十九話 暗殺者

 ――死という存在は、普通に生きる上では、あまり身近なことではない。

 誰だって、死は感じたくもない。

 しかし、俺は違う。

 この世が残酷だと認識した歳には、既に死が隣にいたのだ。

 だけれど。

 それが嫌だったのかと問われると、別にどうとも思わない。

 なぜならば。

 俺の人生にとっては――否。

 生きる世界にとっては、死など当たり前であるから。

 また、俺が生き続ける理由も

 俺に求められたのは、一つ。

 ただ、人を殺すことだけだ。




■□■□




「なぜ……っ!?」

 

 驚愕の色を込めた叫びが、【ヴラーク】から発せられる。

 

「逆に聞くが――その程度の力で、俺を本気で殺せると思っているのか?」


 破れ落ちた布から覗く皮膚は、骨が砕かれ肉片が浮かび上がっている。

 生きていること自体が不自然すぎるその姿。

 少年――暗翔は、立ち上がると同時に、思考を巡らす。

 紅舞は見た感じ、まだ息がある。

 しかし、意識自体はない。

 周囲にも人の気配は――無し。

 はクリアしているが。


「ッ……ならば、もう一度殺せば良いだけですよッ!」


 再び、【ヴラーク】の腕が振り下ろされる。

 激しい衝撃が、重力を無視して身体を潰そうと襲ってくるが。


「聞いていなかったのか? 、俺を本気で殺せると思っているのか?」


「なにッ……!?」


 【ヴラーク】が叫び、眉根をひそめる。

 暗翔がただ一振りに腕を払うと、それだけで衝撃が消えてしまう。


「本当は、これを使いたくないんだが……誰も見て居なさそうだし」


 目の前に居る目撃者一名も排除するから、と心の中で加える。

 ふーっ、と深呼吸。

 右腕を振り上げると、その名を口にする。


「世界に終焉しゅうえんをもたらせ『封印されしグリモワール起源の書たち・オリジン


 世界に二つとない名を叫ぶと同時に、ふと暗翔の脳裏に授業で教わった内容が思い浮かぶ。

 ――最初に【ヴラーク】が確認されたのは数年前。

 宙に浮かぶ四つの書とともに現れた【ヴラーク】は、まさに厄災とでも言うべき強大な【ギフト】の持ち主だった。

 一国家をまるで砂の山を壊すように粉砕し。

 史上最悪とまでうたわれるできごと。

 だが、この説明だけでは不明な点がある。

 そう――ここまで強力だった【ヴラーク】は、一体どうやって倒された?

 

「なっ……なぜ、学園のただの生徒がッ……そのを所持しているのですかッぁぁ!!」


 ならば、答え合わせといこうじゃないか。

 国同士で結託するも、【ヴラーク】の力になぎ倒され。

 世界そのものが終わる――その言葉が、比喩ひゆではなく、紛うことなき現実に変わろうとしていたその時に。

 たった一人のが、なんの前触れもなしに【ヴラーク】に接近し。

 背中を通り過ぎただけで、どんな力を持ってしても撃退不可能だった怪物を殺してしまった。

 ただ、短剣を一振りしただけで。

 

「残念ながら、この力は強力過ぎて、色々と制限があるんだ。一撃で終わらそう」


「ッ……人間がぁぁ!!」


 口元は笑みを刻みながらも、【ヴラーク】を捉える暗翔の黒い瞳は。

 まるで、森羅万象――全てを見通すような、冷徹れいてつなまでに。

 冷め切っていた。

 

「『第二章』の開幕だ――あぁ、始めようか。仕事暗殺を」


 暗翔を中心として、の書が浮かび上がる。

 その内の一冊が突如として、パラパラッとページがめくられていく。

 収束した雲たちが、円を描くようにまわりだし。

 瞬間、天から道筋に沿って雷光がほとばしる。

 暗翔はニヤリ、と不自然なまでに笑うと、腕を頭上に伸ばし、光が打ち付けられ。

 ビリビリッ、と弾ける音を鳴らしながら手に握りしめられていたのは、一振りの槍。


「ふざけるなぁぁぁぁツッッ!!」


 喉が張り裂けんばかりに叫んだ【ヴラーク】は、息を絶やすことなく暗翔に向かって衝撃波を何度も飛ばす。


「『神殺しの槍グングニル』ッ」


 ゆうに暗翔の背丈を超越するその長身槍は。

 電撃をまとい、そして炎を燃え上がらせている。

 暗翔は身体を後ろ斜めに傾けると、そのまま助走をつけ神殺しの槍グングニルと名付けられた武装を【ヴラーク】に飛来。

 もはや、人知を超えた力を持つその武器は、穂先に火花を散らし、雷を発しながら、向かうべき標的を捉える。

 

「がぁぁぁぁッッ……!!」


 【ヴラーク】の衝撃波を破壊しつくし、その身体へと迫った刹那。

 轟音ごうおんが響き、空気の波動が二度、暗翔を襲う。

 あり得ない物量。

 周囲の建物や地面は一瞬にして灰に成り果て、全てが無に帰還する。


「これで生きていたら、流石に驚くが」


 暗翔のつぶやきを打ち消すように、白い粒子が風にまかれ散っていく。

 【ヴラーク】が消失した証。


「さて、引き上げるとするか」


 腰に手を当て、しばらく立ち止まっていた暗翔だが、誰かの視界に入ってはまずいと結論付ける。

 落下してくる紅舞の身体をそっと受け止め、運ぼうとしたが考え直し。

 この惨劇は、全て紅舞の仕業だと嘘吹こうと決めた暗翔。

 功績と損害賠償の二つを得ることになるだろう。

 すまない、と心の中で謝罪する。

 つい見惚れてしまう桜色の唇や、整ったモデル顔から視線を外し。

 おでこに、軽くデコピンを打つ。

 無論、威力は数分したら起こる程度に加減してある。

 俺もそこまで脳筋ではない。

 暗翔は立ち上がると、その場をあとにしようと一歩踏み出すその矢先。

 紅舞の吐息混じりにつぶやかれた言葉が、引き留めた。


「……くら、と」


 そっ、と頭を撫でる。

 そして、晴れ明けた夜空の下で。

 暗翔は闇の中へと消えるように去った。

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