二十七話 影の計画

「予想よりも行動が遅いんじゃないのかナ?」


 幼い声色にはみつかない、殺意を帯びた瞳が少女らしき人影を捉える。

 今は一体何時なのか。

 黒いカーテンが室内を覆っているため、朝日が回っているのか、あるいは月夜が浮かんでいるのかすら不明。


「それは……」


「言い訳なんていらないんだヨ」

 

「っ……」


 息を飲む音。

 幼い声の主は、カツカツと床を一歩一歩踏みしめながら、少女の眼前まで近寄ると。

 

「タイムリミットは、【アルカディア魔学園】のランク戦が終了する日程まで。それまでに、従わなかったら……分かるよネ?」


 愉快そうに、または有無を言わせぬ態度で、口元に笑みを刻む。

 少女の顎を持ち上げ、新鮮なピンク色の唇に、添うようにして小さな指先を滑らせていく。


「……善処します」


 強張っているのか、少女の両肩は力が入りきった状態。

 

「頑張ってネ~」


 クスクスッ、と意味深な笑いをこぼした人影に、少女は奥歯を噛みしめた。




■□■□




 青い空模様は、どこからか流れてきた灰色の雲たちによって浸食されていく。

 昼の腹ごしらえをカフェで済ませた暗翔と紅舞が向かった先。

 とある店に足を運んだ二人を出迎えたのは、身体に針のような毛が生えた動物たちだった。

 

「これって……猫カフェ?」


 疑問の声を上げる紅舞に、暗翔は無言で歩き寄ってきた猫の背中に手を伸ばす。

 手触りのよさに、つい強く撫でそうになる寸前で、鋭く爪を向けてきた猫に距離を取る。

 暗翔の腕前はお気に召さないようだ。


「あら、猫の一匹も手懐けないなんて。暗翔ってば、不器用な男ね」


「これがヘビとかなら、すぐにでも手懐けられるんだけどな」


「……なんでヘビなのよ」


 仕事柄だから、なんて言えない。

 半分呆れるように呟いた紅舞は、暗翔に倣うようにして優しく猫を抱き上げる。

 にゃー、と可愛げな声を漏らすも、猫の機嫌は良好。

 

「ほら、こんなにも簡単でしょ?」


「確かに、猫が好きなだけはあるな」


 ぽつり、と話す暗翔に、紅舞は小首を傾げる。


「そういえば。ここのチョイスだったり、あたしが猫好きなの知っていたり。一度も暗翔には言っていないわよね?」


「教えてもらってはいないな」


「じゃあ、誰かに聞いてのかしら」


「孤独な紅舞の好みを、他に知っている連中がいると思うか?」


 唐突に、暗翔の太ももに蹴りが飛ぶ。

 間一髪で避け、視線を前に戻すと。 

 攻撃主である紅舞は、ふんっと鼻息を吹かせている。

 ごめん、と暗翔は一言述べてから続けた。


「本当は、以前早朝に出会っただろ? その時に、紅舞が猫と遊んでいるのを目撃してな」


「……そうだったのね」


 理解したように、紅舞は呟く。

 手元の猫を床に逃すと、店内の椅子へと進んだ。

 暗翔は追うようにして、少女の正面に腰を下ろす。

 注文を店員に伝え終えると、軽く笑みを浮かべた。


「なによ、突然に」


「あぁ、いや。紅舞とこうしてのんびり過ごすのも、良いなって思っただけだ」


「ッ……ま、また冗談でしょう?」


 いいや、と瞳は紅舞を捕らえたまま首を横に振る。


「そもそも、誰かと一緒の時間に行動するって行為自体が久しぶりだったからな。今日一日……まだ夕方じゃないけど、心の底から楽しいって思えるぞ」

 

 それだけ言うと、店員が渡してきた飲み物に一口付けて。

 窓から覗く広大な海に、視線ごと動かす。 

 店内を行き交う猫の鳴き声が、まるで遠く聞こえている感覚に陥る。

 沈黙の時間は時計の針にして三周。

 不意に、口からこぼれ落ちたかのように、紅舞が発した。


「ねぇ……この人工島を訪れる前。暗翔はなにをしていたのかしら」


「……前にも言った通り、記憶が――」


 視線はそのままで、暗翔が応えるも、紅舞の言葉は続く。


「違うわよね? だって、のことを覚えているじゃないの」


「紅舞、踏み込んではいけない質問ってことを承知で口にしているのか?」


「だって、おかしいじゃない」


 答えになっていない返し。

 だが、紅舞は気にすることなく、再び問う。


「【ギフト】にだって勝るほどの身体能力を持つ暗翔なら、本来各国からスカウトが来て当然じゃない?」


「……」


「なのに、その様子は以前とない。【ギフト】目的でこの島に来たならば、今滞在している意味もないわ」


 普通の人間ならば、正直な答えを出せるだろうが。

 俺は違う。

 また、ここで適当な嘘を口にしたとしても、後々でボロが出れば余計に不信感を抱かせる。

 否――勘のよい紅舞ならば、即座にカマをかけてくるかもしれない。

 思考を統計した結果、無視を貫くのが最適だと判断。

 再度の沈黙に、紅舞がなにか言おうとしたその瞬間。

 地面が、揺れた。


「なによ……っ」


「地震か……?」


 先程までくつろいでいた猫たちは、海の方向を睨みながら、一斉に警戒の色を示している。

 野生動物の五感ならでは、というところだろうか。

 暗翔はつられて、窓側に目をやる。


「……ッ、あれは」


「【ヴラーク】の襲来ね……タイミングの悪いっ」


 爪を噛む紅舞に、だが暗翔は内心でほっとしていた。

 そういえば、毎度お馴染みの音声が聞こえないような。

 室内だからか?


「暗翔、これをッ」


 紅舞から差し出されたデバイスを受け取ると、画面上に表示された文章が目に入る。

  

「推測レベルは二か……低くて良かった」


「えぇ、でも油断はできないわ」


 同時に立ち上がった二人は、会計を済ませて店を飛び出す。

 遠方に黒い塊が浮かんでいるのを確認した、その矢先。

 ッ……!

 瞬時に、首を左手へと動かす――が、視界が捉えたのは、心配げに空を見上げる人々だけ。

 またか……ッ。

 

「暗翔……?」


「あぁ……いや」


 言い淀む暗翔は、一度辺りに目を巡らせる。

 やはり、見つからない。

 心臓を鷲掴わしづかみにされたような、殺気立つ視線が浴びせられていたような。

 いや、間違いなく浴びせられていた。

 だが――分からない。

 一瞬で気配は消えてしまうため、捉えようがないのだ。

 内心で舌打ちを鳴らしながら、唇を噛む。

 耳を研ぎ澄ませると、【ヴラーク】襲来にざわめく人々のつぶやきが痛いほど届く。

 

「……っ」


 何者かが、俺を狙っている……?

 一体なんの目的で?

 そして、恐らく殺気を意識して制御している点から、そこらの生徒とは異なる本気度が浮かび上がる。

 ぎゅっ、と手に力が込められていくのを認識した。

 ――考えれば考えるほど、不明瞭過ぎる。

 けれど、今は目の前のことに集中すべきだ。

 頭をかきむしりたい衝動を抑えるように、一呼吸。


「なにが起こり始めようとしているんだ……?」

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