三十九話 新たな幕引き

「これは芝居かなにかか?」


 ただ、一瞬だった。一秒にも満たない。

 暗翔の輪郭がぼやけたと思った矢先、前方の二人が首から血液を噴出し、崩れ落ちる。後方からも三人の倒れ込む音が床に重く響いた。

 気付かなかったが、暗翔の片手には短剣が収まっているではないか。刃先はインクを塗ったかのような朱色の液が垂れている。

 眉根を顰める臭いが鼻腔びこうに吸い付く。


「……手荒だネ。妹の命が惜しいんじゃないのかナ」


「手荒だと? お前の方だろうが。部屋に入った時、針状の暗器を放っただろう? そもそもの話、夜雪を殺そうとしていたんだよな?」


 本来なら夜雪一人のはずだからな、と暗翔が手のひらを開く。透明で小指にも満たないサイズの針が、置かれている。

 夜雪が目を見開く。もしも暗翔が居なければ、今頃自分は既にこの世には存在しないということ。理事長は、この一件を歯切りに夜雪を見捨てようとした証拠。


「仕事が遅すぎたからサ。上の方からも言われてネ」


「だが、お前のミスは俺と夜雪が深い仲にあったことが一つ。そして、俺を舐め過ぎていたことが最大の要因だ」


「果たしてミスとはなんだイ? 人質はこちらの手の中だヨ」


「聞いてたか? 舐め過ぎって言ったんだぞ。そんな基本的なことに対して抜かりはない」


 暗翔が理事長の机に歩み寄る。途中、倒れ込んだ一人を容赦なく踏むと、呻き声が上がった。どうやら、殺害まではしてないらしい。

 足を振り上げた暗翔は、理事長の机に向かって下ろす。強烈な破裂音とともに、机は真っ二つに折れてしまう。木々の破片が、炎色の絨毯に散った。


「兄様素敵ですわっ」


「……」


「【レグルス女学院】と【アルカディア魔学園】の両校でランク戦を行う。その学校の全生徒が所有する全てのランクポイントを賭けてな?」

 

「乗るとでも思うかイ?」


「あぁ。追加条件で、敗者側の学校は勝者側の学校に合併されなければならないとする」


「それがどうしたんだイ」


「まだ分からないのか? この人工島の学校はその国ごとによって運営されているよな。つまり、負けた側の生徒は勝った学校の規則に縛られるということだ。俺や夜雪の存在を規則で拘束し、余罪をいくらでも付けさせることが可能だろう? 権力で俺たちを殺すことだって、容易だ」


「……確かに、夜雪のような裏切り者は法的に処分できるネ。さらに言えば、黒城暗翔もこの五人に危害を加えたという理由デ。しかし、君達が勝てば逆にボクの身が危なくなるよネ」


 理事長が、首をしゃくった。


「残念ながら拒否権はないでしてよ? ね、兄様っ」


「その通りだ、夜雪。お前自身の立場を客観的に捉えて見れば分かるんじゃないか? 暗殺は失敗に終わり、夜雪は寝返ってしまった。大事な手下は戦闘不能。上層部がこれらの失敗を見逃してくれると思うか?」


「関係ないと言ったらどうするのサ」


 暗翔は理事長に背中を向け、倒れている男の一人に近寄る。すると、短剣をうなじに突き刺した。


「ァァっっあぐ……ッ」


「静脈は外してある。安心しろ。あぁ、さっきの返事だが……【レグルス女学院】の生徒を一人ずつ殺していくだけだ。それも、このように痛めつけながらな? そして、理事長、お前が犯人であるという明確な証拠も偽造しよう。残忍な殺害に加えて証拠も出たとなると、その地位が崩れるのも時間の問題だよな?」


「……図に載るなヨッ」


 理事長が長針を放とうと手首を動かしたと同時に、暗翔が顎を蹴り飛ばした。後ろ足でよろけながら、タタラを踏んだ理事長だったが、壁が支えとなり倒れ込むことはなかった。音が聞こえるようなわざとらしい舌打ちが、理事長の口元から漏れた。

 手首が動く。振り絞って放ったであろう暗器。しかし、あまりにも遅い上に予備動作があった。夜雪が前に踏み込むと、刀の面で受け止める。

 ポケットに手を入れた暗翔は、不遜な態度のまま笑みをこぼす。


「勘違いするなよ? これは提案じゃない、命令だ。元々お前に選択肢なんて存在しないんだよ。日程は……そうだな、余裕を取ることにしよう。二ヶ月後だ」


「……ククッ、覚悟しておくが良いサ。ただで死ねると思わないことだネ。特に、女性である夜雪の方が、サ」


 不快げに夜雪が眉根を顰める。


「気持ち悪い。ねぇ、兄様。やっぱり今ここで殺した方が良いんじゃないでして?」


「そしたら妹さんの居場所が分からないだろう?」

 

 そうだった、と夜雪が舌を出す。


「仕方ないですこと」


「『第三章』の開幕だ――あぁ、始めようか。仕事暗殺を」


 次の瞬間。暗翔を中心として、四つの書が無重力に浮かび上がる。意思を持ったかのように、一冊のページが高速で捲られていく。

 足下に力を注がなければ吹き飛ばされる突風が、辺りに散り荒れる。夜雪は、後ろ髪が引っ張られるような感覚に襲われた。呼吸ができない。口を開くことが、圧倒的な風力によって押さえ付けられている。

 部屋の中にあった書籍や本棚は、もはや原型を取り留めることなく塵となり。

 やがて、暗翔の手元には一振りの杖が顕現されていた。闇を湛えたかのような、深々 とした暗闇の宝石が、杖の先端部分に付けられている。


「またな、理事長。次会う時は、喪服じゃなくて礼服で来いよ? 俺と夜雪の結婚祝いを祝福してな」


「いやん、兄様大好き。子供は十人……いいえ、二十人欲しいでしてよ」


「いや、俺の気力が持たんぞ……夜雪よ」


 杖が床に打ち鳴らされた瞬間、部屋の壁が豪快な音を立てて破裂する。暗翔と夜雪の二人は、手を取り合うと、そのまま姿が消失した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る