三十八話 内なる思考
夜雪視点
「【レグルス女学院】って、名前負けだよな。外観からして怪しい新興宗教にしか見えないぞ」
「元々は女学院ですわよ、兄様。乙女の花園には秘密も多いのでして」
二人の談笑は、空虚な廊下に響き渡っていく。ギラギラと嫌味かと思うほど笑顔な朝日に、夜雪は目元を細めていた。
【レグルス女学院】――純白色に染められた内装は、神殿の内部ではないかと錯覚してしまう。
今も紅舞は、自宅で夢の世界に浸っているだろう。
普段から薬の調剤は行っている。薬剤を暗殺の用途に利用するのは、日常茶飯事。特別調合した睡眠薬をひとたび口に含めば、そう簡単に意識が浮上することもない。
理事長室に辿り着くまでの間、誰とも出会うことはなかった。扉の前で足を止める。
夜雪は、理事長へ暗翔殺害の予定日を事前に教えていた。デバイスでの連絡は痕跡を残すため、直接的な接触を交わす手はずとなっている。
理事長にとって想定外なのは、殺害されたと思った暗殺対象自らが足を運んでいること。
「打ち合わせ通りに行くぞ。交渉は俺に任せろ」
「っ……はい」
咄嗟に、肩が震える。足下のスカートが、ひらりと不安げに揺れた。
――暗翔が考案した作戦。
多少のリスクは承知の上で、計画が成り立っている。無論計画のリスクとは、夜雪の妹に対して。
理事長が提案に乗らない場合、人質の命の保障はどこにもない。
隣に肩を並べている暗翔の視野外に、腕を持って来る。なにかを握るような形を作った。秒針よりも早急な心臓の鼓動が、狂うほどに胸を打つ。
下手なリスクを取るよりも、理事長の命令に従った方が良いのではないだろうか。
夜雪は、大きく深呼吸をする。息を細め、刀を顕現しようとした矢先。頭の上に、軽い衝撃が走った。厚みのある指先が、柔らかに髪の毛を撫でる。
「安心してくれ。夜雪や妹さんは家族だ。全身全霊で二人は俺が守る」
年相応な青年の瞳が、夜雪の心を射抜いた。何千人と殺傷を繰り返している人間とは思えないほどに、澄み切った色が広がっている。
――暗翔を裏切る。
そんな選択肢を持つ自分自身に、嫌気が差した。
路地裏で飢え死ぬ運命に、選択肢を与えてくれたのは誰なのか。一度は殺そうとして来た相手を許し、家族とも認めてくれたのは誰なのか。心に暖かさを植え付けてくれたのは、一体誰なのか。
刀を掴もうとした腕は、自然とドアノブを握り締めていた。
「あら、兄様ったら。プロポーズにしては、まだ早いでしてよ?」
「血縁的には問題ないんだろう?」
くすり、と夜雪が微笑むと、声を上げて暗翔が笑う。頷き合うと、夜雪は指先に力を込めた。
瞬間、暗翔の背中が眼前を占めた。そのせいで、理事長の姿は視認できない。
「荒々しい歓迎だな?」
鼓膜に張り付くような低音が、暗翔から溢れた。隣に移動すると、暗翔は人差し指と中指を掴むポーズをしていた。
眼前から黒服に全身を包み込んだ人間が目に入り込む。目元は帽子に覆われ、不気味な笑みを刻んだ唇がこちらを見上げている。神聖な雰囲気な校舎とは正反対で、存在そのものが異物と言わんばかりだ。
「おヤ? 黒城暗翔か……妹のことは分かっているよネ。どんな風の吹き回しかナ?」
レザー革の椅子に腰掛けている理事長に、動揺の素振りは見えない。
「あなたの指示に付き合わない、ということでしてよ? お分かりになるかしら」
「それなら君の妹には死んでもらうしかないネ。それと――君達二人にもサ」
遮光カーテンなのか、部屋は明かりの一筋すら満ちていない。入り口の扉から漏れる日の光が、かろうじて全体を照らしている。
理事長が手を振り上げると、いつの間にか現れた巨躯な大柄が目の前に二人。出入り口から三人が、夜雪たちを取り囲んでいた。武器は見当たらない。強いて言えば、拳なのだろうか。
出入り口は塞がれている。いくら暗翔でも、手慣れた相手五人を同時に対応するのは不可能では――。
夜雪の一抹の不安は、刹那にして吹き飛ぶ。
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