十三話 早朝

 はぁはぁ、と息を切らしながらも視界に入り込む景色は、ギラギラと無数に輝く粒子のみ。

 海面に反射した太陽の光は、ただ名前に揺られ動き続けている。

 暗翔は基本的に、潮風には当たりたくはない。

 髪の毛が独特の臭いを発するからである。

 

「でも、早朝の眺めを拝めるのならば容易い犠牲だな」


 リズムよく動かしていた足を止めた暗翔は、海に目をやる。

 どちらにせよ、帰宅した時にシャワーを浴びるため、潮風は気にしなくて済む。


「あれは……」


 言葉を言い切らない暗翔の視線先には、朱色の髪をした顔見知りの少女が。

 向こうはこちらの存在を認識しておらず、道端でしゃがんだまま口を開け動かしていた。

 暗翔が近寄ってみると、話し相手の正体は子猫であることが判明。

 にゃー、と二人の間でしか分からない共通語で会話している。

 暗翔はもう数歩踏み込むと、子猫は突然路地に駆けていった。


「……あれ、暗翔じゃない。こんな朝早くから、どうしたのかしら?」


「紅舞にも話せる相手がいたってことに驚いただけだ」


「会話の流れから、どうしてその言葉が出てくるのかしら……っ」


 名残惜しそうに、逃げていった子猫のあとを目で追う紅舞。

 暗翔はそのまま首だけ、広がっている海原に向ける。


「なんとなく、だ。人には気分ってものがある」


「意味分からないわよ……」


 紅舞の言葉を無視。

 次いで、視線を戻した暗翔が別の話題を振る。

 

「なぁ、紅舞って一人っ子か?」


「……いえ、上に姉が居るわ。暗翔はどうなの?」


 歯切れ悪く答えた紅舞に、暗翔は首をかしげ。

 微かな間を置いて話したのは、口にするべきか悩んだからである。


「あぁ、恐らく俺も上に姉が一人だけ」


「恐らく……?」


「……少し事情があってな。数年前の記憶が、俺にはないんだ」

 

 暗翔はそれだけ言うと、具体的に突っ込まれるのを防ぐように話の流れを変える。


「あぁ、そういえば。今時間あるか?」


「えぇ……まだ朝の六時よ。朝食には、早いかしら」


 なら、と言いながら暗翔はポケットからデバイスを取り出す。

 電源を入れ、地図アプリを開いた状態で、紅舞に話を戻した。


「昨日の相手に一つ言うことを聞かせる権利。あれを早速使うぞ」


 時間的に考えれば、普通店など空いていない。

 だが、ここは人工島だ。  

 地上とは異なる常識がある。

 紅舞は微かに眉根を動かすと、慎重そうに尋ねてきた。

 

「その前に、いやらしいことはダメ……よ?」


「多分しない――嘘、やっぱりしない」


 手で胸辺りをガードした紅舞に、暗翔は両腕を上げる。


「やっぱり……?」


「気にするな。ほら、もたもたしていると時間が遅くなってくるぞ」


「ちょっと、まだどこに行く気なのか知らないわよ」


「安心してくれ。言われたことをやってくれれば良いだけだ」




■□■□




「……ほら、ここよ」


 ため息混じりに吐いた紅舞は、デバイスを仕舞い込む。

 ここに来るまでに、そこそこの生徒数を見かけた。

 ショッピングモール内には、お洒落なカフェから、時々目にする有名チェーン店などまで様々。


「前々から買わなきゃって思ってたんだがな……やっぱり、電球を一人で行くってなるとめんどくさくて」


「だらしない男は嫌われるわよ?」


「大丈夫だ。既に嫌われている自覚あるからな」


 入学早々、女子クラスメイト全員に「可愛い」なんて言ってしまったからな。

 紅舞に店前で待ってもらうこと数分。

 お目当の品を予備分含め、袋をさげた暗翔の姿が現れる。


「それじゃあ、ついでに朝食でも摂ろうかしら?」


「異論なしだ」


 二言で決議された議論。

 舗装されたカーペットの上を、踏み鳴らしながら二人は歩む。

 足を進めながら、ふと暗翔は思ったことを考えなしに発する。


「なぁ、今こうして並んで歩いていると、恋人同士に見られるよな?」


「こっ……そ、そういうのはまだあたしたちには早いわよっ」


 頬を緩やかに赤めそっぽを向く紅舞に、暗翔は首をかしげる。

 まだ早いって……そもそも、なんで俺が告白したように思えるんだ?

 心底不思議といった形で、暗翔は再び口を開こうとした矢先。

 この場に相応しくない声が割り入る。


「あれー、誰かと思えば『人殺し』じゃん? そして、その隣の王子様もご一緒にとか。まじ受けるっ」


 現代のギャルそのものを思わせる口調。

 先日暗翔が鉢合わせしたいじめっ子の一人なのだが。

 逃げるように去ったあの人とは異なり、態度から余裕そうな表情がうかがえる。

 微かに視線を下げた暗翔は、隣の少女が手足を震えさせているを捉え。

 あえて、庇うように一歩前に出た。


「その様子じゃ、嘘ついていたのバレたっぽいな?」


「あんなのよく考えれば、分かることじゃん? 普通」


「なら、どうして俺が嘘を口にした瞬間に走り出したんだろうな?」


 ッチ、と暗翔に向かってわざと舌打ちを鳴らしたギャル。

 どうやら、ここでは言い争うギャルはないようで立ち去ろうと足を前に動かした。

 しかし、暗翔が片腕を広げ進行を阻害。


「……なんのつもりーつの? あーし、あんたみたいなキモいなつに興味ないんですけど」


「おっと、腕が勝手に――なんて冗談はよそうか。本当はな、少し話そうと思ってな」


 ピクリ、とギャルの眉根が上下する。

 続いて、暗翔に向けられた視線からは、不愉快らしさがこめられている。


「今度の週末。紅舞、そして俺とそっちの三人で【模擬戦闘ゲーム】をしたくてな」


「……あーし、その日は時間が――」


 ギャルが反論の意を唱えようとするが、重ねて暗翔が言う。

 そう、もう一度は逃がさない。


「紅舞をこの学園から追い出す――いや、退学にしたくはないか?」


 肩が力が込められ緊張が高まるギャル。

 暗翔は不敵に笑みを浮かべ、完全に会話の主導権を握った。


「【模擬戦闘ゲーム】で俺たちを負かしたら、紅舞と……ついでに俺も学園を去ろう」


 ちょっと待って、と横から呟かれた声には無視して話を続ける。


「その代わり。そっちが負けたら、紅舞に弁解の機会を与えてくれ」


「……あーしたちが勝った時に、そっちが大人しく退学する約束が守られる保証はないとか。まじ受けるんですけど」


 なら、と暗翔は親指をいつの間にか手にしていたデバイスを指して言う。


「これを使えば、後先引けなくなるぞ?」


 手元の表示画面には、学園専用の掲示板が浮かび上がっていた。

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