縄銃が片手に収まった。天井に向けて発泡した矢先。姿そのものが壁の中に溶けてしまい、消えてしまう。
「……あ、あれって暗翔……じゃないわよ、ね」
「えぇ。恐らくですが……」
夜雪が口元を滞らせる。代わりに、サクトが言葉を述べた。
「あれは初代【ヴラーク】さ。紛れもない、最悪と謳われた厄災だよ」
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